大乗仏教はインドの仏教ではない?! From: tokumaru みなさま 井筒俊彦著「意識の形而上学」、いかがお読みでしょうか。 大乗仏教の経典である「大乗起信論」についての考察ですが、井筒 先生のおっしゃられるとおり、これは中国で作った偽書の可能性の ほうが高そうです。 そうだとすると、中国の大乗仏教のことについて予備知識があった ほうがよいかもしれませんので、私のレポートがどこまで当たって いるかわかりませんが、ご参考までURLをお届けいたします。 中国儒教文化の中で独自に発展した大乗仏教 http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k8/181005.htm 得丸 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2479.中国儒教文化で発展した大乗仏教 From: Kumon Tokumaru 皆様、ちょっと長いのですが、9月のテーマ、「大乗仏教」についてレポートが できましたので、お届けします。 大乗仏教は、東アジア儒教文化圏において、儒教にない部分(呪術)が受けいれ られました。 そして、思想としては、儒教があったために、大乗仏教としては、体系化される ことがなかった。 また、中国人に受けいれてもらうために、インド式の輪廻転生から、儒教の祖先 崇拝の死生観に宗旨変えした。 つまり、仏教として名乗っているが、実は、儒教的死生観にもとづいている、儒 教を補完するものであったという試論です。 ちょっと長いですが、お暇なかたはお付き合いください。 得丸久文 ============================== From: "MINAMI, Hiromichi 得丸さん 面白いですね。 原始仏教が、儒教と重なるところがあったゆえにいったん拒絶され、 後に大乗仏教が「中国化」「儒教化」して広がったという話は納得 します。 むかし「法華経」を読んだとき、これを著した人(または集団)の 途方もない想像力に驚くとともに、教義性のなさに愕然とした覚え があります。 それも得丸さんの説明で氷解しました。 大乗仏教が儒教化して、朝鮮半島・日本へと伸びていったのですね。 そのあとは『沈黙の宗教−儒教』に書かれている通りですね。 ちなみに、南部中国(長江流域およびそれ以南)では、道教との親 和性から禅宗(南宗)が発達しています。 鎌倉初期に日本へ伝わったのは、こちらの系統ですね。 南 ============================== From: tokumaru 南さん、 仏教塾時代のレポートを読んでいただき、さらに面白いといってい ただきありがとう。 自分なりには一生懸命に調べて書いたものですが、やっぱり誰かに 喜んでいただくとうれしいです。 それも貴兄のような西洋哲学史にも東洋思想史にも通底している人 に言われると、素直にうれしいです。 「言語アプリオリ」として井筒さんが言っておられる、「はじめに 言葉ありき」それが「意味分節理論」の中核にあるのだろうけど、 それが本当にそうなのか、本当にそうなのかどうやったら証明でき るのか、そうでないということをどうすれば証明できるのか、、、。 そんなことを考えていて、やっぱり大乗仏教自体の理解が必要だな あと考えて、3年前のレポートを思い出したのでした。 井筒さんの「言語アプリオリ」なアプローチは、おそらくすべての 知識人(と呼ばれる実践世界と無縁な学者たち)に共通なアプロー チなのでしょう。 自分自身、「言語アプリオリ」的にものごとを考えていた時期もあ ったと思うし。 悟り、覚り、さとり、、、これは一体何なのでしょうね。 意外とゴーギャンの問いへの答えかもしれないと思います。 つまり * 私たちはどこから来たのか * 私たちは何者なのか * 私たちはどこへいくのか この3つの人類についての根源的な問いの答えを得ることがさとり なのでは? 井筒さんはそのあたりどう思っていたのか。 興味があります。 個人的にはこの問いへの答えをもっていたのは、道元だったのでは? と思っています。 道元は、覚ったのなら修行せよ!修行自体が覚りであるという答え だったと思います。 ではまた 得丸