3702.「空の記号」の言語学



「空の記号」の言語学
From: tokumaru 

松本さん、

「空の記号」について、先日のお話をもとにして、鈴木先生に質問
を考えました。

1. 「空の記号」とは、「音節」と考えてよいか。そうでないな
らば、具体的に何と呼ばれているのか。

2. 鈴木先生は、「言語文化学ノート」の中で、意味とは、個人
が「ある音声形態と結びつけて頭の中に持っている知識及び体験の
総体」、個人によって違うし、同一個人でも体験の前後で意味変わ
る。 ...
 と書いておられますが、「空の記号」とは、ここでいう「音声形
態」を作るものと考えてよろしいでしょうか。

3.音声形態には、個人の知識や体験とは結びつかないもの(接続
詞、語尾活用、助詞・助動詞、数詞など)がありますが、これらの
単語は何なのでしょうか。

4.ヒトと動物の違いは、この「空の記号」を持つか持たないかと
いうところに尽きると思っておられるのでしょうか。
 つまり、九官鳥は、「おタケさん」というが、では「おたかさん
」、「おたつさん」、「おたこさん」といった具合に一音節ずつず
らしたり、入れ替えて遊ぶことはできないのでしょうか。

と、こんなことを考えました。質問として妥当であれば、先生にお
届けください。

得丸
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「空の記号」について得丸さんの指摘は、鋭いですね。少し長いで
すが考えたところ下記してみました。
 
1.ソシュールもこの仏教の「空」の概念が気に入ったらしく、ソ
シュールの言語論における記号のとらえ方が「無自性空」に類似し
ていると指摘している研究者もいるようです。
ともに存在論から離れていることによるもので、ソシュールは、記
号の意味が差異の関係性のみによって成り立つとしてこれを「虚空
的 negative」と呼んだ。 
ソシュールが空の理論にこだわったのは、ランガージュからラング
が形成される過程あるいはラングからパロールという形成過程が相
互に関係して有・無が区別できないところにあったと考えられる。
 
2.空の概念の解釈については難問で諸説ある。いくつか調べてみ
た。“「空」とは有と無を超越した考え方である。苦悩に直面した
ときに何とか苦しみをなくしたいと思う。それは、苦しみがあると
思い、その苦しみを無にしたいと思っている。これは有と無にこだ
わっている。しかし苦しみは有でも無でもなく、空である。”(解
説ひろさちや) この「空」の比喩説明では、関連がよく分からな
い。
別説では、“空は、「宇宙は本来空であるが、虚無ではない。一杯
に何かが満ちている。それは絶対の有である。」 仏教で「物質の
根元は空である」というのはこのことを指し、空即是色の空は英語
のナッシングではなく「真空妙有」といって真実の空の中には、妙
なるすばらしいものがあるとしている。「無一物無神蔵」という言
葉にも、何にも無い中に無限の宝が含まれているという。科学にも
、「物質の根元の素粒子は波動である」という”説がある。波動は
エネルギーであり「真空妙有」そのものである。このエネルギーが
働いて、熱を生じたりする物質を作る”(大栗道栄意訳) この説
の方が分かりやすく関連している。
 
3.つまり、一杯つまった音の連続から記号化がおこなわれ更に意
味を与える形成過程においては一方通行ではなく、相互に自己触媒
的な関係性をもちながら進化して言葉が形成されると考える過程が
「空」の概念形成と類似していると考えたのではないだろうか。
この意味という一種のエネルギーをとりだす過程は、生命の起源に
見られるようなゲノムの相互関係性という環境を経て変化や進化を
しながら形成される生命の誕生のシステムと類似している。 
 
今回の課題本の書中で「コトバとは単なる音の連続のことであり、
言葉とは、使い手によって意味づけられた「ことば」のことである
。」(門脇先生P132)という定義も理解しやすくなる。
 
