3759.「朝鮮人」がなぜ蔑称とされるのか



「朝鮮人」がなぜ蔑称とされるのか 

「朝鮮人」の読みかたの違いだと思います。 
われわれ日本人は「チョーセンジン」と読みますが、彼ら朝鮮人た
ちは「チョソニン」と読むようです。(淵より) 

今から10年ほど前、できたばかりのMSNチャットで、韓国に住
む二十代の韓国人たちと、英語で議論をする機会がありました。
当時のMSNチャットでは、世界中の人びととリアルタイムで議論
をすることが可能でした。(現在はありません) 

そのとき、「どうして民族名であるチョーセンジンを使っちゃいけ
ないのか?」と彼らに尋ねてみたところ、「チョーセンジンが朝鮮
人を意味するとは初めて聞いた」と答えられ、愕然としたことを覚
えています。 

もちろん、彼らがレアケースだったのか、一般の韓国人たちもそう
であるのかは定かでありません。少ない事例からの一般化は、用心
しなければなりません。 

しかしながら、よく考えてみれば、私たち日本人が「チョソニン」
と聞いても、何のことかサッパリ分からないように、彼ら朝鮮人た
ちにしてみても、「チョーセンジン」と聞いてサッパリ分からない
んじゃないでしょうか? 

もしも、朝鮮人たちの多くが「チョーセンジン」とは朝鮮人の読み
方にすぎない、という事を知らなかったものと仮定すれば、それを
口にするときの日本人たちの顔の表情や声の調子、あるいはまた、
叱られる場面でよく使われた、などの諸情報から類推して 

「何だかよくわからんが、チョーセンジンとは、われわれを軽蔑す
るコトバであるに違いない」と思ったとしても、不思議ではないと
思います。 

「朝鮮人=チョーセンジン」の等式が私たち日本人にはあまりにも
自明すぎて、もう一つの真実である 
「朝鮮人=チョソニン。朝鮮人≠チョーセンジン」 
が見えてなかったのかもしれません。 

さらに言えば、朝鮮人たちは自分の耳で聞いた経験知としての「チ
ョーセンジン」(それは「朝鮮人(チョソニン)」とはまったく別
物)を問題にしているのに、それに対して私たちが、辞書的な知識
としての「朝鮮人=チョーセンジン」を持ち出してきて「そうじゃ
ないよ」と言ってみたところで、噛み合わないのは当然かもしれま
せんね。(淵より) 
淵 


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