3690.歴史は序章である



歴史は序章である100715
From: Eiichi Morino

経済の見通しには懸念材料も多く、現況も決してよいとはいえない。政治家も日
銀も現実に対して無力との感じをもたざるをえない。政治家はインフレターゲッ
トを語るが、もう長らく流動性のわな状態だから、イージーマネーの政策で単純
に通貨量を増やしてもマネーは実体経済に廻らないだろう。日銀は、ゼロ金利、
さらには量的緩和、そうして最近はターゲットレンディングを手がけ始めたが、
企業サイドの資金需要は弱く、他方で金融機関のカネは生産的投資に向かわな
い。次になにをしたらよいのか、手詰まりの状況だろう。我々なら、ここはひと
つマイナス金利のカネで流動性のわな状態から抜け出すしかないといえるが、当
局者に手がける勇気はなさそうだ。

減価紙幣なら財政を傷めず、実体経済にカネが回るし、消費も回復、将来の減価
率を為替相場が織り込んで円高も是正されるはずと思うのだが。ハーバードのマ
ンキューやロンドン・スクール・オフ・エコノミクスのウィレム・ブイターがマ
イナス金利(減価紙幣)を話題にしても我が国で言及する人は少ない。我が国の
場合はデフレ危機が続くということだろう。

そうしたなか先日、米国のエコノミストのブログで、「歴史はプロローグであ
る」との一文をみた。1932年のザ・タイムズをとりあげ、そこにケインズと
ハイエクの民間支出を巡る対照的な見解を載せている号である。読み返すと現在
の問題状況と少しも変わっていない。恐慌期という歴史は序章なのである。

最近、基礎所得に関連して国民配当のダグラス主義の亡霊も甦ってきた。よくそ
れについて尋ねられるのも、20年代、30年代が序章であると思えばなるほど
となる。ダグラス主義を生んだこの時代、過少消費が英国経済を色濃く覆ってい
た。ダグラス主義に止まらないが、景気後退、経済恐慌の原因をこれに求め、消
費の過少は所得分配の不均衡によると説く議論も多々あった。所得分配の不均衡
とは所得格差である。なるほど今も格差是正の必要が叫ばれる。

当時のゲゼリアンから見ると、過少消費説的議論は十分なものではなかった。な
ぜなら所得分配の不均衡は常に存在してきた。であるのに、いつに変わらぬこの
原因をもって、景気がブームを迎え景気後退に反転し恐慌を迎える循環的変動を
説明しきれないとしたからだ。また所得分配の不均衡が恐慌の原因とするなら、
それが解決されるまで恐慌は不可避ということになるが、そう言いうるものなの
か。

ここで貨幣及び利子の議論が介在してくる。金持ちは消費して余ったカネを遊休
させてはおかない。彼は利子をとるためにカネを貸す。これは大金持ちも小金持
ちも変わらぬ事情だ。所得分配が均斉を得て誰もが同じ所得になったにしても、
消費の余りである貯蓄は存在する。貨幣の形で保有されるこの貯蓄は利子が得ら
れねば流通に出てこなかろう。人のよく見るアタリマエの話だ。資金が利付きで
ビジネスに貸し出され、事業活動を通して利子が負担される。その利子が負担さ
れない場合は資金はショートし、事業は破産し市場は沈滞、失業が発生する。つ
まり利子が得られない場合の資本のストライキ(投資拒否)、また設備投資等を
通して生産設備などの資本の蓄積がすすむとあるところで、事業収益率が借り入
れ資金に掛かる利子を下回る水準に達する。これが景気後退を引き起こす。恐慌
が過剰な生産設備を一掃する。金貸しにとって倒産・失業は正常な利子稼得の条
件、正常な利率の回復のために必要だ。カネはビジネスにおいては長期に低収益
率で投資されいわば寝かされる。しかし金貸しはなるべく高い利率を得たい。