4.ソシュールの言語論については、専門書に委ねることになるが
雑駁に理解するところを記述してみる。ソシュールの言語観では、
「事物を事物として見ることも、連続体の切り分けた結果である」
と考える。命名(言葉)を通して、初めて事物の存在を認める。「
言葉が先、事物が後」という。
ソシュールは、ランガージュ(language)、ラング(langue)とパ
ロール(parole)という独特の用語で説明している。ランガージュ
とは、人間の持つ普遍的な言語能力・抽象能力・カテゴリー化の能
力およびその諸活動である。ラングとは、ある言語社会の成員が共
有する音声・語彙・文法の規則の総体(記号体系)である。パロー
ルは、ラングが具体的に個人によって使用された実体である。
 
5.ランガージュは、人間に生得的な力とされ、人間と動物と分け
るしるしと考える。言語を生み出し習得する可能性という能力に過
ぎずまだ言葉でも言語でもない。巨木の種のような存在のものであ
るが顕在化しておらずそれ自体はまだ巨大な樹木の姿をとっていな
い。このランゲージュが顕在化してラングが形成される。
 
ラングはランガージュが顕在化したもので、音の切り分け、分節化
を共同体の中で他者と共有していく過程を通じて形成される「共同
体の言語」である。具体的には国語と同じ概念である。しかしラン
グはまだ抽象的なものにすぎない。「個々人が発する声」や「個々
人が書く文字」として具体化した顕れをパロールとする。
 
ランガージュは先天的で普遍的な潜在能力、ラングは後天的で特殊
・個別的な言語体系であるが、相互依存的な関係がある。ラングは
ランガージュの土台の上に形成されるが、逆にランガージュは最低
一つのラングを環境として持たないと顕在化されない。最低一つの
言語体系を習得しないと、個人は言語能力を発揮できない。
潜在的なランガージュが、人間によって切り分け(分節化)される
がその切り分け方を共同体の中で他者と共有してゆきながら成立す
る「共同体の言語」である。ラングは「個々の単語に意味を与える
意味の体系であり、価値の体系」である。
 
ラングとパロールの間にも同様の相互依存関係がある。ラングは見
えも聞こえもしない抽象的なコード体系として人の心の中にあるが
後天的であり外から与えられたものである。ラングは目に見えない
辞書であり文法書であるがこれを一人の個人に与えたものがパロー
ルである。日々の言葉のやりとり、具体的発話行為(パロール)の
交換を通じて少しずつ心の中に形成される。ラングに基づいて発話
することは、その規則を追認しつつも、パロールによって維持・強
化されており相互依存的な関係にある。 パロールはラングの維持
再生産に奉仕しつつも逆にラングを変更し刷新できるものである。
パロールは個人・場面によって異なり、言いよどみ、言い誤りなど
も含むことから、ソシュールは言語学の研究はラングを対象とすべ
きであるとしている。
 
6.以上のように、ソシュールは記号の意味が差異(対立)の関係
性のみによって成り立つとした。ランガージュ(生得的な言語獲得
能力)の開発の為には言語共同体に所与の自然として存在するラン
グ(言語の諸規則)が必要だと考えていた。
形成されたものが形成するものを自己触媒として影響を与えながら
複製し形成するシステムである。
 
生命科学において「ニワトリが先か卵が先か」という単純な難問が
あるようにランガージュとラングの相互関係あるいはラングとパロ
ールの相互関係もどちらが先で無から有を作り出したのか分からな
いが相互依存関係があることに「空」の概念に興味があったと推察
します。
 
7 以上の仮説をベースに得丸さんの質問に対する回答を作ってみ
ました。
鈴木先生がどう回答されるか楽しみな質問です。
 
8.生命の起源と言葉の発生には、密接な関係があるように思います。
類似の自己触媒的な符号化、構造化がゲノムでも行われており、言
語の発生の仕組みに参考になります。
放送大学の複雑系システム科学の教材を読むうちに考えて見ました。 


生命科学において、遺伝情報をゲノムの文字配列として符号化され
転写、翻訳されて伝えられていく仕組みがあるが、このゲノムの文
字配列の冗長な信号がデジタル通信として伝えられる。多くの情報
を文字列というコードに、変換して冗長なまま伝えられていく。
この伝播はアナログ通信では、伝えられないデジタル通信の特徴が
生かされているとしています。
 
