変わることができなけらば、生き残れない 虚風老 思考としての工学系 工学として、思考する場合、制御に対し、一対一の事象の検討して 、予測可能な範囲に収まることを目標としておるようじゃ。 つまり、「想定外」は工学的に扱わない、というか、想定内に「機 能」するように設計される。(この機械はこれこれの条件が満たさ れるモノとして、その条件下で十分に対応しているというものじゃ )その条件が満たされるかどうかは、別の専門家に任される。。。 (この外部要因はここまで、この部品はこの条件や強度・溶接やコ ンクリートは設計基準をみたしている)という…ほんとうは、恐ろ しいほどの人為の積み重ねがあるわけじゃが) 圧力容器や、格納容器はメルトダウンを想定するようにはできてい ない。というのは正直な設計者のことばであろう。 同様に、今現在のシステム(送電システム)では、自然エネルギー の取り込みが難しいというのも事実であろう。また、今の社会シス テムで、急に数百万キロワットの発電能力に穴があくというのは、 経済(産業)のシステムにとって、難しいというのであろう。 巨大な船は、「言葉」とは違い急に舵を切ろうとしても、物理的制 約でもって動かすことができない。社会システムには、それ以上の 物理的な実体要因や、法的要因、利害関係の要因など社会的な抵抗 が物理と同じような抵抗感で存在している。 先のコラムで面白いと思ったのは、ある一個所100機の風力発電 所が止まると、その穴をうめなければならないから、5%以上には できないとしていることだ。ならば、ドイツは馬鹿で不可能な選択 をしている集団ということになる。 逆に一個所でなくまた、<多様な小さな>発電方式、を広く・たく さん・分散させるということは、ある増減のパターンは描くとして も、ある幅での変動値がでてくるはずだ。 だとしても、工学的な効率や計画性という発想では、取り扱いがで きないかもしれない。直接てきな自然エネルギーでの発電の安定し たところをとりだすとして100%利用可能だとは思えないからの。 (つまり効率的ではない) また、それなら原発一機が、「突然止まる」というのはまったく想 定しないでいいと考えているみたいじゃ。 つまり、工学的には、原発は安定的に常に計画的に運用されるとい う考え方がある。もし、不安定なら、すべての発電システムは5% を越えられないということになる。 ここで考えているのは水の流れのような話しである。 つまり、ちいさな川や、隙間や表面を流れて、絶えず不定期に計算 できない流量で池に流れ込む。また池からは幾つかの流れによって 外へ出ていく。そしてそれは日々の変動や季節の変動はある。 人はそれを灌漑や導水として取水として利用し、利用した以外はま た川へと水を戻していく。 せいぜい人がコントロールできるのは、灌漑や取水施設での水の量 や、大本の川がオーバーフローしないような処置だけじゃ。古代文 明が皆「河の制御」神話をもっておるのをおぼえておるじゃろう。 もっと言えば、もう原発にたよることも、化石燃料に将来的に頼る こともできないのならば、「再生エネルギーを受け入れることので きる基盤システム」というのが、どういうシステムなのかというこ とを、検討しなければならないということじゃ。 今システムでできないということが顕かならば、システムを変えな ければならんということじゃ。しかもできるだけ早く、資本主義と いうものの特性を生かしてやろということである。 解決への道は、現在のシステムありきや、利権を越えたところにある。 同時に現在のシステムは積み重ねられてそれなりに機能しているシ ステムでもある(ただし過剰適応ということばもあるが)だから それを補完し発展的に違うシステムへ移行できる道を考えなければ ならない。 一つには、この不安定な「自然エネルギーの発電」というものをど うすればできるだけ多く受け入れることができるシステムを今のシ ステムに付け加えていくのか。という技術的問題で、スマートグリ ッドなどもその一部であろう。 もうひとつは、どうすれば、「自然エネルギー発電」をたくさんの 人や企業が我も我もと参加しようとする、法的・社会的・経済的な 条件を設定するかである。 そして、そのために行われることが こぞって、みんなが資本を投下し将来回収し、<国内の設備投資> や<国内の雇用>を喚起するシステムであることがのぞましい。 変動についていえば、「大数の法則」というものがある。 これは、こう考えてもええじゃろう。 ミクロ世界では世界の変動は「確率変動」シュレディンガーが法則 に基づき、またマクロ的な時間と事象の大きさのなかも「確率変動 」が姿をあらわす。 ただ、日常世界ではモノはその一部を切り取ったようにしかみえな い。(つまり直線的に見える) 工学は日常世界なので、ニュートン的で、直線的に物事を扱うほう が、効率がよい。また、経済「学」も同様に効率を扱う学問である。 そしてそれは直線的な比例関係に支配されている。 しかし、人間や生態系・自然は工学的な、効率性ではなく確率的な 世界のどこかその一片をしめている。 大きなサイクル曲線の中に、日常を直線として、(地球が丸いのに 大地は平らだと思うように)われわれは生きている。 虚風老