3744.岡ノ谷一夫著「言葉はなぜ生まれたのか」



きまじめ読書案内 岡ノ谷一夫著「言葉はなぜ生まれたのか」(文芸春秋、2010年、1500円)
From:得丸公明

皆様、

 今年の夏に上梓された岡ノ谷一夫著「言葉はなぜ生まれたのか」の帯には「最
先端科学が人類進化最大の謎を解き明かす」とあり,動物や鳥の音声通信に造詣
の深い著者が「ことばは歌から生まれた」とする仮説を紹介しています.

 すでにお読みの方もおられるかと思いますが,本書は「歌と言葉」,「言葉と
文化」の関係を考える上で参考となるように思いますので,岡ノ谷さんの主張と
その問題点を整理しておきたいと思います.


1 論の進め方

 岡ノ谷さんは,冒頭で「なぜ人間だけが『ことば』を使うのだろう」,「『こ
とば』は,なぜ生まれたのだろう」と問題提起を行なっています.ことばも鳴き
声も「口から音を出し,それを耳で聞くことによって仲間とコミュニケーション
する」点で同じだが,4つ違いがあるという.4つとは,(1) 発声学習,(2) 符
号と意味の結びつき,(3) 文法, (4) 社会性です.

 そして「この4条件を満たしているかどうかが,動物の鳴き声と人間のことば
のちがい」であるとして,「4条件の一部をもつ動物の鳴き声を研究していけ
ば,ことばの起源がわかるかもしれ」ないと主張しておられます.

(1) ヒトは発声学習をするが,多くの動物は生まれつき出せる鳴き声が決まって
おり,新たな鳴き声の出し方を学ぶことができない.

 発声学習ができるのは,オウムなどの鳥類,イルカやシャチなどの鯨類,霊長
類ではヒトだけである.

(2) ヒトの単語は意味と対応している.
 
 デグーの鳴き声は17通りだけだが意味をもつ.ただデグーは嘘をつくことがで
きない点がヒトと異なる.

(3) ヒトは単語を組み合わせて意味のある文章をつくるための規則,文法をもつ.

 ジュウシマツの求愛の歌は周囲のオスがうたう歌のなかから,メロディの一部
を切り取り,それを張りあわせて,自分独自の歌文法を完成させる.

(4) ヒトはことばで社会関係をあらわす.ニホンザルにも集団の序列はあるが,
鳴き声は序列に関係ない.

 ハダカデバネズミは鳴き声によって社会関係を表現する.

 これらの検討の結果,ヒトはミュラーテナガザルのように歌うサルであり,
「歌のなかから単語が切り出されて」ことばが生まれたという仮説を提唱してい
ます.


2  4条件は妥当か

「ことばが歌から切り出されて生まれた」という仮説自体は興味深いですが,そ
もそも4つの条件である「発生学習,意味との対応,文法,社会性」がヒトに固
有であるのかを確認しておく必要がある.

 まず,(1)の発声学習は,ことばをもつヒトも,ことばをもたない鳥や鯨類も
行なっています.

 (2)も,ことばの場合は単語が意味と対応しますが,じつはデグーに限らず
「鳥も,サルも,昆虫も,それぞれ仲間同士で通信をするのであり,これらのど
の通信においても,当の符号体系を知らされている仲間たちでなければ理解でき
ない信号やシンボルが多少とも使われる」(N. Wiener, "人間機械論")のであ
り,動物の鳴き声も意味と対応します.

 ことばも鳴き声もともに意味に結びつくとすれば,(1)と(2)を鳴き声とことば
の違いとすることには問題があるのではないでしょうか.

 (3)でジュウシマツは「歌文法」をもつといいますが,ジュウシマツは音響的
なつなぎかえを行なって求愛の歌を魅力的にしているだけであり,「歌文法」が
意味を変容させているわけではありません.文法というよりは,表面的な装飾効
果にすぎないといえます.

「文法とは,わずかな音韻符号の付加・変化によって,意味の接続や変化や修飾
を行なうこと」と定義すれば,文法はことばに固有といえるでしょう.なぜヒト
だけが文法をもち,文法が生まれたことによってどのようにヒトが進化したのか
を追求する必要があります.

 (4)で岡ノ谷さんは,集団内部の社会的関係が音声言語で表現されるのは,ヒ
トとハダカデバネズミの特徴だといいます.

