3761.Re: 韓国の日本統治について



Re: 韓国の日本統治について

皆様

1949年に出版されてベストセラーになった藤原てい
の『流れる星は生きている』(中公文庫、1976年/
2002年改版13刷)を読んでいたらこんな箇所があり
ました。

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 私たちは日本人と呼ばれた。当り前のことである
から誰も腹を立てる者はいなかった。それなのに、
私たちが、朝鮮人というと、彼等は非常に腹を立て
た。それで、彼等の感情を刺激しないためにも、私
たちはこちらの人と呼ぶことにきめていた。でもう
っかりすると、すぐ、朝鮮人と口から出てしまう。

(p.60)「こちらの人」に傍点ルビ
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これはやはり当時、多くの日本人が「朝鮮人」を、
蔑称として使っていたからのような気もします(正
式?な蔑称として「チョン」や「チョン公」などが
あったらしいのですが、そういう問題ではなく、相
手がそう感じたのであれば、こちらが意識していな
くてもこの問題はあったことになってしまうでしょ
うから。

日本語の「日本人」に日本人が怒らないのは当然で
すよね。韓国語で「倭奴」(=日本、これ自体が蔑
称といえば、蔑称ともいえますが?)とか「チョッ
パリ」(書いてはみましたが、よく知りません)と
言われたのではないのでしょうから。


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「日本人、ほんとうに気の毒だと思っています。だ
が、今あなたにものを上げると、私は村八分にされ
ます。今まで私たちが苦労していたのは日本の政治
が悪かったからだと、日本人をみんな恨んでいます。
でも、あなたがたにはなんの罪もありません。今、
私がものを捨てますから、あなたは、それを急いで
お拾いなさい」
「ありがとう、ありがとう」
 私は何べんも頭を下げて、道へ出て待っていた。
主婦はパカチ(朝鮮の器)へいっぱいに、御飯と、
朝鮮漬けと、みそを入れて運び出して来て、私の目
の前のヤブの中へ置いた。そして、後を見ずに、さ
っと家の中へ入ってしまった。
「ありがとう、ありがとう……」
 私はふるえる手で、パカチから持っていたふろし
きの中へそれをあけた。何日ぶりで、いや、何ヶ月
ぶりで触れることのできた米の粒であろう。

(p.157)二箇所出て来る「もの」に傍点ルビ
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この場面に登場する主婦は、日本人に同情的ながら
「日本の政治が悪かった」と言っています(藤原て
いの意見?)が、日本統治に対する台湾と朝鮮の人
々の意識の違いは、統治方法の違いというよりは、
それ以前からすでに存在していた日本人の対朝鮮人
観(と、当然あった朝鮮人の対日本人観)によるも
のが、ぬぐい去りがたくあったのではないでしょう
か。
            盛
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From得丸公明

皆様、

「流れる星は生きている」は10年以上前に読み、結構感動した記憶があります。

盛さんの引用を読んで、疑問がわいてきました。

(1) 台湾では、現地の人たちのことを「台湾人」と呼んでいたのでしょう
か。それで現地の人が怒ることはなかったのでしょうか。

(2) 朝鮮人のことを朝鮮人と呼ぶことがどうして蔑称となるのか、いまひと
つ理解できません。朝鮮人の気持ちがわかりません。朝鮮人はどう呼んでほし
かったのでしょうか。「こちらの人」というのがよいとも思えませんが。


> ----------------------------------------------
>  私たちは日本人と呼ばれた。当り前のことである
> から誰も腹を立てる者はいなかった。それなのに、
> 私たちが、朝鮮人というと、彼等は非常に腹を立て
> た。それで、彼等の感情を刺激しないためにも、私
> たちはこちらの人と呼ぶことにきめていた。でもう
> っかりすると、すぐ、朝鮮人と口から出てしまう。
>
> (p.60)「こちらの人」に傍点ルビ
> ----------------------------------------------

他に僕の記憶には、終戦後すぐに作られた38度線に、ソ連兵がいて、朝鮮人は通
さず、日本人だけ通したといった記述が残っています。これは南北朝鮮の分断
が、終戦前に決められていて、朝鮮人は領土に帰属するものとして自由に38度線
を越えられなかったということですよね。

