3853.インドのアグラ・バナラシ事情



私と息子は、インドに行ってきた。そこでの考察。

今回初めて,短距離を行く42分のスカイライナーに乗った。北総
線内は,先行の電車があり、遅かったが成田アクセス線に入り,速
度を増した。7時58分日暮里発で成田着が8時40分であった。
成田はそれほどには混んでいないが、エア・インディアのカウンタ
ーは混んでいた。ここで1時間を費やしたが、出国手続き所は混ん
でいない。

11時15分成田発エアインディアの飛行機で18時00分にデリ
ーに着く便であるが,急病人が出て,30分遅れた。デリーには定
時に到着した。時差3時間半である。
                津田より

0.はじめに
インドへは一度は行かないといけないと思っていた。仏教の発祥の
地であり、多神教のヒンズー教と仏教は親戚の関係にある。このイ
ンドでなぜ、仏教という思想ができたのか、現地をみたいという思
いは強く、子供に話したら正月に行こうとなった。

今回訪問したのは、アグラとバラナシ、サルナートである。アグラ
では、イスラム教とヒンズー教の融合系の建物を見、バラナシでは
ヒンズー教を知った。サルナートでは仏教の聖地のこともあり、各
国仏教徒がそれぞれの民族服でお参りしている。

夜6時、デリー空港に着いた。外がよく見えないが街路に光が少な
く、デリー中心部にあるホテルの周辺は街全体が暗いし、浮浪者が
多い。貧民窟のようなところにホテルがあるようだ。次の日の朝六
時にデリーから列車に乗ったがデリー駅に近かった。

このデリー駅には、人があふれていて、浮浪者が寝ているなど
1960年代に見た北京駅と同じ感じがした。この列車でアグラ8
時に着いた。インドでは高速道路がないため、自動車より列車の方
が早い。自動車では5時間かかるが、列車では2時間である。

1.アグラ
3つの世界遺産がアグラにはあり、この3つともにムガール帝国が
作った。ムガール帝国はイスラム教国であるため、ここアグラは、
イスラム教信者が多い町になった。それは、ムガール帝国の首都で
あった時代が長いことから来る。現在のインドは、イスラム教15
%、ヒンズー教75%、12%がシーク教など、その他宗教である。

ムガール帝国は、ほとんどインド全土を版図とした。首都は、デリ
ー、アグラ、ファテープル・シークリー、ラホールであり、皇帝と
しては、1526年 - 1530年 バーブル(初代)、1556年 - 1605年 ア
クバル(第3代)、1628年 - 1658年 シャー・ジャハーン(第5代)
1658年 - 1707年 アウラングゼーブ(第6代)、1837年 - 1858年 バ
ハードゥル・シャー2世(最後)である。成立が1526年、1858年英国
に滅亡させられる。332年間インドを支配した。

ムガール帝国は、ガンジス川とヤムナ川周辺だけを直轄領としたが
、多くの藩国を認め封建制度を導入し、ヒンズー教国を認めて、藩
王国から税金を徴収した。これが建物にも影響しているように見え
る。

まず、ファテープル・シークリーを見学した。これはアクバル第3代
が、インドを代表する赤い石を使用し、木造建築を模した石造建築
というインドの伝統的な建築工法を導入したイスラムとヒンズーの
混合した様式でできた建物である。

第5代シャー・ジャハーンの嗜好は白大理石であったといわれ、世界
でも有名なタージマハルは大理石の白亜でシンメトリックの建物で
あり、これは中心の建物はイスラム様式である。

アグラ城は歴代ムガール王朝の都で、デリーからアーグラへの遷都
に伴い、皇帝アクバルによって1565年に着工され1573年に完成した。
その後ジャハーンギール、シャー・ジャハーンまで3代の居城となっ
た。

