4054.インド雑感(ベジタリアンなインド)



小川 
 
インド雑感をレポートします。
 
ムンバイに入国した翌日7月13日に3ヶ所同時多発テロが発生した。
3年前のタジマハールホテルでの爆弾テロの再来である。翌日の新
聞はTerror return to Mumbaiと騒がしい。パキスタンとアメリカの
関係を刺激するイスラム過激派のテロと言われているが未だ不明で
ある。テロに屈することなく予定通り、ヒラリー国務長官はムンバ
イしている。

現地では、そのころ食事を招待してくれたインド人は気を使って知
らされなかった。翌朝日本の会社から安否確認の情報が入って初め
て知った。日本のTVは原発で忙しいのかあまり報道されなかったよ
うで家族は知らなかった。
 
自然エネルギーの一つであるバイオエタノールの技術開発をインド
の会社と共同で行う試験プラントのために来ている。ムンバイの喧
騒から抜け出して車で約7時間のNIRA(水を意味する)という人の少
ない田舎町に移動し約2週間滞在することになった。ムンバイから
一緒に来たインドのエンジニア、研究者たちとともにGuest  House
(社内寮のようなもの)に同宿する。

部屋数の都合から宿泊先を時々変更させられ最近できたダムの貯水
池の脇のインド式のホテルにも3日間滞在した。出発前のネットに
よるチェックでは街道沿いのモーテルのような近代的ホテルかと思
いきやお湯の調整が難しいシャワーとトイレの横にバケツのある質
素な部屋で、朝昼晩とカレー食を食べる生活に切り替わった。今の
ところ幸い下痢は起こしていない。

ムンバイの最高級ホテルとの落差が激しいためやや戸惑いを感じた
が慣れてくるとインド式も悪くない。宿泊代は5分の一食事代も十
分の一である。

ここからプラントのある現場まで約40分を毎日車で往復する。半
分ほどしか舗装されていない道を牛や山羊の群れとすれ違いながら
通う。農道の脇で10匹ほどの山羊の群れを連れて白衣の老人が心
地よさそうに寝ころんでいる。聖人はこのようにしてうまれたので
はないかと思う。何か考えごとを思索しているようでもある。まる
で天国のようなのどかな光景がある。ここには、現代病、介護生活
もなく原発の汚染や政局もなく爆弾テロの恐怖も無縁である。
 
インドの牛は聖なる動物である。土の掘り起こしや運搬に役立ち牛
乳を与えてくれる有り難い動物である。牛フンは日干しして煮炊き
の燃料に使う。誰に教えられることもない自然との共生やエネルギ
ーの利用がなされている。ベジタリアンが多くカレーに入る素材の
野菜の種類は多い。

宿泊先のレストランにはノンベジのメニューはない。そのせいか温
和な性格の人が多いようだ。個性的で自己主張が強く口論はするが
、相手を攻撃することはしない。多神教でクリシュナ神、シバ神や
ガネシャ(象の顔の神)など各人各家族が自分の神様をもっている
ので一神教のような争いや強要が少ないのではないかと思う。
 
荷物を頭に乗せて農道を歩く女性の色とりどりのサリーが鮮やかで
褐色の肌によく似合っている。雨季を避ける観光客であるが、この
地は雨季の方が快適かもしれない。毎日雨があり曇天が続くが大雨
が続くわけではない。雨間も多く景色は緑一面となる。気温30度
といっても日本の夏のような湿気が少なく暑さを感じることなく心
地よい。熱中症の心配もない。朝夕は特に涼しく高原の気候のよう
である。窓に来る野鳥が目を覚まさせまるで軽井沢にいるような心
地となって錯覚する。
 
インドの言語は沢山あって200以上あるともいわれるが、方言の
ような発音、訛りの違いのみならず単語そのもの文法まで完全に異
なるものもあるらしい。多様な地方から人の集まる商都ムンバイで
はヒンディ・イングリッシュが共通語だという。外国人には時々英
語ときどきヒンディ語がごちゃ混ぜになって聞こえる。

外国人との付き合いの多い幹部たちの英語は分かりやすいが、外国
人との付き合いの少ないインド人の研究者が話す英語は実に分かり
にくい。抑揚がすくなくポンポンと早口でまくしたてるので切れ目
がなく聞き取りに苦労する。同行した英語の苦手な若い日本の研究
者や技術者たちは、最初苦労していたが一緒にインド人スタッフと
共同実験作業をしているうちに理解できるようになってきたようだ。

聞き取れなかった会話も続けられるようなってきたようだ。技術の
会話は名詞と数字と動詞さえ分かりあえば、冠詞とか助動詞は不要
である。単語の順序も文法も間違っていても作業のコミュニケーシ
ョンには困らない。現場作業では辞書を引いて意味を確かめる時間
もない。空の記号がお互いの英語の表現の記号の範囲内にある概念
を共有することで伝えられている。

面白いのはイエス、イエスと相槌を打つ時に首を横に振る仕草であ
る。言語とジェスチャーの一義性はないという一例であろうか?
 