デジタル通信についての考察は得丸さんが力作の論文をいくつか書
かれていますが、生命科学のシステムと言語のシステムは類似して
いるように思います。この辺の理解については別記してみる予定で
す。
 
小川
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小川様

上記引用は小川様に頂いたメールですがその部分文字化けで以前に
もありました。貴方へ送り返すと文字化けは元に戻っているのでし
ょうか。

長文です、短文で、お返しします、アラン著作集の中に翻訳者で音
楽評論家の吉田秀和(96歳、時々朝日に寄稿、鎌倉で娘に介助さ
れて散歩)が「アランは『音楽はすべて男女の交わりのエクスタシ
ーに向かう様を描いたものほど名曲』と」。

なるほど、古代には林で遮られた向うの異性にラブコールでしたね
、言語の音の発達は、、。しかし、そう古代は子々孫々の繁栄を願
っていたのですよ、周囲も皆で祝う今も残滓は結婚式にありますが。

人口問題になる今、神?が与えた性の相違は粘膜の摺り合わせは、
娯楽化し、体形整わぬ子供に、青春前期の混乱した桃色遊戯、そし
て生殖の使命を終えて未だ生きるヒトの道ならぬ恋。

そんな、こんなと従来の道徳観で、さつまパトリの小生が言うのも
何ですが、懐古であって、そうTRANSIENCEであって、パブリック・
マインドの再興はもう暴力なくしては創造できないのでは。

第三次世界大戦か、第6氷河期か。長くなりました。暑い夏は薩摩
茶を啜りながら、メール打つときの至福のひと時、皆様もどうぞ。
草々

コーヒーは赤道直下の植物その実はヒトの体温を下げる働きがある
とか、明日はコーヒーで。

浅山
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 「空(から)の記号」の言語学のための頭の準備体操、
あるいは夏休みの宿題

鈴木先生が熱弁をふるった「空の記号」ですが、9月の記号論のお
話を伺う前に、できるだけ理解を深めておきたいものです。

各自、以下のような課題を考えてみてください。そして、作った解
答を8月末までに幹事に送ってください。鈴木先生にお見せします。
夏休みの宿題みたいなものです。

考えてもわからないときは、解答を空欄にしてもかまいません。
でも、できるだけゆっくりと時間をかけて、「空の記号」と格闘し
てみてください。

採点というか、講評は、9月のタカの会で鈴木先生にお願いする予
定です。

1 「空の記号」とは何かを、誰かに説明するつもりで、言葉にし
なさい。まずは自分の家族や友人に説明してみてください。
(「私の言語学」を読んで理解したことを、自分のことばに置き換
えてみてください。)

2 「空の記号」について、自分がまだわかっていないことを、箇
条書きにして整理しなさい。どこがわからないかを説明してくださ
い。

3 「空の記号」の数:
あなたにとって「空の記号」は、いくつありますか。数えてみまし
ょう。

日本語に「空の記号」はいくつありますか。

英語に「空の記号」はいくつありますか。

中国語に「空の記号」はいくつありますか。

4 「空の記号」の別の例を探してみてください。(少なくとも2
つあります)
(「空の記号」を使っているのは、ヒト以外に何がありますか。そ
の例を2つ書きなさい)

5 「空の記号」は、いつ・どこで・どのようにして生まれたもの
ですか。想像してみてください。

6 「空の記号」を使うためには、何が必要か、必要とされるもの
を箇条書きしてください。

7 「空の記号」を使うことの利点は何ですか。欠点は何ですか。

8 「空の記号」を使うときに注意しなければならないことは何で
すか。「空の記号」の正しい使い方を考えてください。

9 「空の記号」ではない「記号」を使って、自分が何かを表現し
ている姿を説明してください。

10「空の記号」とオノマトペ(擬音・擬態語)の関係について説
明しなさい。

11「空の記号」を使っていて、失敗した経験を5つ思いだしなさい。

12「空の記号」はどうすることによって「空」ではなくなるので
しょうか。

13 民話「ふるやのもり」、「餅屋の禅問答」と「空の記号」の
関係について論じなさい

14 ペットである犬や猫にとって「空の記号」はどういう意味が
ありますか。野性のイノシシやシカにとって、「空の記号」はどう
いう意味がありますか。

15 九官鳥やオウムのような物まね鳥にとって「空の記号」は意
味がありますか。彼らの話すことば(たとえば「おタケさん」「お
はよう」と「空の記号」の関係について論じてください。)