ここ、アグラでは3つの世界遺産を見ただけで、そのアグラからイ
ンド国鉄のデリー〜コルカタの幹線駅であるツンラに向かう。ツン
ラからバナラシへ向けて、夜8時45分のコルカタ行の夜行寝台急
行に乗ることになっていた。しかし、その時間になってもこない。
ガイドさんは、盛んに長椅子に座ることを薦める意味が分かった。
この遅れはインド時間で5時間遅れも時々あるということである。
しかし、ラッキーなことに、この列車は1時間遅れで来た。

朝4時50分に幹線駅であるムガールシャライ駅に30分遅れで着
いた。この駅の近くのチャイ(ミルク紅茶)の屋台が美味しいと、
そこに寄った。ここのチャイはインドで飲んだチャイの中で一番と
ろっと、甘く美味しかった。

2.バナラシ(ベナレス)
自動車で30分の距離にバナラシがある。バナラシは、3000年以上
の歴史があるヒンズー教の聖地、シバ神の聖都である。ガンジス川
で沐浴すれば、全ての罪が清められるし、死者の遺灰をカンジス川
に流せば、輪廻から解脱を得られるという。ヒンズー教も輪廻転生
の思想であり、この輪廻からの解脱が良いうことである。これは仏
教と同じ思想である。

このような沐浴の行為をバナラシで行うことが良いとされているが
、あと2ケ所の聖地があり、ハイドウアとイラバである。この3ケ
所で沐浴と死者の灰を流すようである。

朝5時にホテルを出て沐浴を見たが、バラモンの僧が太陽の日の出
を迎える儀式をしていたが、お香や火を炊き、毛のうちわを振り回
すなど、日本の密教寺院の儀式を想像した。そして、その沐浴にい
く人たちは、南無シバ神と唱えながら、沐浴の場所までいく。その
節回しを鈴でとる。これは読経の雰囲気であり、私もお題目を一緒
に唱えた。

火葬場も行ったが火葬中であり、僧が火の番をしていた。その周り
に家族親族が見守っていた。骨と灰になると、それをガンジス川に
流すのである。この川沿いには、ネパールのヒンズー教寺院やラジ
ェスタン州など各地の寺院があった。

このバナラシ街で一番、印象にあるのはインド的な騒然とした街の
雰囲気である。人、リキシャ、3輪タクシーが非常に多く、また物
乞い、物売りたちが多数いるが、ビックリしたのがのら牛、のら犬
が多数いて、それが人間たちと共存している。

のら牛が寄ってくるので触ろうとしたら、ガイドさんからは止めた
方がよいと注意されたが、のら牛も人間を恐れず、人間に近づいて
くる。自動車を恐れる様子も無く、道路に寝ている。自動車もその
のら牛をよけて通り、のら犬も人間が近づいても逃げようとしない。
のらヤギや野生ざるまでも町に平然として暮らしている。人間も動
物も命は同じで一緒にともに生きるという思想を感じる。しかし、
一番大きな理由は、ヒンズー教では、牛、犬、サルなど多くの動物
が神の化身とされているので、殺さないのである。

ホテルに泊まっている日本女性に聞いたら、インドに5回以上来て
いるというし、ここバラナシでは女性客が非常に多い。この雰囲気
は異空間にいる感じを受けて、共感して複数回インドを訪問するの
であろう。私もこの異空間に共感してしまった。

仏教とヒンズー教が同じルーツから出ているから、共感できるので
ある。釈迦は、ヒンズー教の第九番目の聖人でもある。ヒンズー教
にも大きな影響をしている。バラナシのインド大学内にあるヒンズ
ー教の寺院では仏教寺院の読経、声明と同じような音色を聞いた。
卍印のシバ寺院であったことも関係しているが、線香もある。リン
ガに水を掛けている。このリンガでアンコール・ワット寺院やアン
コール・トムの遺跡と繋がることになる。やっと、南伝仏教と仏教
思想史の全編がヒンズー教と繋がったようだ。

