3858.ヒンズー教と仏教



インド旅行で、ヒンズー教と仏教は、非常に近いと実感した。お題
目の唱和も鈴で拍子を取るのと、木魚などで取る違いはあるが、同
じような感じである。お題目も南無シバ神であり、南無妙法華教や
南無阿弥陀仏などと同様である。密教寺院では、声明で読経を1つ
の音楽のような印象を受けるが、それと同じ声明をヒンズー寺院で
聞く。このように宗教を取り巻く雰囲気が非常に近い。

ガンジス川の沐浴も、日本でも冬に川に清めで行う沐浴と同じ雰囲
気を感じた。感覚的に近い。全然違うものとは感じない何か懐かし
さを感じる。ガイドさんによると、仏教はヒンズー教の1分派であ
るというが、その意味は分かるような気がする。

また、街中でののら牛、のら犬、のらヤギなどが、人間を恐れない
で近づいてくる。サルも街中にいる。物乞いも物売りもいる感じが
異空間であるが、人間と動物が同一平面で生きている仲間という感
じがした。釈迦が動物に説教をする場面があり、その場面が本当の
ことだと実感できる。このように今のインドは懐かしさとある意味
の理想郷でもあると感じた。

この原因を日本に戻ってから調べる必要があると、旅行中に感じて
いた。       Fより

ウイキペディアによると、
ヒンズー教は、インドやネパールで多数派を占める民族宗教である。
ヒンドゥー教徒の数はインド国内で8.3億人、その他の国の信者を合
わせると約9億人とされ、キリスト教、イスラム教に続いて世界で第
3番目の宗教である。

ヒンドゥー教はバラモン教から聖典やカースト制度を引き継ぎ、土
着の神々や崇拝様式を吸収しながら徐々に形成されてきた多神教で
ある。 紀元前2000年頃にアーリア人がイランからインド北西部に侵
入した。彼らは前1500年頃ヴェーダ聖典を成立させ、これに基づく
バラモン教を信仰した。

紀元前400年頃にバラモン僧の腐敗の元、宗教改革で出来上がっ
たのがジャイナ教と仏教だ。ジャイナ教は商人層に拡がり、仏教は
支配階級層に拡がった。

このため、バラモン教は変貌を迫られた。その結果 バラモン教は民
間の宗教を受け入れ同化してヒンドゥー教へと変化して行く。ヒン
ドゥー教は紀元前5 - 4世紀に顕在化し始め、紀元後4 - 5世紀に当
時優勢であった仏教を凌ぐようになった。この頃のヒンズー教や仏
教やジャイナ教の区別は殆どない。大きな違いはヒンズー教がカー
ストを認めるのに対して残り2つはカーストを認めないことである。

しかし、その後インドの民族宗教としてヒンズー教が民衆に信仰さ
れ続けてきた。仏教はインドでは根付かなく、東南アジア、東アジ
アで盛んになる。

ヒンズー教は三神一体(トリムルティ)とよばれる近世の教義では
、中心となる3大神、すなわち

ブラフマー:宇宙の創造を司る神
ヴィシュヌ:宇宙の維持を司る神
シヴァ  :宇宙の寿命が尽きた時に世界の破壊を司る神

は一体をなすとされている。しかし現在では、ブラフマー神を信仰
する人は減り、ヴィシュヌ神とシヴァ神が二大神として並び称され
、多くの信者がいる。その中でブッダはヴィシュヌ神の生まれ変わ
りとして描かれた。ヒンズー教での仏陀は、第9番目の聖人としてい
る。

また、輪廻はインドにおいてサンサーラと呼ばれる。サンサーラと
は、生き物が死して後、生前の行為つまりカルマ(karman)の結果
、次の多様な生存となって生まれ変わることである。インドの思想
では、限りなく生と死を繰り返す輪廻の生存を苦と見、二度と再生
を繰り返すことのない解脱を最高の理想する。

輪廻教義の根幹に、信心と業(カルマ、karman)を置き、これらに
よって次の輪廻(来世)の宿命が定まるとする。具体的には、カー
スト(ヴァルナ)の位階が定まるなどである。

業(行為)にもとづく因果応報の法則(善因楽果・悪因苦果・自業
自得)であり、輪廻の思想と結びついて高度に理論化されてインド
人の死生観・世界観を形成してきたのである。

このように輪廻と業は、仏教もヒンズー教も同じ思想である。

また、ヒンドゥー社会において牛は崇拝の対象となっているが、ヒ
ンドゥー教は不殺生を旨とし、そのため肉食を忌避するので菜食主
義の人が多い。しかし、身分やしきたりによってその度合いが異な
る。一般的な菜食は植物に加えて鶏卵も可とする人と、鶏卵を不可
とする人がいる。また上位カースト階級には、収穫の際に地中の生
物を殺す惧れのあるタマネギなどの根菜類を不可とする人もいる。
いずれの場合も牛乳および乳製品は良く食べられる。

このため、ヒンズー教徒は動物を殺さないことで、動物が人間に近
づいてくるのだ。また、今回の旅行で見た日本女性の1人旅が多い
のも、安全だからであろう。

また、7世紀に入って大乗仏教も密教へと変化するが、密教とは仏教
のヒンズー化である。仏教はヒンズー教一派であるタントラ教の教
義を取り入れて密教となった。

4世紀にインドのグブタ朝はヒンズー教を国教と定め、ヒンズー教の
バラモンを厚く保護した。これによりヒンズー教は圧倒的な勢力を
持つようになった。ヒンズー教の発展と富豪商人の衰退が仏教をヒ
ンズー化へと向かわせたのであった。

13世紀を過ぎると、ユダヤ教、キリスト教の後を受けて成立した
一神教のイスラームが、インダス川を越えてインドに入り込んでき
た。多神教のヒンドゥー教と一神教のイスラームは、根本的に異な
る宗教で、2つの宗教の信者はおたがいに対立することが多くなる。
この対立は、20世紀のインド(ヒンドゥー教徒多数)とパキスタ
ン(イスラーム教徒多数)の緊張の背景にもなっている。仏教は、
13世紀のイスラム教の侵攻で、インドから出て行く。この最後の
インド仏教の逃げた場所がチベットであり、現在のチベット仏教に
なる。

日本に中国経由で伝来した密教は8世紀の密教であり、チベット仏
教は12世紀の密教である。



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