3919.「雪の226事件」を聞いて



松本健一講演会「雪の226事件」を聞いて

 今年も麻布の賢崇寺で2・26事件全事件関係者の法要に参列し
てきました。満75周年ということで、松本健一氏の特別講演があ
り、それを楽しみにしていきました。簡単にご紹介し、かつ私の感
想もつけ加えます。

 松本氏の話は、友人である久世光彦氏に「陛下」という小説があ
り、それは226事件を扱った小説である、というところから始ま
りました。
 そして、75年たっても、知らないところから新しい史料が出てく
る。たとえば「満川亀太郎日記」(論創社、2011年)であり、猶存社
で大川周明・北一輝と行動をともにした満川の大正8年から昭和11年
までの日記です。そこにはいつ、誰と会ったかということが書いて
あります。菅波三郎が20回登場し、渋川善介は30回登場するという
ことでした。
 また松本氏は、正岡子規の弟子であった五百木飄亭の「飄亭句日
記」を発見し、その2月26日のところに「払暁兵変起こり、、、」と
頭書きのあと「桜田の雪本所の雪と降りしきる」という句が残され
ているというお話をされました。(政府の内閣府参与になったため
に、この句日記について書いていた原稿は昨年10月以来、一行も書
けていないということでした)
 226事件が謎であるのは、農村の疲弊を憂えた青年将校たちが
やむにやまれず決起したことと、それを天皇陛下がお怒りになり大
した取調べも裁判もないまま全員銃殺刑になったこと、そしてその
後、日本が戦争にのめりこんでいったという史実の整合性が取れな
いこと、説明がつかないことである。
 ただいかに青年将校が純真であったとしても、やってはいけない
ことをやれば処罰されるのは、海上保安庁の職員が中国の漁船のビ
デオを流出させたことと同じである、というのが結論でした。謎は
解かないまま終わったという印象をもちました。
 
 私は質問を用意していました。
 昨年、226事件で刑死した青年将校たちの看守をしていた方の
遺族から、70数年ぶりに遺墨が刑死者の遺族に届けられましたが、
その中に「後世史家に俟つは維新に非ず、現代人の恥辱なり」とい
う対馬勝雄中尉の言葉があり、この言葉を松本健一氏がどう受け止
めるか伺ってみたいと思っていたのですが、質疑応答がなく(時間が
ないというよりも、講師の希望でそうしたという印象をもちました
)、できませんでした。これが非常に残念でした。
 対馬勝雄中尉の「現代人の恥辱なり」という言葉、嶋野三郎(1893
-1982)が「北一輝の人間像」の中の対談で語った言葉、そしてバー
ガミニの「天皇の陰謀」、塚本誠の「ある情報将校の記録」、鬼塚
英昭さんの「日本のいちばん醜い日」や「原爆の秘密」などを総合
すると見えてくる真実があります。結局、226事件が謎であるの
は、歴史家たちが力を合わせてその真実を隠蔽しているからではな
いかというのが私の結論です。
 今日「満川亀太郎日記」を読んでみたところ、嶋野三郎が、なん
と、ざっと数えて37回も登場しました。歴史をもっと早くに勉強し
て、生きているときに話を聞いておけばよかったと思います。プロ
の歴史家たちは嶋野の存在や役割を知っていたのもかかわらず、嶋
野を敬遠したのかもしれません。

 実はこの法要では226事件以外に、昭和10年8月の永田鉄山斬殺
事件の実行犯である相沢三郎も慰霊します。5年前に、はじめてこの
法要に参加したとき、意外に思いましたが、この5年間で、二つの事
件が密接に結びついていることがわかりました。
 永田鉄山という人物は、日本陸軍の歴史の中でもっとも優秀で人
望もあった人物で、どうして永田が殺されたのかも、大きな謎です
。しかし真実に照らしてみると、すべて筋が通ります。永田も事件
の被害者であったということです。永田鉄山も斉藤実も高橋是清も
戦争に反対していた人たちが殺され、昭和12年に大本営が設置され
て、日本は悲惨な戦争の時代に突入した。
 今でも賢崇寺に二十人くらい公安がきて、参列者をチェックして
いるのも、その秘密を守り続けるためなのでしょう。孔子の「正名
論」に反する歴史の隠蔽です。
 救いは、靖国神社で英霊たちが日本を守っていることでしょう。
戦後、神なき時代を迎えた日本において、英霊たちが神となって、
日本を守るようになった。台南で神として祀られている杉浦茂峰少
尉をはじめとして、英霊たちが本当の神になって力をつけ、日本を
守ってくれている。
 彼らの死は決して無駄ではなかったのだと思います。それを確信
できるようになったのは、昨年の台湾合宿のおかげです。

また、
松本氏の話から:
五百木飄亭は、愛媛県出身。愛媛県出身者は、明治以後文学者や俳
人が多いことで知られています。
正岡子規、高浜虚子、河東碧梧洞、中村草田男、大江健三郎などな
ど。有名人は文学者しかいない。

この五百木飄亭は、原敬の暗殺を予言したということで、当局から
目をつけられていたので、日記を句だけの日記にしていたそうです。

桜田の雪というのは、桜田門外の変、本所の雪というのは、吉良邸
討ち入り。

以下、私の感想:

桜田門外の変も、赤穂浪士も、たしかに226事件に似ているかも
しれない。

3事件とも、純粋な人間が、日本史ではめずらしくテロを行なう。
そして、実行犯は、意外に重い処罰を受ける。
さらに、被害者が、調べてみると、悪い人というよりは、立派な人
である。そのあと、時代が変わる。(桜田門外の変の場合はとくに)

この歴史の矛盾を天が察知して、雪となって景色を美しく演出する
から、赤穂浪士は謎のまま、長く人々に語り継がれてきた。
(桜田門外の変は、ドラマ化はされていないのでしょうか)

226事件が、(松本氏の言葉でいう)「日本人の心にささったト
ゲ」となったのも、天の流した涙が貢献した部分もありそうです。

不思議な矛盾をはらんだ事件は、もしかすると、桜田門外の変も、
赤穂浪士も、実は別の真相があるのかもしれないと思いました。

歴史事件という抽象概念は、考えれば考えるほど、おもしろくなり
ます。だが、真相に出会っても、それを軽々しく語れない風潮があ
るので、個人の楽しみにするしかないのでしょう。

2011/03/07 得丸公明
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