というより、民族性が高いユダヤ教を一般化したキリスト教と言う
関係と同じで、民族性の高いヒンズー教を理論化した仏教という関
係のように感じる。このため、キリスト教も仏教も広く他民族に信
仰されることになるのでしょうね。

参考:
2641.アンコールワットへ
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/L9/190505.htm

3.サルナート
バナラシの街から10分程度でサルナートに着いた。仏陀が始めて
説法をした場所である。大きなストウーバがあり、寺院がある。こ
のストウーバは6世紀にアショーカ王に作られたが、現在も残って
いる。赤レンガの建物の基礎部分だけが残っているが、昔の僧侶た
ちの修行の場所である。赤レンガがここでもチャンパの遺跡に繋が
る。

また、墓がなぜできたかも知った。ヒンズー教の高僧たちは、一部
の骨と灰を土に埋めて記念碑としていたが、それを仏教の僧たちは
全員が墓を立て、全部の骨と灰を土に埋めたことから来ていると、
ガイドさんの説明である。仏教がヒンズー教とは違うことを示す意
味もあったようだ。これが一般化したのだろう。

このサルナートでは、各地の僧侶がいて、それぞれの国の修行様式
でお祈りをささげている。その中で特異なのが、チベット仏教の一
行である。多数のろうそくに火をつけて、お祈りをしている。また
、五体投地のお祈りをしているチベット仏教の信者もいる。ストウ
ーパのへこみに、銀貨を投げ込んでいる人もいる。このようにチベ
ット仏教は本当に、ここサルナートが聖地であるようだ。

それに比べて、日本人は単なる観光であり、その気持ちが全然違う
と思った。しかし、ここサルナートは全アジアの仏教国の人たちが
一同に会する場であり、各国の仏教者の違いをここでは分かること
になる。

おそらく、イスラム教のメッカやキリスト教の聖地も同じような雰
囲気なのであろうと見た。同じ宗教者が繋がれる場所であると思う。

4.インド事情
インドの失業率は非常に高くて50%程度である。ワイロが横行し
ているなど問題が多いとガイトさんは言う。カースト制度もあるが
、現時点識字率が80%、初等教育は義務化させている。カースト
外の職業が増えている。インドは宗教と言語、階層など多様性の中
で秩序をどう維持するかの結果が、カーストなどの制度ができた理
由であろうが、徐々にその秩序より発展の方をインド国民も希望し
ているようだ。

カースト制度外職業が徐々に増えていているので、インドは発展し
てきた。特にIT系職業はカースト外であり、優秀な人材を集める
ことが出来る。バックオフィスでも同様なことになり、英語圏とい
う特徴を生かして、職業の確保を目指すようだ。英語が使えるのは
大学卒以上であり、このため、カースト外になるであろう。街では
ヒンズー語しか通じない。

しかし、インドの多様性、大らかさなど近代化にはまだ時間が掛か
りそうである。近代化することで、この異空間がなくなるなら、そ
のままの状態でいてほしいと思うのは、私だけではないように感じ
る。人間がどう生きたらよいのかという根源的な問いをインド・バ
ラナシでは感じることができる。

ガイドさんが、インドでも職業が徐々に機械化などでなくなってき
て、観光ガイドも競争が激しくなってきたと嘆いていたが、日本も
同様な状態であり、今後の職業をどう維持するのか難しい問題も提
起されたように思う。

インドの町では、ごみを道路に落としてくださいとガイドさんは言
う。街のごみを掃除するカーストがいて、その人たちに仕事を作る
必要があるためという。仕事を作ることも必要なのかもしれない。

人間の職業ポジションを守り、動物をともに生きるインド世界から
すると、機械化もよくないことと見ているが、他世界が機械化して
いるので、しょうがなく機械化しているのだ。伝統と国際化のハザ
マで苦労するのは、日本も同じである。

さあ、インドはどうなっていくのか、見てみたいですね??



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