3789.日中対立の構図と中国台頭の意味



日中対立の構図と中国台頭の意味

ゆーま

今夏、私が日本へ帰国している間、中国が日本のGDPを抜いて世界第
2位の経済大国になりそうだ、あるいはすでになったというニュー
スが、毎日のように流れていた。そして9月、日中関係を揺るがし
た尖閣諸島中国漁船衝突事件が起きている。時期をほぼ同じくして
起きたこの二件のニュースの意味を、どう捉えるべきだろうか。

本稿では、第一にリアリズムの観点から、第二に世界政治の「三つ
の圏域」モデルに基づき、日中対立の構図を描き、その意味を解釈
したい。

漁船衝突事件において、多くの日本人を驚かせたのは、船長逮捕に
対して中国政府が見せた強硬な対応措置であった。我々の目には、
中国政府が事件を不可解なほどなりふり構わず拡大し、日中関係を
冷却化させたように見えた。日本側に事件拡大の原因がないと考え
るのは偏りがあるが、中国側が強硬な対日圧力をかけ続けたことが
事件拡大の背景となったのは事実である。では、中国政府による今
回の強硬な態度の源泉は一体何であり、そこから我々が読みとるべ
き含意は何なのだろうか。

そこには、様々な背景が指摘されている。共産党の正当性の維持の
ためであったという指摘や、共産党内部の政治闘争があったのでは
という分析もある。領土問題、より正確には資源をめぐる国家間の
確執の難しさを改めて強調するものもあった。大量の石油埋蔵量や
豊富な地下資源が、今回の中国をして強硬な措置を採らせたのだと
いう解釈は、疑いなく事実の一部である。しかし、ではなぜ中国は
「今回の事件でこうも強硬になったのだろうか。1978年、日中平和
友好条約の締結に際して、かつてケ小平は領土問題を「棚上げ」し
たが、それがなぜ2010年9月に再燃したのか。過去の自制された態
度をどう説明できるだろうか。反日強硬世論や党内部の事情など、
直接的な原因は多々あるだろうが、本稿ではよりマクロな視点で、
事件がこの時期に起きた背景とその意味を探ろうと思う。

私は、事件の拡大は、日中のパワーバランスのシフトを象徴したも
のであったと考える。パワーの国際的配分という「構造」の視点か
ら考察すると、事件が今後起こり得る一連の変動の「始まり」に過
ぎないということが分かるはずである。清華大学の閻学通教授は、
国家間の権力闘争は常にゼロサムゲームであると述べている。閻学
通教授によれば、国際政治におけるパワーの総量は常に一定であり
、一国のパワーの増大は必然的にその他の国々のパワーの減少をも
たらす。パワーのそのゼロサム的性質ゆえ、国際政治の領域は経済
の領域とは異なり、ウィンウィンの結果が得られ難いのである。

このことは、大国間の政治に注目したとき、より鮮明になる。小国
がその成長によっていくらかパワーを上昇させても、それは同様の
レベルにあるその他多数の小国のパワーのわずかな低下をもたらす
に過ぎず、これが権力衝突を引き起こすことは稀である。しかし大
国のパワーの増大は異なる。「大国」と称される国家は世界に数少
なく、それゆえある大国の新しいパワーの獲得は、その他の大国の
パワーを大きく削ぐことになるのである。国家が台頭する過程で他
国とパワーをめぐる構造的矛盾を生ぜしめ、それが何らかの政治的
衝突として具体化することは想像に難くない。

東アジアに視点を限定すれば、近年の急速な成長による中国の影響
力の増大は、日本の地位を下降させ、その影響力を奪っていること
が明白であった。こうしたパワーの対日相対量の増加が、中国政府
の強硬姿勢の背景にあったと考えられる。「中国のGDPがいよいよ日
本を抜きそうだ」という報道が日本国民に広く伝えられ、その直後
に漁船衝突事件が起きたことから、事件はさも両国のパワーバラン
スのシフトが顕在化したことを告げる“象徴”であったように感ぜ
られるのである。こうして、パワーに注目するリアリズムの観点か
ら考察すると、日中の対立が不可避であり、その政治的摩擦は、一
方が他方の地位に挑戦できぬことが十分に明らかになる程度にパワ
ーバランスが傾くまで、続くであろうことが予測できる。

