3710.減価率表付き決済手段&減価の実施法



減価率表付き決済手段
From: Eiichi Morino

減価率表付き決済手段のオリジナルは、私の調べたところ
ではシルビオ・ゲゼルがアルゼンチン時代に書いた
「社会的国家への梯としての貨幣改革」で最初に提起
されております。減価型通貨には後にゲゼルが提起した
スタンプ貼付型もありますが、これはゲゼルの『自然的
経済秩序』の英訳者パイの指摘するところでは、スイスの
ノルドマンにはじまります。

WATシステムのようなp2p型の決済手段で減価スケジュール
表付きの手法を採用する仕方はすでに何年も前に「人間の
経済」に発表しています。そこで、ゲゼルの減価率表付き
マネーについても紹介しています。また減価スケジュール
表付きWATマネーはすでに、愛知万博の際に発行、使用されて
います。

というわけで、減価型決済手段の使用につき、内藤さまの
権利を侵害することにはならないと考えています。
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[Fwd: 減価の実施法]
From: Eiichi Morino

実は額面(ヴァリューパー)を減価させる方法には
証券券面に減価率表を付ける方法がありますが、
同じ実効を上げる手法はまだほかにもあります。

スタンプ貨幣式はヴァリューパーを維持するのに
コストを要求するものですが、これは煩瑣です。
減価率表を付ける方式はこれを回避できている
ようにみえますが、じつは、額面の変化(パー
ヴァリューからの減価率に応じたその時点での
額面価額に利用者が注意を払わなけ
ればなりません。実際面ではこれはめんどうという
声が必ず出ます。

解決策はないものでしょうか。

人間がものぐさであるとすれば、それに合わせる必要
もでますし、手間暇かかっていたのでは、事業者さん
のレジでは時間がかかりレジ待ちが発生します。

商品券100円なら100円、はいこれ一枚という
ぐあいに扱えれば最高です。

方法はあります。

現金と引換に売り出すとき、10000円で、一割の
プレミアムを乗せて商品券を販売するとき、事前に
計画したプレミアムの時間経過に基づく減価額を
反映させる期限切れ期日付き商品券でプレミアム分
を渡す方法がひとつあります。
プレミアム分以外の10000円分商品券は流通期限
をどのように設けるかは別に決めるとして、
1000円分のプレミアム分は
使用期限をずらしながら期限がくるような商品券と
するわけです。
100円 90日後無効
100円 80日後無効
100円 70日後無効
100円 60日後無効
100円 50日後無効
100円 40日後無効
100円 30日後無効
100円 20日後無効
100円 10日後無効
100円 10日後無効
計1000円

こうすると減価分は独立させられて、どの券も
額面で決済に使えます。
券面には有効期日に注意としておけばよいわけ
です。
本体部分10000円の商品券は、色を変えて
印刷しておきます。
プレミアム部分も9枚色を変えて印刷しておきます。

これは、色分けで有効期限を表したマネーがかつて
考えられたのですが、その減価証券への応用です。

この利点は、扱いがカンタンであることです。
色分けではなく、参加事業者さんの広告入り
媒体商品券にする場合は、参加事業者さんの
広告で、有効期日の差を表現することもできます。

こうした商品券を11000円分、昔の市電や
バスの切符の束のようにして売り出すわけです。
使うときはひつような部分も切り取りながら使い
ます。束にして出し切り取りながら使う方式は
すでに野洲市で手がけていますね。

この証券一枚一枚は減価させないが一束では減価させる
方式は、ずいぶん以前、野洲市の地域通貨スマイルを
組み立てるときに思いついたのですが、スマイルは別の
方式にしましたので、こんにちまで黙っていました。

実は減価マネーにはシリアル型減価通貨とかまだあまり
紹介してこなかった方式もあるのですが、現実の動きを
待ってということになりましょうか。理屈だけ述べても
おもしろくないですし。

プレミアム商品券型の事前に支出してもらう地域通貨は
よほどプレミアム部分が大きいか、スマイルのように
地域社会に訴える理念や行政や運営団体の継続的な
地域への貢献活動があるかしないと、最初になかなか
購入してもらえません。

しかしプレミアムを大きくして経済的動機に訴えるのは
事業者サイドの負担が増します。やはり地域協同して
商品券システムを支えたくなるような魅力作りもかかせない
ところです。
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流動性のわな乃至ゼロ金利制約
From: Eiichi Morino

田中さんへの返信:
> 森野様、こちらのMLに参加されている皆様
> 
> ここ最近のMLの投稿は非常に勉強になるものが多いです。
> 
> BIについても、なんとなく問題あるよなぁ・・・的な感想だったものが、どの辺が
> 問題なのかが、少し見えてきているように感じます。
> 私の場合は、こちらに参加させていただくきっかけが、いわゆる「陰謀系」^^でし