 ハダカデバネズミは,生まれてから死ぬまでの間ずっと東アフリカの熱帯サバ
ンナの地下にはりめぐらした真っ暗なトンネルの中で生活し,きわめて音声通信
が発達している動物です.でも,デグーと同じ17の音声符号しか使いません.

 つまり社会性を音声で表現するのは,鳴き声とことばの違いとして扱うべきで
はないということではないでしょうか.

 こう考えてくると,岡ノ谷さんがあげた4条件のうち,ことばと鳴き声の違い
と呼べるものは,わずかな音韻変化で意味を接続・変化・修飾する文法だけだと
いうことになります.


3 ことばは歌から生まれたか?

 岡ノ谷さんが,「ことばは歌から生まれた」というとき,2の4条件が前提と
なっているわけではありません.やや論理性を欠いた,循環論法的な説明が行な
われています.

「ある者が,『今日はみんなでマンモスを狩りにいこう』という意味の歌をうた
いました.

 別の者は,『あっちの草原でシマウマを狩ろう』という歌をうたいました.

 お互いに別の歌をうたっているうちに,ふたつの歌の中の重なり合う部分が切
り出され,このかたまりに『狩りをしよう』という意味がついたのではない
か?」というのです.

「あるいは,『今日はみんなでマンモスを狩りに行こう』『マンモスを食べよ
う』というふたつの歌の共通部分が切り出され,『マンモス』という単語が生ま
れたのではないか?」と岡ノ谷さんは説明しておられます.

 この説明は,ことばが生まれる以前の歌が文法的に構文されたメッセージを伝
えていることを前提としています.ことばがヒトに固有で,その特徴が文法によ
る意味の接続・変化・修飾であるとすれば,単語の生まれる前に文法が存在する
という説明になるのでおかしくないでしょうか.

 フランス啓蒙思想家コンディヤックが「人間認識起源論」の中で書いているよ
うに,まず概念が生まれ,文法は後になって生まれたと考えるほうが自然ではな
いでしょうか.


4 歌がことばを生みだす経緯

 岡ノ谷さんの説明にはこうして疑問視し批判すべき点がいくつかあるのです
が,筆者があえて紹介するのは,ことばも歌も音であるということがとても重要
だと思うからです。

 そして,「ことばは歌から生まれた」という仮説自体は,どこかしら真理を帯
びているように感じさせる.魅力のある仮説です.

 3で批判したところ以外にも,岡ノ谷さんは本書の中でそれを端的に言語化し
ています.

「日本語の場合,まず『五十音』があり,五十音が組み合わさって単語になり,
単語がつながって文章になって」いるという指摘です.

 歌うサルであったヒトは,ライオンやインパラ,川や海や山,雨や雷や風や夕
暮れといった存在や現象を,歌にしたと考えられます.自然の存在や現象の音ま
ね(音表象)を歌にして,みんなで声を合わせて楽しむことを通じて,五十音,
すなわち鈴木先生がおっしゃる「空の記号」を獲得したのではないでしょうか.

 自然には子音しかありません.また音響暗室のような洞窟の中のコミュニケー
ションであれば,子音でまかなえます.

 ヒトが母音を話すためには,喉頭が降下して,肺からの呼気が口を経由して出
る必要があります.このために,ヒトは食べ物が喉につまって窒息死したり,食
べ物滓が肺に混入して肺炎になったりと,生命の危険をおかすようになりました.

 これはことばにおいては,はじめに静かな洞窟の中だけで使われた子音が生ま
れ,遠くまで音声を伝えることのできる母音が生まれたのは後になってからだと
考えられます.

 鈴木先生は,動物の発声とか記号は欲望とか内的状態と直接結びついていると
おっしゃいます.そしてヒトの言語にみられるように「記号が恣意的になるため
には,記号だけが独り立ちして,空の記号ができなければいけない」といわれま
す.鈴木先生は「空の記号」を「内容がゼロの音声」とも呼んでおられます.

「五十音」こそ内容がゼロの音声ではないだろうか.

5 赤ちゃんを可愛がることで「空の記号」を反射的に使えるようになる

 ヒトの赤ちゃんは大きな声で鳴きます.洞窟のように安全な環境に住んだから
可能となったことでしょう.これはお母さんに面倒をみてもらいたいからだとい
います.またお母さんの陣痛がひどいのは,ちゃんと赤ちゃんの面倒をみなさい
と自然が命じているのだといいます.