管総理の談話のときにも思いましたが、去年ソウルの戦争博物館で見学した戦後
の戦火や謀略やテロの歴史を考えると、日本の一部であった時代のほうが平和
だったんじゃないかなという気がするのですが、そういうふうにいうと、朝鮮人
は怒り出すのでしょ。でも、怒るのではなく、冷静にどうして日本占領時代のほ
うが平和だといってはいけないかを具体的に教えていただきたいものです。


得丸
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得丸様、盛様、みなさま

日本が支配した植民地は台湾、朝鮮、南樺太
の3地域。このうち最も長かったのが台湾でした。

台湾と朝鮮と、同じ日本統治だったのに、何ゆえに
対日観に斯くも大きな違いが生じたかについて、
私見を言えば、国家と国家の一地方との差が
根底にあったことが、軽視されざるべき問題として
あるのではないでしょうか。

朝鮮の人が「朝鮮人」と言われてハラを立てたとは
おかしい。それは、今日まことに自然な疑問であり
ましょうが、戦前・戦中に大人だった人たちが
「朝鮮人」と言ったとき、多くの場合、さげすみの
気持ちを嗅ぎ取ったからではなかったか、と思うのです。
「鮮人」という時の響きと、ほとんど違いがなかった
のではないでしょうか。柳宗悦のような人が「朝鮮人」
と言ったのとは大いに違ったのだと思います。

在米1世の老人の話を85年頃に聞いたことが
ありますが、アメリカ人がJapaneseと言うときの
さげすみの響きを、それがJapsという言葉では
なくても感じざるを得なかった、と言うのでした。
そのように感じたというのは、1世世代の置かれた
社会的・経済的環境抜きでは考えにくいことでも
あったと思います。

たとえはうまくないが、公園のホームレスに向かって、
「浮浪者」と言えば、まともな人なら怒ります。
浮浪者に対して、社会的・経済的に決定的
といえるほどの優位にある人間が言うからでしょう。
仲間が言うのとは違うのではないでしょうか。

朝鮮が日本の支配下におかれていたからこそ、
日本人に「朝鮮人」と呼ばれることに不快な感情を
抱いたのではなかったでしょうか。これを被害者
意識と言って言えなくはないでしょうが、それは
我々から言うことではないと思うのです。

独断と偏見であえて言えば、日本に「併合」されて
いた時の方が、戦後の朝鮮より平和で、安定して、
幸せだった、と外形的には言えるとしても、それを
「奴隷の幸せ」と見る立場からは、首肯しがたい
ということになるのでしょう。

台湾で台湾人、と言って怒られた、という話は、
戦前に台湾総督府の下僚をしていた知り合いの
老人からも聞いたことはありません。台湾生まれの
日本人の親睦組織が「湾生会」と称しているように、
この人たちもまた、台湾生まれであることを今でも
誇りに思っているのです。

朝鮮生まれの人たちの間に、類似の組織が
あるとは聞いたことがありません。統治に当たった
日本の役人たちも、台湾と朝鮮とでは、戦後の
思いに差があるように思います。台湾OBたちは
親睦会を続けている人があるのに比べ、朝鮮OBに
そういうノスタルジーの会があるとは聞いたことはあり
ません。あるとしても、こっそりやっているだけなのかも
知れません。

植民地の人々がどういう感情を持つものなのか、
アタマでしか考えられないし、そのアタマも独断と偏見と、
それを育んだ教育と生育環境の産物ですから、
大きなことは言えません。上記は、重い問いに刺激されての
想念です。

岩村
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岩村様、盛様、みなさま、

岩村さんのおっしゃることは、(1) いかに不自然であろうとも、先方が「朝鮮
人」を蔑称と感じているならそれは蔑称である、(2) 「朝鮮人」がそのような意
味をもつのは、日本支配が原因ではないか、というところでしょうか。

たしかにそうかもしれません。しかし、私の疑問である、「では、いったいどう
呼ばれると、蔑称とは受け止められなかったか」はみえてきません。

ここで、「ことば」は、音韻符号列でしかなく、純粋な「表現型(phenotype)」
(シニフィアン、指し示すもの、とほぼ同義)であることを思い出す必要があり
ます。