陰謀系は楽しいですね。
正しいとも正しくないとも言えないたぐいの話は遊ぶには最適
ですから。

陰謀が分かるほどの方ならいまどんな陰謀がめぐらされていて
どうなるのか、予測がつくのでしょうから、それを聞かせていた
だけるともっと楽しいのですが、不思議と事後的な話しか伝わって
きませんね(笑)。

> たが、いわゆる陰謀論者さんが言われるような「悪ものは銀行家だ」「アメリカが悪
> い」「ユダヤが悪い」というような、簡単、単純な問題ではないなぁ・・・というよ
> うな感覚になって行きました。

昔から、金融資本や共産主義をそれと手を結んだ別働隊のごとく攻撃
する流れはございましたね。それを証明する文書はこれだ、いや贋文書
だとかの騒ぎもあってなかなかにぎやかでした。しかしそう主張する
方々がどんな筋かこれまた奧が深く(笑)、彼らの主張がそのときどき
何を利するかを客観的に判断しながら、その主張に遊ぶことになりまし
たね。

昨今も盛んですが、当事者にとって「何レガ得何レガ失ナルヲ察」する
(西周、『百一新論』)ことになりましょうか。その時、所望の目的に
使える議論であればなんでも利用しますからね。

昨今話題のダグラス主義者もカナダの社会信用党は戦後は、莫大な
国家の戦争債務を前に、均衡財政や財政赤字強硬派の議論をそれまでに
なく取り入れ、主張しはじめました。まあ、人気取りですが、そんな
ものですね。フエダーによるナチスの教義審決では、公式綱領の策定
のプロセスで、利用できる議論はなんでも集めてきて、都合のよいもの
を採用しました。

まあ。世の中の議論にはウラがあって、とことん楽しめますね(笑)。
反ユダヤ主義の宣伝がひょっとしてユダヤ金融資本によるのかななんて
ことまで考えさせていただけるのですから。

おおむね断定的言辞を繰り返す、というのは大道芸の口上並みに
楽しむということでしょうね。時間があったらの話ですが。
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From: Hidekazu Aoki

森野さん、田中さん おはようございます。

― 陰謀論や終末論は逆説的な現象でもある。「謀略者」は時として、普通人の
理解を拒む少数のグループ(神や宇宙人も含む)であったり、反対に、実在の巨
大権力(大国やメジャー宗教や大財閥)であったりする。陰謀を「暴く人々」の
側も、少数エリートのグループとして「陰謀の真相」を守りながら、ヒーローの
ように戦ったり、逆に自分たちだけの危機回避を図ったりするし、できるだけ多
くの人と連帯して「真相」を分け合う一種の布教活動に熱心であったりする ―
 竹下節子『陰謀論にダマされるな!』(ベスト新書)

最近出た本ですが、著者はなかなか鋭いところをついています。

陰謀論や終末論に向き合うには、この本に書かれている知識くらい、せめてリテ
ラシーとしてもっておいたほうが良いと思いました。
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From: Eiichi Morino 
昨今は、ピークオイル論者などにもこのクチの人々が混じってきていて
いちいちより分けるのが面倒になるくらい(笑
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From: Eiichi Morino 
田中さんへの返信:
> > 森野様、こちらのMLに参加されている皆様

> > 
> > >本MLも立ち上がった初期には経済学サイドの方も
> > >多かったのですが、地域通貨の実践の話題にずれ
> > >てしまったので、多くの方はいなくなってしまった
> > >ようです。
> > >
> > >しかし経済状況がこんな状況ですから、そちらのほうにシフ
> > >トさせますかね。
> > 
> > 是非、お願いいたします。

そうですね。
以前は、ゲゼリアンのニューマネーのMLや英米でもポスト・ケインジアンのML
など、熱気にあふれていて、良心的な議論が積み重なるMLもありました。
とにかくおもしろくて毎日メールを取るのが楽しみでした。

しかし何年も何年も続くものではないですね。次第に劣化して終わること
になります。

しっかりと議論を積み上げるのではなく、いつしか言葉の投げ合い、
単純な剽窃や揚げ足取りがばっこしてみなやる気をなくすんでしょうね。

ネットはML以外の交流手段も増えましたが、すさんでいますね。

いまも講演会に来られた方々でつくるMLに参加されている方の
BIに関するご議論が送られてきましたが、減価マネーでBIをやれ
との後説教、社会信用党の繁栄証券のやり口を総括されている
んでしょうかと思いました。国家管理貨幣ともfiat moneyとも
性格を曖昧にしながら、発券の消却に事後ex postにスタンプ貼付
額を当てる、ゲゼルのスタンプ貨幣のアイデアを導入し、けっきょく
うまく配当支給できなかった人気取り政策の無責任のわけなど
どうでもいいんでしょうね。

