ベーシックインカムについて from森野 BIを推進される方のご主張は月8万じゃなかったでしょうか。 年間凡そ100万、掛ける人口数で、おおまかに年間100兆円 と承知していましたが・・ それから「負の相続税」といいますと、相続に際してマイナスの 相続税が課される(相続に際して褒美がでる)という意味に なりはしませんか。 > > 性懲りもなくベーシックインカムについて考えています。 > 「政策として実現可能なBI」というテーマでブログ記事 > を書いていて「負の相続税としてのBI」というアイデア > が浮かびました。 > > 『政策としてのベーシックインカム論(5)』 > http://philosopher.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-1e01.html > > 議論のきっかけにでもなれば幸いです。 > 千隈 ============================== 千隈さん、こんにちわ〜 ひとつだけ教えてください。 >昔からの労使対立の構図の上で賃上げ要求などしていたら、 >日本は労も使もつぶれてしまう、そういう危機感を持っています。 と仰有っていますが、「労使協調」の書き間違えではなのではない ですか?? >その原資は68兆円と推計される国民年金の積立金です。 と仰有っていますが、厚労省の公式データでは、2007年度末で 国民年金の積立金残高は約8.8兆円となっています。 ↓ http://www.mhlw.go.jp/topics/nenkin/zaisei/04/04-01-02-19.html 60兆円近くをどこかに「埋蔵」しているということでしょうか? 青木 ============================== 森野先生、こんにちは。千隈です。 メールのご返事ありがとうございます。 「負の相続税」という呼び方は、BIに近い考え方に 「負の所得税」というのがあるので、そこから自然に 連想したものです。あまり厳密に捉えられるとつらい ものがあります。(笑) ただ、BIというものを「人生においてやがて払うべき 相続税に対する先取りされた補償」と捉えるなら、 あながち「負の相続税」という呼称が的外れでもない 気もします。 所得格差を埋めるためにBIのようなものが発案された のだと思いますが、私の考えはこれを資産格差の是正 に使えないかということです。 ============================== 青木先生、こんにちは。千隈です。 メールのご返事ありがとうございます。 国民年金の積立金を68兆円と推定した根拠は、以下の 記事で説明しました。厚生年金・共済年金・国民年金 は、これまで相当などんぶり勘定で運営されて来たの だから、積立金も納得いくように計算し直しましょう という主旨です。何か間違いがありましたら、ご指摘 いただけると嬉しいです。 『政策としてのベーシックインカム論(3)』 http://philosopher.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-1c9e.html ============================== 千隈さん もう一度教えてください。 この68兆円というのは、厚生年金や共済年金とは「別」に存在する のですか? さらにどこかに「積み立て」てあるのでしょうか? そうそう、それからもう一つ。 現在の基礎年金という「制度」は、国民年金と同じなのですか? 同じであるとすれば、何故、国民年金あるいは基礎年金という 呼称のどちらかに統一されないのでしょうか? 青木 ============================== 青木先生、こんばんわ。千隈です。 国民年金の積立金が68兆円という根拠は、ブログ記事 の本文に書いた通りです。少し長いですが引用です。 『先ほどのページの表によれば、平成20年3月の公的 年金の残高は、厚生年金が127兆円、共済年金が52兆円 くらいあるのに対し、国民年金はわずか8兆円あまり しかないのだそうです。(中略)国民年金にしても厚 生年金にしても、純粋な積立方式ではなく、国庫負担 がある前提で運営されて来たのですから、たとえバラ ンスシート上では厚生年金と国民年金の残高がそんな ふうに分かれていたとしても、その金額に正当な根拠 は無いのではないかと思います。もしも国民年金を 廃止するなら、この点は調整が必要です。考えられる 最も妥当な方法は、これまでに納付された実績と支出 された実績に合わせて残高を計算し直すことでしょう。 (中略)平成19年度の年金支給額(月額)は国民年金 が1.51兆円(平均5.8万円×2601万人)、厚生年金と 共済年金の合計が2.64兆円(平均17.6万円×1502万人) ということになります。