純粋表現型であることばに意味が生まれるのは、それを受け止めた人間の意識
(記憶)の中に、表現型を遺伝子型に翻訳する回路があるからでしょう。

何が蔑称で、何が蔑称でないかを決めるのは、朝鮮人の長期記憶、概念体系です。

藤原ていさんたち日本人は、その概念体系にひっかからない表現型として「こち
らのかた」を使った。日本から移住してきた人たちにとっては、日本人との違い
を表現する必要があったから、何かの記号は必要であったので、目立たない記号
を生み出したわけです。でも、これだって、時間がたって、朝鮮人がそれを自分
たちを指す記号だと理解したら、蔑称というかもしれません。


日本の生活や人情を知っている人が、朝鮮で何かちがうものに驚いたり気づいた
ときに、「朝鮮人は」、「こちらの方は」と口にすると、それが蔑称になるとい
うのは、植民地支配という政治的関係性ゆえにそうなるという可能性もあります
が、実際に日本人の生活や人情が朝鮮人のそれと違っていたとすると、単なるひ
がみ、劣等感、という可能性はないでしょうか。

そのひがみや劣等感も、日本の占領が原因であるからだといえないことはないで
すが、昨年の合宿で学んだことは、半島という地政学的に不利な場所は、この
2000年間に、およそ2年に一回の割合で外国から侵攻を受けてきたという歴
史的事実です。それが朝鮮人の意識構造に影響を与えなかったとは思えません。

盛さんは、日本支配下でも、そのような感情があったのは、日本支配がよくな
かったからだという例として、ご紹介くださったのだと思います。その可能性が
ゼロだとはいいません。でも、昨年の巡検で思ったことは、日本占領下が一番平
和であったということです。日本支配が終ったあとこそ、悲惨を極めた分断、全
国を焦土とした戦争、今日にまで続く停戦期間中も度重なるテロや襲撃、もうめ
ちゃくちゃです。(梁石日の「Z」は、それを感じさせます)

戦後、日本人を助けたら村八分になるという話は、日本各地でいまだに駅前には
パチンコ屋がたくさんあるという現実を思い出させてくれます。たまりたまって
いたひがみや劣等感が、ここぞというときに火事場泥棒的な犯罪行動を取らせた
のではないでしょうか。これも日本支配が悪かったからというよりは、半島とい
う地政学的劣位にある場所で生きてきた民族の負のDNA(民族記憶)の働きだ
と思います。

戦後の日本で、昭和35年あたりに3年間で10万人の在日朝鮮人が、自ら進んで北
朝鮮に渡ったのも、日本社会が差別したからというよりは、北朝鮮が嘘の情報を
流したものを真に受けて、自発的に拉致されたと考えます。嘘でも飛びついた、
民族の意識構造が哀れです。

今年の台湾巡検で私が思ったのは、台湾人の親日は、台湾という土地(地政学的
な位置関係)・自然・環境・気候・風土に根ざしたものであるということです。
日本の植民地政策の違いだけで、あれだけの違いは生まれないと思いました。


得丸公明
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Delicacy と indelicacy の間には何が存在するのか。今の中国政
府と日本国民との間に相似形。
浅山
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浅山さま、岩村さま、皆様、

今日は珍しく家人が見ているテレビを間接視聴しましたが、今回の尖閣の漁船の
事故・逮捕は、はじめから中国政府が仕組んだのではないですか。

たとえは下品ですが(しかし、中国政府が仕組んだのであれば、実に下品だとい
うことになりますが)、やくざの当たり屋に車をぶつけられたようなものではな
いでしょうか。

それならそれで、国際法上もっともな理由をつけて、弱腰・逃げ腰で「君子危う
きに近寄らず」と決め込むほうがよいのでは?と思いました。

浅山さんのコメント、そもそもの岩村さんの引用の意味も不明ですし、何がデリ
カシーなのか、何と何の間の話なのか、どこがどう相似なのか、まったく意味不
明で、私にはさっぱりわかりませんが、もし一般的に理解できそうな説明が可能
なのでしたら、お願いします。