 ヒトの赤ちゃんは,生後1年間ほぼ寝たきりのまったく無力な状態で過ごすこ
とによって,脳は母胎内にいるときと同じ速度で成長します.そして他の大型霊
長類にくらべて4倍も大きな脳を獲得しました.

 赤ちゃんの急速に成長する脳に向って,親や周囲の人々がことばを語りかける
と,その刺激によって,赤ちゃんは母語の離散的な音節を反射的に聞き分けて処
理できるようになるといいます.

 空の記号と,空の記号を反射的に処理する脳を獲得して,人は複雑で精巧な文
章を一回聞くだけで,文章を頭の中で復元することができるようになりました.
そのために,わずかな音節からなる文法語を使って,意味を接続・変容・修飾す
ることが可能になったのです.

「五十音」を獲得したことで,それを重複順列によって組み立てて単語が生ま
れ,まず単語は五官の記憶と結びつけられて概念となりました.

 その後概念をつなぎあわせ意味を変容させる共通規則である文法が生まれ,概
念を文法によってつなぎ合わせることによって複雑・精巧なメッセージを紡ぐこ
とができるようになりました.また,ヒトの五官では知覚できない歴史概念や科
学概念などについても,五官の記憶と結びついた概念を,文法によって方程式の
ように関係づけて,抽象概念を構築できるようになりました.


6 歌はことばの素,ことばは音楽の素

 4で論じたように,単語を構築する最小単位である「空の記号」,つまり五十
音のような音節(音響信号)は,歌あるいは自然の音表象が生みだしたと筆者は考
えます.歌がことばの最小単位である「空の記号」を生みだして,ことばが誕生
した.

 しかし音楽は,ことばをベースにして,訓練や稽古を続けることで伝承される
文化でないでしょうか.文化は,ことばによって伝達される情報であり,その情
報を処理するヒトの身体や精神を高次な存在へと高めます.ことばは文化の基盤
を形成します.文化はことばという基盤の上にあって,身体と精神を高める,人
間に固有のものではないでしょうか.

 生物にとって細胞核内のゲノムが記憶を伝えるように,文化はヒトが人間にな
るための記憶を伝えます.文化とは,人間そのものであり,記憶・伝承・習得・
実践・刷新などの広い分野にわたる人間の活動を包括的に指し示すことばといえ
ます.文化は,遺伝情報が転写,転写後修飾,アミノ酸への翻訳,タンパク質三
次元構造への折り畳みなど,再生と進化に関するさまざまな活動に関わるのと同
じくらい幅の広い概念ではないでしょうか.

 いうならば,ヒトは文化するサルです.ことばも,ヒトが文化的に自らの精神
と肉体(運動制御や感覚の鋭敏さも含めて)を高めるために存在するツールと考え
るほうがよいのではないでしょうか.
 
 そして,ヒトの文化発展にとって最大の敵は,ヒトの精神と身体の鍛錬や稽古
を阻害するものであり,たとえばヒトを文化発展の余地を狭める文化的生産物の
消費者に貶める行為かもしれないと思いました.


得丸公明
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岡ノ谷一夫著「言葉はなぜ生まれたのか」の4つの条件を修正する
From:得丸公明

皆様、

せんだってご紹介した岡ノ谷先生の議論のおかしさは、ヒトの言葉の4条件が、
じつはヒトに固有な条件ではないところにあります。ヒトのことばに固有な条件
を見つけて議論をすれば、もっとすっきりとした議論になるでしょう。

得丸公明


岡ノ谷一夫著「言葉はなぜ生まれたのか」の4つの条件を修正する

はじめに:歌⇒ことば⇒音楽
 今年の夏に上梓された岡ノ谷一夫著「言葉はなぜ生まれたのか」の帯には「最
先端科学が人類進化最大の謎を解き明かす」とあり,動物や鳥の音声通信に造詣
の深い著者が「ことばは歌から生まれた」とする仮説を紹介している.「歌と言
葉」,「言葉と文化(音楽)」の関係を考える上で参考となるので,著者の主張と
論理展開を本稿の主題に沿って整理する.

1 ことばが「わかる」ことと「話す」ことは別の神経作用
 岡ノ谷は冒頭で「なぜ人間だけが『ことば』を使うのだろう」,「『ことば』
は,なぜ生まれたのだろう」と問題提起を行なっている.そして子供の頃に飼っ
ていたハムスターやシマリスが著者のことばを理解したと思える体験を紹介しな
がら,「ハムスターやシマリスが私のことばを本当に理解していたとは思えませ
ん」と,自らの体験を否定している.