16 どうして言語学者の中で、鈴木孝夫先生だけが「空の記号」
を問題にしているのかを想像して、説明しなさい。また、どうして
、我々はこれまで「空の記号」について考えたことがなかったのか
、理由を説明してください。

17 「空の記号」に一番似た概念を探してください。

18 ロスアンジェルスの博多ラーメン店で、外人の客が「ラーメ
ンにたなかを入れて」と言ったところ、外人の店員は「はい、わか
りました」と言いましたが、日本人の従業員はクスクス笑っていま
した。なぜですか。

19 俳句の575、短歌の57577と「空の記号」の関係を論
じてください。

20 俳句の季語、短歌の序詞・枕詞・縁語・掛け言葉と「空の記
号」の関係を論じてください。

21 禅と「空の記号」の関係を論じてください。

22 現代芸術と「空の記号」の関係を論じてください。

ざっと思いついたところをお送りします。

得丸公明
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Re: (1) ソシュールのランガージュ、(2) 仏教概念の「空」

小川さん

−1− 
小川さんのメールの中で、「ランガージュ」、「ラング」、「パロ
ール」がうまく切り分けられていたと思いました。

要するに、「ランガージュ」は、種としての人間がもつ「言語能力
」、「言語本能」「ラング」は、個々の共同体がもっている日本語
や英語やズ―ルー語のような「言語」

そして、「パロール」は、実際に発話され、言語化されたもの。
「会話」、「話されたことば」という理解でよろしいでしょうか。

−2−
あと、「空」を「クウ」という読みにして、「色即是空」の空と同
じような扱い(理解)にするのは、どうでしょう。ちょっと違うの
ではないかなと思いました。

違うというのは、仏教の「空」自体の概念が、きちんと理解あるい
は共有されていないこと。

それと、「空(から)」の記号の「空っぽ」なのは、意味からの乖
離だと思うからです。

つまり、動物の鳴き声は、心をそのまま反映しています。

それに対して、人間の「空の記号」は、意味をいったん剥ぎとって
、純粋な記号として扱っているところに意味があると思うのです。

パブロフの犬の実験で、メトロノームやブザーの音を聞かせて、餌
を与えるというとき、メトロノームもブザーも完全に意味から独立
しています。

単に、犬がこのブザーはおいしいチーズであり、このメトロノーム
は味噌汁ご飯だといったふうに、記憶と刺激をパターン認識で記憶
するのと同様に機能するのが「空の記号」なのだと思うのです。

ですから、仏教概念やひろさちやを登場させることは、誤解を生む
のであまり適切ではないのではと思います。

いかがでしょうか。

得丸公明
==============================
得丸さん
ソシュールの言語論については鈴木先生もよく勉強されたとか。理
解できる範囲だけでもキチンと読んでみたいと思います。
 
「空」の概念についてはもう少し理論づけてみる必要があると思っ
ています。
 
「空」が「空っぽ」というもの、ゼロの発見のようなものでこちら
の考え方は、まだ調べていませんが、
 
無から有を生み出すと考えるときに空っぽから何かが突然飛び出す
という考え方ではなく、いっぱい詰まっていて、雑然として区別も
ない状態のものから見えてくるものという無から有への認識の仕方
のほうが、分りやすいのではないかということです。
犬が何か雑然とした音の連続の中からブザーの音あるいはメトロノ
ームの音を差異化して符号化すると考えてはいかがでしょうか?符
号化した脳内の信号がデジタル化して通信機能をもつようになった
って反射ができたと考えられないでしょうか?
暑中仮説をしてみました。
 
小川



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