当時は英米圏に減価貨幣のアイデアは技術的なレベルで理論的な
意義などは後回しで流入する段階でしたが、ダグラス主義者は
目端が利きますね。しかし理屈をよくわかってないと、所詮は
政治宣伝にすぎないものに終わります。

こんにちなぜ、貨幣の名目利子率をゼロを下回る水準にする必要
があるのでしょうか。それに応えるためには、ゼロ金利制約(
ゼロという名目利子率の底が割れず、金利を引き下げたのに
消費需要も投資需要も出てこない)という現実をどうするか
という問題があります。

これを考えるために、ケインズの利子理論や投資誘因論は
存在しているといっても過言ではないほどに私には思えますが、
表面的にカネを出しても廻らない、じゃあゲゼルマネーにしろ
ですからね。

流動性のわなという言い方はケインズ自身はしていませんが、
(『一般理論』のなかでは流動性の罠という表現はない)、
ケインズの考え方が議論されるなかで出てきたものです。その
考え方は、利子率が粘着的(sticky)でありうるので、それゆ
え失業を除去するために申し分ない投資を誘導するのに十分な
レベルにまで下落しえないという考えです。
その理論の積み上げは、時間がある方は下記を参照してください。

R.G.Hawtrey(1937)とJacob Viner(1936)の二人は銀行システムが準備金
を積み上げる可能性と、それ故にこれが貯蓄をスムースに投資に変換す
るのを妨げることに注目していましたが、「流動性の罠」というターム
が導入されたのは、1940年に、D.H.Robertsonによります。
この経過の概要については Laidler (1999)を参照。

[参照]
Hawtrey, R.G. (1937) Capital and Employment. London: Longman.

Laidler, D. (1999) Fabricating the Keynesian Revolution. Cambridge:
Cambridge University Press.

Robertson, D.H. (1940) 'Mr. Keynes and the Rate of Interest', in Essays
in Monetary Theory, 11-44. London: Staples Press.

Viner, J. (1936) 'Mr. Keynes on the Causes of Unemployment', Quarterly
Journal of Economics 51, November: 147-67.

しかしいまは、クルーグマン仮説から始めるのがよいでしょう。なぜなら
我が国のバブルが崩壊し、理論的にのみ語られていた流動性のわなを
現実に人が目にすることになり、そのなかで、名目金利をマイナスにする
政策を採用するのではなく、予想物価上昇率をかなりな高さに引き上げて
実質金利をマイナスにする年率4%のインフレを15年間続けろという
クルーグマンの政策提起のなかでの流動性のわな論がよく知られている
からです。(これでホントに景気刺激の金融政策を採っても貯蓄過剰
や投資不足が解決するかは、失われた二十年をみればあきらかですが)

ではクルーグマン流流動性のわなとは?
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マックス・プランク
From: Eiichi Morino
                

世に陰謀論のたぐいが絶えないのは、私たちが、すべての事実を
直接じぶんで確かめることはできないという根本的事実に由来
するのだろうと思う。

マックス・プランクがケインズに進む道を相談したときの話をメモして
おいたけれど、

http://a1morino.blogspot.com/2009/04/blog-post_647.html

経済学には「論理と直感の合成物」と「大部分が正確でない事実に関す
る該博な知識」が必要とケインズは指摘している。

おそらくはこの後者の、私たち個々人が負っている事情が、不確かさを
頼りとする妄説を生むのだろうと思う。

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モンテソーリ教育法
From: Eiichi Morino
                

昨日、あれこれ政治屋さんのご主張から陰謀説まで、にぎやかな
ことなので、ケインズの『条約の改正』、第一章世論の状態を
読み直してみた。

冒頭に、現代政治家のやり口が「大衆という子供に対するモンテソーリ
教育法」だと出てくる。

「子供の触れたがる炎の美しさを褒め、壊れた玩具の音を讃え、
さらにこれに近寄らせてもみよ。そして社会の賢明で親切な
救世主として、まさに火傷を負っていまや注意深くなった子供
を引き離すその瞬間を油断なく待て」

そうして救済者としての「教育者」が出てくるわけだ。

まあこの構図はいつも変わらんなと思う。

ゲゼリアンは、救世主ではないし、それを必要としない人間が
作り出す自立経済Eigenwirtschaftを目指している。火傷を負って
注意深くなっているばかりでない。子供扱いされる大衆から
自立しようと志している。

救済者から見れば喰えない子供に映っているかもしれないが、
まあ何時の日か、救済者を社会に寄生できなくするために
自らの志す道をゆくひねた子供かもしれないと思う。

あれこれの教育法を必要とせず、対象にされもしない存在で
ありたいものだ。
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From: Eiichi Morino 
人間にはどれくらい連帯感があるのか、考えさせられる・・・
http://www.zeit.de/wirtschaft/2010-07/solidaritaet-forschung



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