 研究の出発点において岡ノ谷は,飼育している動物がことばを理解できないも
のと決めつけている.しかし,構音・発声と聴覚・理解が別々の神経活動である
ならば,ことばを発することはできなくても,聞いて理解することはできる.愛
玩動物の行動パターンを考えると,そのほうがぴったりくる.すると冒頭の疑問
は,「なぜ人間だけがことばを『話す』のだろう」という音韻論の問題に絞りこ
める.

2 4つの条件
 岡ノ谷は,ことばも鳴き声も「口から音を出し,それを耳で聞くことによって
仲間とコミュニケーションする」点で同じだが,ヒトのことばは,(1) 発声学
習,(2) 符号と意味の結びつき,(3) 文法, (4) 社会性があるという.そして
「この4条件を満たしているかどうかが,動物の鳴き声と人間のことばのちが
い」であるとしたうえで,この4つの条件それぞれはヒトに固有のものではな
く,個々の条件を満たしている動物はいるから,「4条件の一部をもつ動物の鳴
き声を研究していけば,ことばの起源がわかるかもしれ」ないと主張する.これ
はかなり荒っぽい議論である.

 それぞれの条件についてもう少し精査して,ヒトに固有の条件を見つけたほう
が話が早くないだろうか.

 まず,(1)の発声学習は,ことばをもつヒトも,ことばをもたない鳥や鯨類も
行なっているので,ヒトに固有の現象ではない.だが,離散的周波数成分をもつ
「空の記号」(音節)を発声し,それを離散的に聞き取る聴覚をもつところは,ヒ
トに固有である.ヒトの喉頭降下と口呼吸が,母音のフォルマント周波数を生み
だすためのヒト特有の解剖学的特徴であることにも注意を払うべきである.類人
猿や他の哺乳類がことばを話せないのは,この構造をもたないからだ.

 (2)の符号と意味の結びつきは,すべての音声通信を行なう動物に共通であ
る.ことばや鳴き声や外界刺激を意味へと結びつけるのは,ヒトを含めた動物の
生存本能である.ヒトの概念も,単語を五官の記憶と結びつけたものだ.

 意味とは記憶であり,記憶には遺伝子によって伝えられる本能に由来するもの
と,生後の知覚と判断に基づく知能由来のものがある.種によって本能と知能の
優先性や割合が異なるものの,生命の生存本能として知能はすべての動物に備
わっていると考えられる.

 内耳有毛細胞からいくつかの神経核を経由して大脳皮質一次聴覚野へと音響刺
激が伝えられて処理される聴覚メカニズムは,ヒトもヒト以外の動物も同じであ
る.ヒトが飼育している動物がことばを聴き覚える基本的な仕組みが,ヒトと同
じであることはパブロフの条件反射実験からも読み取れる.ヒトの単語に限ら
ず,動物の学習においても,記号の意味は恣意的である.

 自由に符号を作り出す能力はヒト固有である.これは意味から独立した「空の
記号」を獲得したためである.

 (3)で岡ノ谷はジュウシマツが鳴き声の部分(チャンク)を組み替えてより魅力
的な求愛のメロディをつくりだすことを「歌文法」と呼ぶが,短い符号をつない
で長いメッセージとするところ(分節化)はヒトと同じだ.ヒトの文法が生得的で
あるとする生成文法論と結びつく.ヒトも,概念を文法によって組み替えて,複
雑で精巧なメッセージを紡ぎだす.

 しかし「文法とは,わずかな音韻符号の付加・変化によって,意味の接続や変
化や修飾を行なうこと」と定義すれば,文法はことばに固有といえる.なぜヒト
だけが文法をもつことができたのか,文法が生まれてヒトはどう進化したかを追
求する必要がある.

 ヒトの場合,つなげられる音韻符号語が,音節という音韻単位を組み合わせた
ものであり,分節化が二重に行なわれているところが固有である.もっと大事な
ことは,同じメッセージは一度しか音にしないことだ.一方,動物は同じ鳴き声
を何度も繰り返す.ヒトは一度聞いただけのメッセージもきちんと復元できる.
このおかげで文法が存在する.

 (4)で岡ノ谷は,集団内部の社会的関係が音声言語で表現されるのは,ヒトと
ハダカデバネズミの特徴だという.