こうした事情をゲゼリアンは考え、金持ちの所得が高く、そのうち消費に向けら
れる部分が過少であり、勤労者の購買力を加えても生産力を吸収できないことに
景気後退を直結させる思考をとらず、貨幣的事情の考察の重要性を指摘していく
ことになった。そうして貨幣システムの改革を通して所得分配の不均衡を考察す
る方向に向かう。

ではダグラス派がどうであったのか、かんたんに解説している文章がないような
ので、少し紹介してみるかと思っている。
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20年代、30年代と現在の最大の違いは、工業先進国の財政が例外なく
経常的に赤字で、それが国民経済にがっちり組み込まれていて、要するに
政府の赤字支出がないと国民所得の大きな部分が失われてしまうという状
態となっていることです。

ただこの財政赤字と国民所得との関わり合いについて計量的な分析はきち
んとされた形跡がないようなので、今年後半の課題として取り組んでいこ
うと思っています。

ゼロから始めて、たった45年で1000兆円まで財政赤字を積み上げた
わが国は格好なモデルとなります。
青木
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そうです。序章であるとするのはその点で、民間部門の債務が
公的部門に(戦争までして)ツケ代わるのは40年代ですね。
このへんを取り上げ詳細に分析する財政赤字強硬派や投機筋の
提灯持ちエコノミストも欧米にいはするのですが、イデオロギー
色が強すぎたり、ポジショントークが過ぎる印象があります。

まあロゴフなどは別でしょうが、こと我が国の場合は欧米の
研究で分かる以上に、詳しく財政赤字の肥大化と国民所得の
相関を捉えてみるのはおもしろいでしょうね。
森野
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白崎です。

> ゼロから始めて、たった45年で1000兆円まで財政赤字を積
 み上げた
> > わが国は格好なモデルとなります。
> > 

まったく、その通りだと思います。このあたりのことは
、まとまられましたら、ぜひ、ご教示いただきたく存じ
ます。

また、直近の選挙でもどの政党も「成長経済」をうたっ
ていましが、そんな「経済成長」は、この先可能なのか
?という疑問も、ふつふつとわいてくるところです。
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こんにちは

この間よく経済人相手の講演で笑いながら話したのですが、いまの
時代、過剰と過少に目を向けると誰でも時代を感じ取れますねとい
うことを話の導入にいたしました。

過剰

○ カネ。
○ 過剰生産設備
○ 過剰労働力

過少
○ 資源・エネルギー

この条件のもとで、金融投資に向かうカネがゲームを演じ事態を作
り上げてきましたと。

そうして人はそれぞれの立場から問題を見、意見をぶっくさいいま
す。その色分けは、そこまで言っちゃうの、というリバタリアン
風原理主義者の金融・経済危機を前に「なにもするな」、から、相
変わらずの、民間で需要がでてこないなら公的支出を、までありま
す。
それぞれが、金融(カネ)の次元でも実体経済の次元でも各種政策
を喧伝します。

過剰も過少も経済的にはあくまで相対的なものですが、企業にとっ
て高収益な環境をもう一度ということであれば、がらがらぽんで危
機から焼け野原路線のラジカル・キャピタリストふうの推移がいち
ばんでしょう。企業は潰れ、生産設備は廃棄され、失業者は(日本
でいうなら)現行水準の倍以上、700万くらいは必要でしょう。
しかしそれでは社会がもちません。

需給ギャップを埋める需要サイドの政策をとなります。しかし、
民需が弱いので政府が活躍するしかない。とするとこれまでの
路線で、赤字で政府は沈みかける。うるとらCがないかと、
人によっては政府紙幣などと言い出す。政府にファイナンスする
金融システムとそこで動くカネに政府が翻弄されながら、金融
システム自体も過大なリスクにまみれる。

米国のマンガに

○ 政府というボートに銀行員が乗っておりこう言う
「我々(銀行)はあなたがたからカネを借りてあなた方の
債券を買う」
ここで、銀行は中銀からカネをただ同然に借りて政府の
財務省証券を買うといっているわけ。それで市中にカネ
が出るが、いちばんの需要先は政府という皮肉。
)。
○ 銀行というボートには政府が乗っている。
「我々(政府)はあなた方に債券を売り、融資することで
あなた方を救済する」と言う。