とはいえ、二国間のパワーが逆転する過程において、両者が政治的
に対立することは必然ではない。そこには地理的近接性、歴史的経
緯、それぞれの国家的特性や国内的背景がある。日中関係に即して
言えば、パワーをめぐる構造的矛盾の他、両国の世界政治における
それぞれの“位置”が、中国と日本(ひいては米国)との摩擦を不
可避ならしめる要素となるであろう。では世界政治における“位置
”とは何だろうか。田中明彦東京大学教授の提示した「三つの圏域
」モデルを用いてこれを考えたい。

3つの圏域のモデル
出所)田中明彦『新しい中世』、日経ビジネス人文庫、2003年、224頁

田中明彦教授によれば、現在の世界政治システムはその特徴から三
つの圏域に分けることができる。田中明彦教授は上の図のように、
自由民主主義の成熟・安定度と市場経済の成熟・安定度という二つ
の基準を設置する。自由民主主義も市場経済もともに成熟・安定し
ている図右上の地域は第一圏域(新中世圏)と呼ばれ、北米、西欧
、日本等がこれに含まれる。図左下に位置する第三圏域(混沌圏)
は、民主主義どころか政治秩序そのものが与えられず、経済発展も
進まない無秩序な地域を指し、サハラ砂漠以南のアフリカやアフガ
ニスタン等が含まれる。

世界的に比重が圧倒的に大きいのが、その中間に位置する第二圏域
(近代圏)に属する国家群である。第二圏域には、政治体制は権威
主義的であるが経済はある程度安定している国家、逆に政治的には
自由民主主義体制が定着しつつあるが経済的には停滞している国家
等が含まれ、アンビバレンスな「近代的」特徴が色濃く残っている。
インド、ロシア、北朝鮮等、そして当然ながら中国もこの第二圏域
に含まれる。第二圏域に属する国家に見られる顕著な特徴は、国家
主権の重視と古典的な権力政治観の継続である。これらの地域には
伝統的なパワーゲームのルールが強く残っており、特に権威主義的
国家の指導者は、軍事力の行使を紛争解決の手段として重視してい
ることが多い。

中国はまさにそのような国家の典型例である。事件における一連の
強硬措置によって、中国はソフトパワーを著しく低下させた。日本
政府の中国に対する「屈服」は間違いなく日本の国家威信を減ぜし
めたけれども、しかしながら中国の対外威信を向上させたわけでは
決してない。むしろ中国の覇権的な姿勢に対する警戒心を喚起した
という点で、中国のイメージにはマイナスの効果が働いたはずだ。
では、中国はソフトパワーを重視していないのだろうか。そうでは
ない。中国政府は国家を挙げてソフトパワー政策に取り組んでいた。
問題は、中国がソフトパワーをパワーポリティクスの次元において
しか捉えていなかったことだ。中国は伝統的な権力政治観を信奉し
、ソフトパワーを、ハードパワーを補充する国力の一部としてしか
位置付けていない。

伝統的な権力政治観は、紛争解決のため最終的にはハードパワーを
使用すること、その際ソフトパワーを犠牲にしてでも国益を確保す
ることを要求する。中国政府は、日本人に屈辱を与えても、また自
国のイメージを損なってでも、一歩も妥協せずに目的の達成を重視
したのである。このような国家は、平時においてはソフトパワー政
策に力を入れているが、「核心的国益」に触れる事態が起きた場合
、即座に物質的な力に道を譲り、それを用いようという誘惑に駆ら
れてしまう。このことは日本にとって、極めて深刻な意味を持つ。
なぜなら、赤裸々なパワーポリティクスの世界に住む国民に挑まれ
た場合、日本人が望むと望まざるに関わらず、その土俵の上で対応
せざるを得ないからだ。

日中対立の背景には、第一にパワーをめぐる構造的矛盾が、第二に
両国の世界政治における“位置”の問題がある。中国がいわゆる第
二圏域に属する国家であり、古典的パワーゲームのルールに従う国
家であることが、両国の摩擦を激化させずにはおかないのである。
中国の台頭とは、古典的な権力政治観を信奉する国家の国際政治経
済に占める比重の劇的な増大であり、日中対立の意味とは、そのよ
うな国家と、彼らのルールの上で接することを恒常的に迫られると
いうことである。漁船衝突事件は、今後の大事件の「始まり」に過
ぎない。中国の台頭は、米国の地位にとっては「潜在的な挑戦」で
あるが、東アジアにおける日本の地位にとってはすでに「現実的な
挑戦」となったのである。




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