 ハダカデバネズミは,生まれてから死ぬまでの間ずっと東アフリカの熱帯サバ
ンナの地下にはりめぐらした真っ暗なトンネルの中で生活し,同じ群れに属する
ものはすべて同じ女王の子供である.体重の重い軽いで序列があり,それが挨拶
に反映されているところなど,きわめて音声通信が発達している動物である.だ
がハダカデバネズミもデグーと同じ17の音声符号しか使わない.

 つまり社会性を音声で表現することは,ヒトに固有のことではなく,鳴き声を
使っていようとことばを使っていようとみられる現象である.体毛が退化してい
るのも,生息環境が洞窟のような場所であるのも、音声通信が発達しているの
も,ヒトとハダカデバネズミは似ているのにもかかわらず,どうして語彙数が
3~4桁も違うのかを問うべきである.

3  「空の記号」,音節セットの獲得
 じつは岡ノ谷も本書中で「日本語の場合,まず『五十音』があり,五十音が組
み合わさって単語になり,単語がつながって文章になって」いるといっているよ
うに,五十音と呼ばれる音節セットを獲得したことが,ヒトのことばにとって最
重要な事件であった.

 歌うサルであったヒトは,はじめのうちシカやウサギなどの動物の鳴き声や様
子をまねし,川や海や山,雨や雷や風や夕暮れといった存在や現象を歌っていた
と考えられる.自然の存在や現象の音まね(音表象)を歌にして,みんなで声を合
わせて楽しみ,赤ん坊をあやしているうちに,子音を共有するようになり,記号
が恣意性をもつための前提条件である鈴木孝夫が指摘する「空の記号」(『私の
言語学』)を獲得したのではないか.

 動物の発声とか記号は欲望とか内的状態と直接結びついている.ヒトの言語に
みられるように「記号が恣意的になるためには,記号だけが独り立ちして,空の
記号ができなければいけない」.鈴木は「空の記号」を「内容がゼロの音声」と
も呼ぶ.意味から独立した,離散的な記号,デジタル信号である.この「空の記
号」を核として発達したのがヒトのことばであり,それは音声通信のデジタル化
と呼ぶのが適当である.

4 母音の獲得
 自然には子音しかない.また音響的に外部から遮断された洞窟の中では,子音
でも通ずる.じつはヒトが母音を発声するためには,喉頭が降下して,肺からの
呼気が口を経由して出る必要がある.この進化のあと,気管の出口は食道の中ほ
どに位置して,喉頭蓋で覆われるだけになった.そのために,ヒトは食べ物が気
管を塞ぐ窒息や,食べ物滓が肺に混入して肺炎になるなど,生命の危険を増加した.

 命の危険を省みず母音を獲得したことから考えると,まず子音が,静かな洞窟
の中で自然の音表象として生まれ,後になって遠くまで音声を伝えることのでき
る母音が生まれたと考えられる.人類最古の言語と考えられている南アフリカの
ブッシュマンたちのコイサン語には,子音が100以上あるが,これは母音が生ま
れる以前に使われていた子音が今も残っているということではないか.

5 赤ちゃんを可愛がると「空の記号」を反射的に使えるようになる
 岡ノ谷も指摘するように,ヒトの赤ん坊は大きな声で泣く.これは洞窟のよう
に安全な環境に住んだから可能になったことだろう.子供はお母さんに面倒をみ
ろと要求する.一方,お母さんの陣痛が重いのはちゃんと赤ちゃんの面倒をみな
さいと自然が命ずるのだという.閉経した祖母が近くで面倒をみるのも,ヒト特
有の現象であり,子供を育てること,子供にことばを教えることが,ヒトにとっ
ていかに重要なことであるかをうかがい知ることができる.

 ヒトの赤ん坊は,生後1年間ほぼ寝たきりのまったく無力な状態で過ごすこと
によって,脳は母胎内にいるときと同じ速度(脳重量と体重が1:1の割合)で成長
する.その結果,他の大型霊長類にくらべて4倍も大きな脳を獲得した.

 赤ん坊の急速に成長する脳に向って,親や周囲の人々がことばを語りかける
と,その刺激によって,赤ん坊は母語の離散的な音節を自動的・反射的に聞き分
けて処理できるようになる.おそらく内耳有毛細胞のアポトーシス(選択的死滅)
か,一次聴覚野の音素適応が起きるのだろう.

