3741.税のの記憶



税のの記憶
From: Eiichi Morino

まだまだ暑いですね。

税の話題が時折でますが、源泉で所得税をお納めになっていらっし
ゃる方は税については鷹揚なのかもしれません。

しかしある共同社会で生きるについては税の問題は万人の死活的事
項でしょうか。

さして税に関心があったわけではない若い頃、ちょうど家族を養う
費用も増えてきて、できる仕事ならなんでも引き受けて、いくつも
幾つも仕事をかけもちし、それこそ身を粉にして働いていた時期が
あります。

ある7月の暑い日、税務署から連絡がありました。申告に瑕疵があ
るというのです。そんなことはないと、ずいぶん交渉しました。し
かし冷たく先方の言うとおりに修正申告させられ、重加算税までか
けられました。

少しは税務の事情を聞くこともあったので、
「ちくしょー、弱い者ばかりいじめやがって」
と実に悔しい思い。

知人のビジネスをしている人間に話したら
「税金払ってるようじゃ金持ちにはなれんなあ」
と、小馬鹿にされた。

悔しさが倍になって、それから税のべんきょーを徹底してはじめた。
強い動機が働くと人間、とことんやるもの。税金をネタにライティ
ングを手がけ始め重加算税分はすぐに稼いでしまい、その後ずいぶ
ん稼がせていただいた。

引っ越しを重ねてお付き合いする税務署も変わったけれど、税金の
話題に触れるとすぐに当時の事が甦ります。

民間事業者に徴税業務を代行させるかのごとき源泉徴収は徴税側に
は都合がいいのでしょうが、税を賦課される側の関心を弱めてしま
うでしょう。
勤労諸階級が税につきもっと関心をもち、国税庁の言い分以外にも
理屈は多々あり、人様の税負担の実際により詳しい知識をもつよう
になるなら、少しは世の中変わるのかもしらんと思っています。
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さよう。世間には、デカい鏡が置かれている
From: "青木秀和 

「ろくな政治家がいないから人々が政治家を尊敬しないのか、あるいは
 逆に国民が政治家にリスペクトを抱かないからマトモな政治家が現
 れなくなったのか、順序はかならずしもはっきりしない。ニワトリ
 とタマゴだ。」
(中略)
「さよう。世間には、デカい鏡が置かれている。
 だから、侮る者は侮られ、蔑む者は蔑まれ、罵る者は罵られるという
 ことだ。」
〜NBonline『小田嶋隆のア・ピース・オブ・警句』100903配信より

カンにしろ、オザワにしろ、われらの鏡ということですね。

名古屋の河村市長の市議会議員(あるいは市役所職員)への対応を見て
いても、まったく同様なことがいえるような気がします。

彼の頭には、まず議員も役人も「給料が高いくせに働かん」「怪しから
ん」と最初から決めつける思い込みがあって、だから「成敗せにゃなら
んがね」ということなる。その発想からで出てきたのが、減税とか市民
委員会とやらの「政策」。それをがぶち上げたところ案の定「否決」さ
れたんで、やおら先頭に立っての市議会「解散請求」運動を始めたとい
う次第。

この一連の流れは、市長ご当人は民主主義の実践などと気取っているが、
その実、そうとう「軽くて薄っぺらい」権謀術数でしかない。

これにこれまで「分かった」振りをしてきた「市民」のみなさんが呼応
して、直接請求の署名集めに奔走している。

かねてから市議会や市役所に感ずる反発が根底にあるのは理解できるけ
れど、市長も議員も所詮われらの「鏡」にすぎず、そこに映った自らの
「軽薄」さを、図らずも自ら証明する格好になってしまっている。

子どものケンカのような政治状況は、一昔前ならある意味「余裕」の表
れともいえなくもなかったかもしれませんが、現在では社会精神の退行
化がここまで進行しているとみるべきでしょうね。





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