二隻のボートは浸水していまにも沈みそうだ。

似たような構図を民間経済と政府で描くこともできる。

どの政党もおっしゃる経済成長、名目GDPの成長を
するには、いま以上にカネをじゃぶじゃぶ出さねば
ならんでしょうね。それが政府の債務増の形をとるか
中銀のバランスシートの悪化の形をとるか、いずれに
しても公的部門の惨状をさらすことになるでしょうね。
だぶついたカネはそれを囃して攻撃対象にするでしょう。
コモディティはいま以上に投機の対象になり、企業
活動の利益率は低下するでしょう。労働コストに
しわよせするのはもう限界にきているでしょう。

つまりだぶつくカネは経済の成長を促し、生産的投資
の誘因とならないでしょう。

金融危機以前、英国はインフレターゲットをてがけて
うまくいっているといわれました。しかし危機で吹き飛び
ました。そんな政策より構造的リスクのほうがはるかに
力があったわけです。

経済が発展するほど既存資本量Kは蓄積します。資本の
収益率も漸減し、長期に停滞的な経済をみます。ケインズは
その趨勢のなかに金利生活者の安楽死を期待したのですが、
皮肉なことに金利生活者の支配の現実を私たちは手に入れ
ました。

政治家のいう成長は僅かなリフレーションの効果が期待
できるにしても、インフレがもたらすマネーイルージョン
(実質購買力は落ちているのに名目の所得で豊かな気持ち
にさせられ騙される)をもたらすのがおちでしょうか。
いやそこまでいかず、デフレ危機に焼け石に水かもしれません。

では人々の実質的な生活を引き揚げ、所得分配の公正の
よろしきを得る成長の黄金律はないものでしょうか。それは
あるとゲゼリアンは詳細な議論を行っていますが(独のフス
など)、そのためには解決しておくべき課題が多すぎますので、
当分、デフレ危機が続き、政治家のあがきがある日、悪性の
インフレをもたらすことになり、賃金稼得者を筆頭に呻吟する
日々がくるのかもしれません。
森野
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>また、直近の選挙でもどの政党も「成長経済」をうたっ
>ていましが、そんな「経済成長」は、この先可能なのか
>?という疑問も、ふつふつとわいてくるところです。
>

そうですね。例えば菅首相は「成長戦略」として法人税率を引き下げる
といっていますが、わが国の法人企業のうち9割は税制上は赤字企業で
すから、法人税も法人住民税も払っていません。

だからこれらの税率をゼロにしても、これらの法人企業にまったく「恩
恵」はないわけです。

恩恵を施すとすれば外形標準で課税される事業所税を「オマケ」するこ
とくらいしかありません。

でもそんなことをするとなると、地方財政がさらにパンクする度合いを
高めてしまいます。

そもそも税制上で赤字企業となっているのは様々な租税特別措置と称す
る課税逃れの抜け道が用意されているのが根本原因です。

業界団体をこれを目掛けて政権政党に押しかけ、政権政党はそれを餌に
カネと票を獲得してきたという蜜月関係があって、その関係だけは民主
党も自民党からきちんと相続しています。

昨日もテレビ番組で池上彰さんが法人税を下げると浮いた税金が研究開
発投資に回り、巡り巡って経済成長に役立つとかいう解説しているのを
ちらっと観ましたが、研究開発費はそもそも「経費」で「収益」から控
除されるわけですし、資産計上しなければならない設備投資なら繰り延
べ計上が認められる租特が受けられることになっていて、これで法人税
をなお下げて研究開発が活性化するとするのは甚だ疑わしいとするしか
ありません。

だいたい90年代から、タックスヘイブンに何ら規制を加えないまま各
国が法人税切り下げ合戦に走ったのは、戦前の平価切り下げ合戦と比肩
すべき天下の愚行という認識くらいどうして持てないのでしょうかね。
青木

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