 空の記号と,空の記号を反射的に処理する脳の回路を獲得して,人は複雑で精
巧な文章を一回聞くだけで,文章を頭の中で復元することができるようになっ
た.おかげで,わずかな音節からなる文法語を使って,意味を接続・変容・修飾
することが可能になったと考えられる.ヒトの五官では知覚できない歴史概念や
科学概念などについても,五官の記憶と結びついた概念を,文法によって方程式
のように関係づけて,抽象概念を構築できるようになった.抽象概念はヒトだけ
のものである.

6 「空の記号」である音節・単語と文法の二重分節化・抽象概念
 筆者は岡ノ谷にならって,ヒトのことばと動物の音声通信を峻別する固有な条
件を4つ考えてみた.

(1) 「空の記号」,離散音韻符号(デジタル信号)の獲得:離散的周波数特性をも
つ有限個の音節を有し,それを自由に発声できる独自の発声器官をもつ.

(2) 単語と記憶をつなぐ概念の体系化:「空の記号」を組み合わせて自由に新た
な単語をつくり,単語を五官の記憶と結びつけ概念化し,それを一生かけてひと
つの概念体系として構築する.脳の容量が大きいので,たくさん記憶できる.

(3) 受信誤り防止と文法:乳幼児期に周囲から受ける音韻刺激によって,母語の
音節は一音節も間違えずに反射的に聞き取ることができる.そのためわずかな数
の音節を追加・活用して,意味を接続・変容・修飾できる文法をもつ.

(4) 概念の演算による抽象概念:自分が五官の記憶として持たない科学的概念や
歴史的概念のような抽象概念であっても,概念を演算することで理解できる.

7 歌が音節を生み,音節が単語をつくり,ことばが文化を生んだ
 3で論じたように,単語を構築する最小単位である「空の記号」,つまり五十
音のような音節(音響信号)は,自然の音表象をいっしょに歌うことによって生ま
れたと筆者は考える.歌がことばの最小単位である「空の記号」を生みだして,
ことばが誕生した.

 しかし歌と音楽は分けて考えなければならないのではないだろうか.これにつ
いて岡ノ谷は触れていないし,スティーブン・ミズンの「歌うネアンデルター
ル」にも歌と音楽を別のものとして扱う発想はない.ひとつには,岡ノ谷もミズ
ンもヒトのことばにとって最重要である離散信号の獲得という事件が視野に入っ
ていないからだ.歌は離散信号の獲得に貢献したと考えられる.

 一方,アラン・メリアムが『音楽人類学』で描いたアフリカやバリ島における
音楽教育と音楽の位置づけは,人間にとって文化や芸術は生きていくうえでの究
極の目標であり,満足や安らぎを提供してくれるものであることを示す.

 無文字社会であっても,公式の教育機関がない社会であっても,子供たちに文
化を伝承するための教育制度をきちんともっている.「特殊な技能とみなされて
いる音楽家の技は,通常より以上に管理された学習を必要とする.どのような社
会においても,個人の自由な試行錯誤によっては文化的習慣のほんの一部分しか
学べない.」幼児期から少年期さらに青年期に応じて,何世代にもわたって引き
継がれた学習(文化化)が用意されている.

 文化はことばを基盤にして,自らの肉体と精神を鍛錬し稽古することで伝承さ
れるのであり,ことば以後のものである.文化とはことばによって伝達される情
報であり,ヒトというハードウエアを駆動するソフトウエアである.情報を処理
し駆動するヒトの身体(ハードウエア)は,稽古訓練や創意工夫によってより高度
な技を発揮できる高次な存在へと高められる.

 ヒトは文化するサルである.ことばは,ヒトが自らの精神と肉体(運動制御や
感覚の鋭敏さも含めて)を文化活動によって高めるためのツールである.文化
は,生物的ヒトを人間にする.生物にとって細胞核内のゲノムが遺伝子の記憶を
伝えるように,文化はヒトが人間になるための記憶を伝える.文化は,人間存在
の総体をあらわし,記憶・伝承・習得・実践・刷新などの広い分野にわたる人間
活動を包括的に指し示す.文化は,遺伝情報が転写,転写後修飾,アミノ酸への
翻訳,タンパク質三次元構造への折り畳みなど,再生と進化に関するあらゆる活
動に関わるのと同じくらい幅の広い概念である.

 すると,ヒトの文化発展にとって最大の敵は,ヒトの精神と身体の鍛錬や稽古
を阻害するものであり,ヒトを文化的生産物の個人消費者として固定する行為
(iPOD)であるということにならないだろうか.



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