得丸
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得丸様、皆様

雨の中『アメリ』の監督作品!と、勇んで『ミック
マック』に行ってきましたが、小道具ばかりが目に
つく(だから面白がる人も多そうな気もするのです
が)私にはちょっとハズレの映画でした。

ところで、蔑称についてはいくつか書きたいことも
あるのですが、それは相変わらずうまくまとめられ
そうにありません。

なので、とりあえず私の名前が出たところの返事か
ら。

> 盛さんは、日本支配下でも、そのような感情があったのは、日本支配がよくな
> かったからだという例として、ご紹介くださったのだと思います。その可能性が
> ゼロだとはいいません。でも、昨年の巡検で思ったことは、日本占領下が一番平

私は必ずしも日本支配がよくなかったとは思ってい
ませんし、また、そういう例として紹介したつもり
もありません。

蔑称が生まれた(というか、そういうふうに認識さ
れてしまう)背景は、日本統治の違いにあるのでは
なく、もっと昔からある(これは秀吉の朝鮮出兵あ
たりにまで遡れるでしょうか? いや、もっともっ
と昔からなのかもしれません)日本と朝鮮との関係
に根ざしたものだろう、と書いたつもりでしたが?

もっとも私が、
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日本語の「日本人」に日本人が怒らないのは当然で
すよね。
----------------------------------------------
と、つい書いてしまった部分は撤回した方がいいの
かもしれません。悪意を持って言われ続けていたら
いくら日本語の「日本人」であっても、その先に話
者の姿がちらついてきて、そう平然としてはいられ
なくなってしまうでしょうか。

言葉がそこまで純粋に機能することなどほとんどあ
りませんものね。先日、鈴木孝夫先生もおっしゃっ
ていましたが、同じ言葉がいい意味にも悪い意味に
もなることはいくらでもありますから。

ですから、私は何かというとすぐ言葉を変えようと
する風潮(最近では「老人」という言葉まで問題に
なっています)には反対です。

> たしかにそうかもしれません。しかし、私の疑問である、「では、いったいどう
> 呼ばれると、蔑称とは受け止められなかったか」はみえてきません。

差別語が論争になる度に感じることですが、これは
同じ言葉を使っても、自分は差別などしていない、
とはっきり思えれば、そして、多くの人が次第にそ
うなることでしか消えていかないでしょう。

> 何が蔑称で、何が蔑称でないかを決めるのは、朝鮮人の長期記憶、概念体系です。

> が、実際に日本人の生活や人情が朝鮮人のそれと違っていたとすると、単なるひ
> がみ、劣等感、という可能性はないでしょうか。

これはやはり相対的なものが根底にあるのだと思い
ます。

> 藤原ていさんたち日本人は、その概念体系にひっかからない表現型として「こち
> らのかた」を使った。日本から移住してきた人たちにとっては、日本人との違い
> を表現する必要があったから、何かの記号は必要であったので、目立たない記号
> を生み出したわけです。でも、これだって、時間がたって、朝鮮人がそれを自分
> たちを指す記号だと理解したら、蔑称というかもしれません。

(得丸さん、すみません。細切れに、また順番も入
れ替えての引用を続けてしまって)

それはそうなるでしょうね。自分たちを指す朝鮮人
という意味そのものでなく「朝鮮人と言っている日
本人」を問題にしていることになりますから。

たとえひがみや劣等感からのものであっても、言葉
に反応してくるということは、発信者との関係がそ
の都度問われることになります。ですから、発信者
は自分の言葉がどういう意味を持つのかという覚悟
は必要でしょう。

喧嘩は覚悟を持ってすればいいんです。最初の予想
通り、話がまとまらなくなってきたので飛躍させち
ゃいました(誤解を解くだけのメールにしとけばよ
かったかしらん)。

             盛
==============================
盛さん、

蔑称の問題は、ややこしいのであまり長くかかわりたいとも思いませんが、対話
を始める気持ちが双方に必要なのでしょうね。だからやっぱり難しいですね。

もともとヒトはゼノフォビア(xenophobia, 外国人嫌い)で、内輪の者とよそ者と
で態度をまるっきり変えるという本性をもっているようですから、ヒトとヒトが
出会えば、支配服従か、戦争の関係が生まれるのかもしれませんね。

得丸



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