インド人は器用で実によく働く。ラッシュ時の車の運転の器用さに
は舌をまく。体の一部である。プラントの据付でも器用だ。日本な
らクレーンやチェインブロックを搬入して安全を期してする作業も
小型の実験設備だとして30キロほどする蒸留塔装置も人海戦術で
人力でロープで吊り上げてしまう。ヘルメットを使わない人間もい
る。実験設備なので何とか使える程度に作りあげてしまう器用さに
安全と慎重を期する日本の技術者たちは驚いている。
 
技術者たちが現場で作業をしているあいだ一人でPCデスクワークを
していた。部屋の掃除のため外へ出た。ベンチでPCをしていたらに
わか雨が降ってきた。部屋に戻れずゲストハウスのテラスで椅子を
持ち出して快適なデスクワークを続けているとヴィクトリア朝時代
のイギリス人になったような気がしてきた。ゲストハウスのマスタ
ーが気を利かせて紅茶を入れてくれる。ミルク入りスパイスティー
で少し甘いが疲れた体には心地よい。
 
植民地経営は英国人にとって心地よいものだったに違いない。イン
グラント北部やスコットランドの日光に恵まれない厳寒の気候の中
で過酷な作業をしていた労働者や経営者たちは、めぐまれた気候の
良い環境でインドの現地人を奴隷のように使うことの快適さ、過酷
なハード作業、肉体作業は彼らにやらせ自分は管理、監督のみをし
ている経営スタイルである。自らは余り手を汚さずに巨大な富を与
えてくれるおいしい会社経営に熱中したのも理解できるような気が
する。

マルクス主義によればまさに帝国主義資本家の搾取の典型である。
本国では狭い家にすむ中間経営者もインドでは豪邸に住んで召使を
使う貴族生活が可能である。温和なインド人たちは人懐っこい。宗
教の教え(Karmaやダルマなどの果報)もあって真面目によく働く。
カースト制度もあって統治はしやすく安定経営のしやすい国である。
細かいところに口や手を出して指示するよりもインド流のやり方に
任せる間接統治が適している。
 
日本に対する韓国や中国の姿勢と異なり、独立後の今もCommon Wealth
の一員であることを誇りにしている。英国女王には敬意を払ってい
る。クリケットは人気第一のスポーツでありインドのエリートたち
は英国へ留学して憧れている。会社経営も英国式経営スタイルが残
っている。同化政策の影響が続いているということであろうか。文
化の影響は長くつづく。
 
10日ほどの滞在でしたが、仲良くなった現地の人との別れがさび
しくなります。タイムスリップして実に心地よい気持ちになりまし
た。”人にはどれだけのものが必要か”ということも考えさせられ
ました。
 
小川
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Re:インド雑感(ベジタリアンなインド)

小川さん、

ご報告ありがとうございました。
爆弾テロの影響なくてよかったですね。

>ベジタリアンが多くカレーに入る素材の野菜の種類は多い。
>宿泊先のレストランにはノンベジのメニューはない。
>そのせいか温和な性格の人が多いようだ。

4年前にインドにいったとき、ベジタリアンカレーを味わいました。

しかし、私は、わずか一週間ベジタリアンだっただけなのに、肉が
食べたいという衝動がわいてきて、ニューデリーで肉皿を注文して
しまいました。

インド人の多くがベジタリアンであるというのは、すごいことだと
思います。さすが地球のなかでも一級の聖地だけのことはある。

しかし、インドの女性が非常に太っているのは、もしかしたら、肉
食の衝動を打ち消すために暴食するからではないかとも思いました。

小川さんにとってベジタリアン生活はいかがですか。

得丸
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牛がインドで大切にされていて黙っていても餌をくれ体を洗ったり
お化粧をしてくれているのをみると「私は牛になりたい」気持ちに
なります。
土耕や人・モノの運搬に役立ち牝牛は乳を提供する。ヨーグルトや
チーズの保存食になる。糞は煮炊きの燃料となる。
 
ヒンドゥー教で人気の高いクリシュナ神は、ヴィシュヌ神の生まれ
変わりで力持ち美男で牛飼いの女たちとのラブロマンスの物語が「
マハーバーラタ」にあるようです。マハーバーラタはいろいろな神
様の物語で読み物としても面白い。多神教にはギリシャ神話や日本
の古事記のような動物や自然との物語が多い。

インドでは豚はゴミあさりをしている不浄の動物で食べない。中華
料理にでてくるが食べてもまずい。欧米系のホテルでのハムエッグ
はチキンソーセージのみ。

ヒンドゥー教徒にはベジタリアンが多いようです。ギョロ目の強面
の顔にもかかわらず、温和な性格のひとが多いのは食べ物のせいか
と想像します。Carnivalをお祭りとする戦好きの遊牧の一神教の民
とは違うようです。和牛の放射能汚染を議論する必要もないです。
 
草々
 
小川

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