つまり国民年金は、規模的に 言って公的年金の約36.4パーセントを占めているとい うことです(1.51/(1.51+2.64))。同じ表から 公的年金の積立残高の合計は187.8兆円であることが 分かります(8.3+179.5)。このことから国民年金の 実質的な積立残高は68兆円くらいであろうと想定しま す(187.8×0.364)。』 因みに私の記事では、国民年金と基礎年金という言葉 は同じ意味で使っています。1986年の年金制度改正で、 厚生年金が2階建てになり、1階部分(基礎年金)が国 民年金と統合されたという理解です。厚生年金や共済 年金に加入している人は、必然的に国民年金(基礎年 金)にも加入していることになります。 もしも理解に間違いがあればぜひご指摘いただきたく お願い致します。 ============================== 千隈さん 要するに千隈さんのお頭の中では、年金制度はすでに「統一」されていて、その積立金 残高うちの「国民年金」部分が68兆円にあたるという理解でよろしいでしょうか。 よく分かりました。ありがとうございます。 おそらく「基礎年金」というのは厄介な制度、とりわけ厄介な第3号被保険者の取り扱 いについても整理がなされていらっしゃるのでしょう。感服いたします。 ただ次の質問にはまだお答えいただいていないようです。恐れ入りますが、お答えをい ただくわけには参らぬでしょうか。 ■それは、どこかに「積み立て」てあるのでしょうか? ■「平成19年度の厚生年金の保険料収入は21兆9691億円、それに対して厚生年金部分へ の保険料給付は22兆3179億円になっています。その差、 3488億円。これを積立金の120 兆円を使って埋めて行きます。」と仰有っていらしゃいますが、ここでいう「保険料収 入」というのは、現行の厚生年金の被用者の年金保険料と事業主負担分なのですか? ■またこの「保険料収入は21兆9691億円」の中には、現行の国民年金を含む「基礎年金 」側に繰り出す拠出分も含まれているのではないですか? ■「昔からの労使対立の構図の上で賃上げ要求などしていたら、日本は労も使もつぶれ てしまう、そういう危機感を持っています。」と仰有っていますが、「労使協調」の書 き間違えではなのではないですか?? 青木 ============================== 青木さん、こんばんわ。千隈です。 > ■それは、どこかに「積み立て」てあるのでしょうか? 国民年金と厚生年金の積立金は、2006年に設立された 厚生労働省所管の年金積立金管理運用独立行政法人に よって管理・運用されています。運用の内訳は、国内 債券57.56%、国内株式17.88%、外国株式10.63%、 国外株式13.93%となっています。 ―以上、Wikipediaからの抜き書きです。 > ■「平成19年度の厚生年金の保険料収入は21兆9691 > 億円、それに対して厚生年金部分への保険料給付は > 22兆3179億円になっています。その差、3488億円。 > これを積立金の120兆円を使って埋めて行きます。」 > と仰有っていらしゃいますが、ここでいう「保険料 > 収入」というのは、現行の厚生年金の被用者の年金 > 保険料と事業主負担分なのですか? はい、そのように理解しています。 > ■またこの「保険料収入は21兆9691億円」の中には、 > 現行の国民年金を含む「基礎年金」側に繰り出す拠 > 出分も含まれているのではないですか? 含みません。これは国庫負担、運用収入、基礎年金勘 定への繰入等を除いた「保険料収入」と「保険料給付」 だけを取り出した数字です。 私の構想は、国民年金(基礎年金)を廃止したあとに 国庫負担に頼らないかたちで厚生年金を継続していく というものですから、「基礎年金」側に繰り出す拠出 も無くなるという理屈です。 > ■「昔からの労使対立の構図の上で賃上げ要求など > していたら、日本は労も使もつぶれてしまう、そう > いう危機感を持っています。」と仰有っていますが、 > 「労使協調」の書き間違えではなのではないですか?? この文章の中に「労使協調」という文字を当てはめて 読み直してみるのですが、私にはしっくり来ません。 書き間違いではありません、ここは「労使対立」です。 以上となります。 ============================== From: Eiichi Morino 相続税は相続する者が相続する時点で負担する ものですよね。 人生を終えるものは三途の川の渡し賃6文あればよし、 黄泉にいくなら旅費はただと決まっているそうだし(笑) > あながち「負の相続税」という呼称が的外れでもない > 気もします。 > > 所得格差を埋めるためにBIのようなものが発案された BIは格差を前提にした均等な配分ですよね。 