3664.「人種隔離政策アパルトヘイト」とは



世界標準だった「分離すれども平等(アパルトヘイト)」を吹き散らした南アフリカのパワー
From得丸公明

皆様、

 ワールドカップサッカーのおかげで毎日南アフリカからの中継が観られます
が、「人種隔離政策アパルトヘイト」という言葉が何度も使われる一方で、その
由来については何も説明がありません。もしかしたらあまり知られていないこと
かもしれないと思うので、ひと言だけ申し述べさせていただきます。

 1948年に、オランダ系白人であるアフリカーナを代表する国民党が政権を獲得
したから、狂信的なアフリカーナが差別政策を始めたというのは誤解です。南ア
フリカの人種差別は、1910年に成立した南アフリカ連邦の憲法に人権規定がな
かったことからもわかるように、長い歴史をもちます。17世紀にオランダがケー
プ植民地を開いてから一貫していると思ったほうがよいでしょう。

 ではどうして、1948年にアパルトヘイト政策が始まったのかというと、第二次
世界大戦後の国際社会で人種差別を続けるためには、国際標準を遵守しておくこ
とが望ましいという判断があったのだと思われます。「アパルトヘイト」という
のは、英語のセパレーションと同じで、実はアメリカ最高裁で、人種差別を「分
離すれども平等」ゆえに合憲であるとした1896年の判決を踏まえていたわけです。

 当時のアメリカ南部は、まだ差別が激しく、1896年の最高裁判決が覆るのは
1954年のことでした。つまり、南アフリカの現実が言葉の虚飾を吹き飛ばしてし
まい、アパルトヘイトが人種差別の代名詞のようになったがために、アメリカの
判例が覆ったと考えられます。

 これまた余談ですが、南アフリカの人たちは、正直な人が多いように思いま
す。それは、ユネスコ世界遺産の世界で知られているなかで最大・最深・最古の
隕石衝突跡とされる20億年前の小惑星衝突跡フレデフォート・ドームや、ゴンド
ワナランドを分裂させた可能性のある1億4500万年前のモロケン隕石衝突跡に
よって、南アフリカの大地が聖地になっているからではないかと思うことがあり
ます。

 ヨハネスブルグが高地にあるのも、隕石衝突のおかげで、地殻が破れてマント
ルが上昇してきたからのようです。南アフリカの人々の心がきれいなのは、この
地に金やダイヤモンドの鉱脈が豊かであることとも通ずるかもしれません。南ア
フリカで人類が誕生したというのも、それなりに理由があることなのだと思います。

 1994年に書いた古い記事ですが、南アフリカの歴史です。

http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak2/1212282.htm

http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak2/1212292.htm

お邪魔いたしました。

とくまる




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