4049.エネルギー争奪戦



エネルギーというのは生命の問題であり、ものの「観」方というの
は、情報=脳的な問題といえるじゃろう。そして、エネルギーが足
りるとか足りないとかは物理的制約のもとにあるが、どれだけ使う
あるいはどのように分配して使うというのは社会=人間の情報的構
築物の問題ではあるんじゃないかの。 

ここ、数ヶ月に渡って、原子力発電(「物理的・社会的」に関する
、大量の本・雑誌が出版されてきた、ワシも、これらと、過去に出
版された本や図書館で手に入れら得る限りの、推進派・反対派、、
、経済がらみ、安全保障がらみの本を渉猟してみた。(電力業界や
、電力そのものについて書かれているモノを含む) 

エネルギー行政や、世界のエネルギー争奪戦という、「世界の闘争
の運動」要因というのには、むかしから注目していが、文明史的な
意味は、生物は、食物をいう、エネルギーを争い、文明化したあと
は、身体の外部化としての道具(それが、蒸気―内燃機関―電気と
いう文明)の拡張によって、増大しているという単純な図式に還元
される。 

つまり、生物の根本的な争いは、エネルギー(食もふくむ)を巡る
争いである。 

物質的に豊かであることとエネルギーの消費の増大は一致しておる。
(それが人間の労働力ということを含めて)人間が贅沢と感じられ
るのはエネルギー故に一人当たりのエネルギー消費量の多いアメリ
カは豊かである。(内部で、そのムチャクチャな格差はあるにしても) 

もうひとつは情報的(脳内的な)満足である。それは「観」=歴史
観とか死生観とか、価値観とかいうあの観じゃな。 
主に、この情報的な価値と位置づけは、コミュニケーションから得
られるが(上位や下位、またその階梯の秩序づけ)、その快感は、
先の<競争>っとあいまって、<優位性>の確保からも得られる。
優位性は絶対的な価値というより、相対的価値である。「となりの
芝生は良く見える」という言葉があるが、自分が優位に立っている
ということが(逆に劣位であるという不快)人の情動を突き動かす。 

現実の<優位性の保持>は様々な形がある。主導権争いなどもそう
だ。 
そこでは、優位性の確保はそのままその分野での死生につながって
いる場合もある。 

近頃出た原子力発電と社会の「力関係」をみるのに、出色の本がある 
「別冊宝島」が出した、日本を脅かす<原発の深い闇>=東電・政
治家・官僚・学者・マスコミ――――という雑誌である。 

原発問題が、日本の<中枢の闇>に結びついていることを、そして
それがどれだけ社会を歪めていることかを、実名をあげて、出して
いる。 
よくここまで書けたものだと思ってしまう。原発問題・これからの
電力会社と社会・国家のありかたを考えようとする人間は絶対に読
んでおくべきじゃろう。 

「観」というのは、それぞれに(歴史や環境から)醸成され、また
それぞれの人が選び取るものである。とワシは思う。もし選び取ら
なければ、だれかのプロパガンダにのせられてしまったり(それが
感情的に快感や、短期的に自分の懐を満たすという理由でなっとく
させるのかもしれないが) 

じつは、「うまくやる」人々、権威がそう言っているいるからとか
、いうのに対して無防備であれば、(それらには自分の利益を押し
隠している人だったり、権威だと思っていたものが実は利権まみれ
だったり、ありえない前提を自身が信じているということだったり
する)長期の生命・社会を崩壊に導くことはある。 

すくなくとも、自身で、選ばなくてはならない。 
それはこの国においては、切羽つまっている。 

「何を自身の価値の根底におく」のか、それは哲学の問題でもある。 
つまり、その行為は自身を見詰める作業なのじゃろう。 

虚風老 
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二つ話そう。 

テレビの番組(日テレ系)で、新エネルギー系のトピックで面白い
話しをしておった。 
それは、メッキ工業を生業とする、オヤジが水素?酸素電解で得られ
る「ガス」についての話しじゃ。 