所得や資産の状況を勘案しない給付。 人頭税で総スカンを食ったネオリベが今度はマイナス の人頭税でその他社会給付をすべてなくそうとし、 結果的には資産格差・所得格差の点では同じ効果 をねらうネオリベラルの変化球かもしれませんぞ(笑) 資産格差の是正に効果があるのは、母子年金の財源 を土地保有並びに土地地代への課税に求め、相続時 に土地証券によって買い上げ利札部分の支払を消滅 貨幣で行うゲゼルの土地社会化案や、相続時に国有化 し年金支給に変えて代償を給付するレオン・ワルラス の土地国有化案などがあります。金融資産については そもそも課税貨幣がその効果を持っていますよね。 ちなみにゲゼルの母子年金は均等な給付ではありません。 標準地を設定し、それとの差等を反映するかたちになります。 限界地に居住する者は100%の母子年金を受け、労働 せずとも子育てできるのですが、都会の優良地を選ぶほどに 減額部分が発生します。それを埋め合わせる労働機会 があるためでもあります。 まあこれらは基礎所得なみに思考実験の段階のものでは あります。 ============================== 森野先生、こんばんわ。千隈です。 また宿題のテーマをいただきました。「レオン・ワル ラス」、知りませんでした。Wikipediaの記述によれば 『ヨーゼフ・シュンペーターによって「すべての経済 学者の中で最も偉大」と評された』人なんだそうです。 へえー! 勉強してまた出直しますね。(笑) ============================== From: Eiichi Morino まあ昔の人ですけどね。主流の経済学者たちが評価するような、その純粋理論ば かりでなく、もし我々の将来社会の経済をより連帯的なものにしたかったら、む しろ彼の社会経済学や応用経済学のほうが興味深いと思います。 「自然は万人に土地を与え、各人に個人的な諸能力を与えた。道徳上の諸定義か ら合理的に導き出された道徳的諸原理の名において、我々は地代を共同で費消し なければならず、賃金は各人で消費すべきと私は主張する・・・また個人の諸能 力、そしてその労働、また賃金をば完全に個人のものとしつつ、地代をば国家が 所有するものとせよ・・・ レオン・ワルラス、『応用経済学研究』、1898年。 なんとも過激ですね。 ここで地代と訳したのはrentesと複数形になっています。つまり所有や独占とい う事実のみによって人が請求するものを広く意味しています。私が好みの(笑) 偉大な経済学者、モーリス・アレの表現では「ただ所有に由来する所得」です。 これは個人の領有するところとせず、共同で使うべきだという考えです。ゲゼル も同様の見解です。 ワルラスの著作はどれくらい邦訳があっかなあ、あまりないかもしれない。まあ 仏和辞典を買ってくればいいだけだけど。よいものをじっくり味わうのは楽しい ですよ。 ============================== 森野先生、こんにちは。千隈です。 いろいろお教えいただき、ありがとうございます。 基本的な経済学の素養に欠ける上に、翻訳の壁が あるので、ゲゼルの主著を読みこなすのにも苦労 をしています。母親年金についても、自分なりに 理解したつもりだったのですが、森野先生の説明 で新たに気付かされたことがありました。 gesell-mlに参加させていただいてから、自分なり に世界が広がったように感じています。どうして もインターネットでつまみ食いをするような仕方で 知識を吸収している部分がありますが、それでも 少しずつ生きた知識に変わっている部分もあるの ではないかと思っています。 モーリス・アレについては、まずはゲゼル研究会 の森野先生のコラムから入門したいと思います。 今後ともどうぞ宜しくお願い致します。 ============================== From: Eiichi Morino いまから15年くらいも前になりますが、ネオリベラル な思考の背骨をなすラジカル・キャピタリズム乃至 ラディカル・リベラリズムが流行はじめたころ、「情況」 という共産主義者の雑誌でそれを特集するというので アレを紹介したことがあります。コミュニズムの方々 がどう批判的な議論を展開するか楽しみだったのですが、 お一人も書かれず、すべてラディカル・キャピタリズム 万歳の議論ばかりでしたが、その両者ではない視点から 「自由主義と自由な社会主義の課題」としてアレを取り上 げたことがあります。 以前GRSJのサイトで参照できたのですが、いまはどこかに 行ってしまっているようなので、閑な折にでもネットで アクセスできるようにしておきます。 ほんとうはアレがゲゼルを全面的に議論している『経済 と利子』という著作を入手して紹介すべきなのでしょうが、 忙しさに流され今に至っているという状況。