自然的経済秩序、第四部 From: Eiichi Morino ゲゼルの『自然的経済秩序』は幸い邦訳が出ている。しかし分厚い本であるし、 定価が一万円もするから、まあ、よほどの人でないかぎり手にしないでしょう。 それに、みな忙しいし、かなりの読書好きでも、そう多くの書物は読めないも の。「欺瞞的な単純さ」(ケインズ)に生きる道をみいださんとする方々に 商いのチャンスが常に存在することになる(笑)。しかしなかにはゆっくり じぶんのアタマで考えたい人もいるのだから、なんとかならんか。 そこで、この間の議論に関連する(過少消費説や国際通貨同盟などなど) 第四部をスキャンして下記におきました。 面倒な作業で、私自身、手に不具合を抱えているので重い本をひっくりかえし、 ひっくりかえしする作業は難儀。それでも一度スキャンしておけば、便利かと もひと仕事。 邦訳があるのはどのようなものでもありがたい。ほんとうは専門の人間が 手がけるべき作業とはいえ、翻訳という作業はケチがつけられこそすれ、 褒められることはない不毛な作業で、専門の方はなかなか手がけない。 それに、力を尽くしても学者先生からは軽蔑されるがオチ。 ましてやケインズの文章のように含蓄に富んでいて名文ときたら、尻込みす る人は多かろう(実際、ケインズ全集は全部邦訳は出ていない)。ゲゼルの 文章もケインズほどとはいえなくても、アインシュタインが激賛したほどに 力強さにあふれているようだ。 『自然的経済秩序』はこれに続く第五部が、後の経済理論の発展との 関連ではもっとも魅惑的な内容になっているのですが、それはまた 時間をみて、スキャンするかなあ。 http://grsj.jp/~a1m/protected/Silvio_Gesell/NWO/NWO4/ ============================== 白崎です。 > ましてやケインズの文章のように含蓄に富んでいて名文ときたら、尻込みす > る人は多かろう(実際、ケインズ全集は全部邦訳は出ていない)。ゲゼルの > 文章もケインズほどとはいえなくても、アインシュタインが激賛したほどに > 力強さにあふれているようだ。 > スキャンをしていただき、本当にありがとうございます。あと、 翻訳のことも助かります。 ケインズの原文は、名文という評価ですが、それが、なかなか翻訳 に反映されてこなかったとかーーー。数式をイメージ化している文章 という評もありましたね。いずれにしても研究職でないものが、暮ら しながら、自分なりに考えて学んでいくには、多くの方々の 力を借りないといけません。重ねて御礼申し上げます。また、読んで 、疑問なり投稿いたします。 ============================== From: Eiichi Morino 翻訳は訳者による解釈でもありますから、いろんな解釈が 参照されたほうがよいかもしれません。 ということで、当該部分の仏訳版を下記におきました。 http://grsj.jp/~a1m/protected/Silvio_Gesell/NWO/NWO4-F/ 原文はネットで利用できますよね。確かフィリップ・パイによ る英訳版も。 上記仏訳版は、刊行された時代を反映して、酸性紙が使われて いて赤く変色、紙が劣化していていけません。古い資料は ネットにばらまくのがいちばんかな〜 売りに出たときは、大学関係者に入手されると一般大衆 は二度とみることができなくなるから、なんとかして入手 しようと苦労した思い出のある本。 ============================== From: Eiichi Morino > スキャンをしていただき、本当にありがとうございます。あと、 > 翻訳のことも助かります。 > ケインズの原文は、名文という評価ですが、それが、なかなか翻 > 訳に反映されてこなかったとかーーー。数式をイメージ化してい > る文章という評もありましたね。 GTの第21章第三節、末尾にある文章に 「・・・われわれは、偏微分はすべてゼロであると仮定している代数の数ページ の『紙背に』、複雑な偏微分を置いておくことはできない。身近の『数理』経済 学のあまりにも多くの部分は、それが立脚している最初の想定と同じように 不正確な、単なるつくり事であって、著者はもったいぶった、役に立たない記号 の迷宮の中で、ともすれば現実世界の錯綜関係と相互依存関係を見失ってしまう のである」 とありますね。 ケインズは数学者でもあったからこそ、数理経済学の限界をよく知って いたということでしょうか。 主流のこうした経済学は、この危機ですべて信用を失墜してしまいました。 それは経済学の研究職の失墜でもありましょう。 米国で人気のブロガー、バリー・リゾルツのサイトで以前読んだ名言に 「経済学とは正反対の意見を持つ者が共にノーベル賞を受賞する科学だ」 という意味の辛辣なことばがありました。 ゲゼルは晩年、ドイツの勤労階級のために自らが経済的に思考する 能力の重要性を訴えました。 経済(学)は私たちにとって思考の流儀であると同時に生活の流儀 です。それは錯綜し相互依存した現実そのもの。 ほんとうの革命にボルシェヴィキのような職業革命家が不要なように、 職業的経済研究者は、経済には要らないのかもしれません。 経済とはわたしたちです。たしかにヴェーバーがいうように 経済が運命となっているのであれば、私たちが別の運命を切り開こう とするなら別の経済を生きるほかないでしょうし。 経済研究者が作り事の前提のなかで遊ぶ自閉症から回復するか どうかは、彼らの問題であって私たちの問題ではありませんしね。