もちろん、中学の実験で、あの試験管から出たガスにポンと火をつ
けて、これが水素ガスですというのは知っていると思う。 
水素=酸素を発生させるには、単なる<水>に電極(これが重要な
のだが)を差し込んで。電気=エネルギーを加えると分解するとい
う実験である。 

実は、水素の取り扱いで、一番問題になっているのは、その「保管
」と「運搬」の過程で、水素原子があまりにも小さく(元素中の基
本原子なのであたりまえなのじゃが)容器を潜り抜けたり、金属脆
化するというのがネックにある。 

しかし、このoutaniガスだかoutomoガスだか忘れたが、そう
名づけられた(水素―酸素・水の混合)ガスは、電気分解によって
発生するガス(水素―酸素)を、ミクロン単位か、ナノレベルで発
生させ、それらの間に水分子があることによって、、純粋な水素と
は違う振る舞いをするという。 
(化学ではよくある話しだ=クラスターをつくることによって金属
を通り抜けしにくくするらしい)科学者は純粋の形でモデルを作ろ
うとするが、不純(工業的にはちょっと不純物の加減で大きく性質
がかわる。今流行りのLEDだって、そうやって発見されたのだ) 

これは、今も、どこぞの大学の研究者と連携して、実証しているら
しいが、LPGと半々に混ぜるとその効率を増すらしい。ガストーチや
、天然ガスで動く車では問題なく動いているらしいという話しじゃ
った。当然ガス発電のタービンも(この半々に混合したガスで)動く。 
(できるなら、大量の資金=実証研究費をつぎ込んで、このガスの
温度の安定性とかをすみやかに調べて実用化して欲しい) 

なぜ、これをわしが注目するかといえば、もちろん、<電気は溜め
られない>という、神話を打ち砕くためじゃ。 
電気は、揚水発電にしろ、蓄電池にしろ、形をかえればエネルギー
としては成り立つ。 
それが、問題なのは、生成したエネルギーを何かに変換すれば、
どのような変換をしても、エネルギー効率が下がるということがあ
るからじゃ。(実際一番効率が悪いのは電気を熱に変える場合じゃ
が、ばかなことに大々的にオール電化何ぞをやっておる) 

しかし、電気はカタチを変えれば当然エネルギーのカタチを保つ。 
そして、それが再度利用し易いエネルギーの形にかわればよい。 

そして、このガスはLPGと併用したとしても、エネルギーロスが
少ないとされておる。 
(実証研究で調べて欲しいのは、本当のロスの具合が少ないのか(
テレビでは、LPGの燃焼効率すらあげるとされている)、安定したガ
スタービンに利用できるのかである) 

もし、これが利用できるのであれば、自然エネルギーの「不安定さ
」を解消する切り札になりえる。 
つまり、直流で起こした電気をいったんガス化することができ、再
度電気系統に投入できるとなれば、(ガスを作る時に電気を起こす
時は増減にどんな幅があってもかまわない。 
今日はよく溜まったな。。とノンビリできるし今日は製造が少ない
なというのも、ボンベのバッファに収まるじゃろう。)必要に応じ
て起電できるガスタービンで発電の安定化をはかれる。しかも、つ
くるのは、すごい過疎化の進んだ山の奥であったっていいわけじゃ。
水しかいらず、送電線につながっておればええからの。 

もうひとつはこれが、可搬であるということじゃ。 
水素化の問題は<貯蔵と運搬>にあるそれ故に、吸蔵合金やそうい
った新規の技術開発や、希少資源の問題があった。 
しかし、金属を脆化や通り抜けしないのであれば普通の圧力ボンベ
ですむ。 

おそらく、この水素=酸素ガスのナノレベルの発生の生成にはメッ
キ技術から生じたのであるから。今後も新しい電極の組み合わせが
考えられるであろう。 
それは、実験の量を増やすしかない(大資本とか、国とかがとくい
そうじゃ) 

電気?余れば水素ガス化?足りなければ電気化、という工程は不安定
な自然エネルギーを取り扱いやすくする切り札だと考える。 

こぞって、実証して欲しいし、資本投下してほしいとおもう。 

虚風老 
BS 
オーランなんとかという藻などによる、油の生成システムにも、わ
しゃとても期待しておるがの。 
(^^) 


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