3660.陰謀?それとも単なる事故?



陰謀?それとも単なる事故? 

サッカーのワールドカップが開幕しました。私も開幕試合をテレヴィで観戦しま
した。

開幕式にネルソン・マンデラ元大統領の姿はありませんでした。

ご承知のように、ひ孫さんが前日に交通事故で亡くなられたためです。

交通事故について、乗っていた車がフェンスに激突したという報道(メルマガ
「虹の国・南アフリカ情報」と、歩いていて車にはねられた(毎日新聞)があり
ますが、いったいどっちが正しいのでしょう。どちらも正しくないということも
あるのでしょうか。

開会式が行なわれた6月11日は、ネルソン・マンデラ氏が終身刑の判決をうけた
リヴォニア事件の判決が1964年6月11日に行なわれた日であるという情報
もあります。

なにか陰謀でもあるのか、たんなる偶然か。何か情報はありますか。

いざ調べてみたいと思っても、本当のことはネットには載っていない。そのあた
りがネット社会の不親切さ。何を信じてよいやらわからなくなりますよね。

ご紹介する『虹の国・南アフリカ情報』は、どのようなお方か存じ上げません
が、個人の方が発行しているメールマガジンです。

とくまる

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 ★☆★ 『虹の国・南アフリカ情報・2010』 ★☆★ 2010.06.12

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◆南アフリカ、1964年6月11日

サッカーワールドカップ(W杯)南アフリカ大会開幕の6月11日が明後日と
なりました。

南アフリカ大会誘致の立役者、ネルソン・マンデラ氏の開会式への出席が気に
なります。
ネルソン・マンデラ財団のスポークスマンであるお孫さんのマンドラ・マンデ
ラ氏は、「祖父は92歳の高齢であり、フットボールの試合を見るために、寒
い冬の日に行くことは厳しい。健康を考えるべきである」と言いました。

6月9日の南アフリカの新聞によりますと、「ネルソン・マンデラ財団は、6
月11日はマンデラ他7人が、有罪になった日である」と言いました。
Mandela, Walter Sisulu, Ahmed Kathrada, Raymond Mhlaba, Denis Goldberg,
Andrew Mlangeni, Elias Motsoaledi and Govan Mbeki.

ネルソン・マンデラ氏の自伝「自由への長い道」(東江一紀氏訳)には、この
ように書かれていました。

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世界がリヴォニア裁判に注目していた。ロンドンのセントポール大聖堂では、
わたしたちために鉄やで祈りがささげられた。
<略>
6月11日、木曜日、判決を聞くために、わたしたちはふたたび司法宮に集ま
った。少なくとも6人については、有罪判決しかありえないと思っていた。問
題は量刑だった。
デヴェット(判事)は時間をむだにせず、すぐ本題に入った。低い声で、早口
に言う。
「この結論に至った理由は、文書にしたためてあります。それをここで読み上
げるつもりはありません。被告第一号は、4つの訴因すべてについて有罪。被
告第二号は、4つの訴因すべてについて有罪。被告第三号は、4つのすべてに
つて有罪……」
おもな被告のひとりひとりに、すべての訴因について有罪を申し渡した。カト
ラダは4つの訴因のうちひとつで有罪とされ、ラスティー・バーンスタインは
無罪放免となった。
「量刑は、ここでは言い渡しません。検察側、弁護側ともに、何か申立てがあ
れば。あす午前10時からその機会を与えることとします」デヴェットはそう
言い、休廷を告げた。
わたしたちは、カトラダとムシュラバが有罪を逃れてくれるように願っていた
のだが、ここでまた、国側のきびしい姿勢が示されたわけだ。容疑を裏づける
証拠がほとんどないムシュラバが、4つの訴因すべてについて有罪を宣告され
るのだとしたら、山ほどの証拠を突きつけられた残りのわたしたちは、絞首台
からそう遠くないところにいるということになるのではないだろうか。
その晩、仲間どうし話し合ったうえで、ウォルターとゴヴァンとわたしは、ど
んな判決が出ても、たとえそれが死刑であっても、控訴しないことに決め、弁
護団にそのむねを伝えた。その決断は、弁護団を驚かせた。
<略>
1964年6月12日、わたしたちは最後の法廷に入った。
<略>
……デヴェット(判事)が言葉をとぎらせた。ふたたび口を開いたとき、それ
まで抑えぎみだった声が、いっそう低くなり、今度はかろうじて聞き取れるほ
どだった。
<略>
……被告全員に終身刑を申し渡します。
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(お詫び:ネルソン・マンデラ氏の自伝「自由への長い道」東江一紀氏訳から
お借りしました)


◆ファンは、マディバ・マジックを切望する

ネルソン・マンデラ元大統領は、サッカーワールドカップの開会式に出席する
予定でしたが、ひ孫さんが乗っていた車のカークラッシュで亡くなったため出
席が出来なかったみたいです。
ひ孫さんは、6月10日にソウェトのオーランドスタジアムで行われた、ワー
ルドカップ・コンサートの帰りだったそうです。
ひ孫さんの乗った車がフェンスに激突した原因などが、南アフリカの新聞に掲
載されていましたが、警察やマンデラ家は発表をしていません。

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          写真を掲載している関連ブログ
        http://www1.ocn.ne.jp/~yeboo/southafrica/
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電子メールマガジン: 『虹の国・南アフリカ情報・2010』
           melma ID: 00103598
発行元: 沢木宏志

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http://mainichi.jp/enta/sports/soccer/news/20100612k0000m050098000c.html

南アW杯:マンデラ氏、開幕式出席取りやめ ひ孫事故死で

 【ヨハネスブルク高尾具成】アパルトヘイト(人種隔離)政策に立ち向かって
27年半の獄中生活を耐え抜き、W杯の南ア誘致にも一役買ったネルソン・マン
デラ元大統領(91)は11日、W杯開幕式典と南アが出場する開幕戦への出席
をとりやめた。元大統領のひ孫、ゼナニ・マンデラさん(13)がヨハネスブル
ク郊外で、W杯開幕イベントからの帰途、車にはねられ11日未明、死亡したた
め。アフリカ統合の象徴として出席が期待されていただけに、周囲から落胆の声
があがった。

 ブラッター国際サッカー連盟会長は「悲劇があった」と欠席の理由を開幕式で
紹介。「試合を楽しんでほしい」との元大統領のメッセージを観客に伝えた。

 マンデラ氏は「獄中での唯一の楽しみはサッカーのラジオ中継を聞くことだっ
た」と語るなどサッカーへの思いは深く、W杯招致に向け尽力した。人種融和を
進めた功績で93年、白人政権のデクラーク大統領(当時)とノーベル平和賞を
共同受賞した。
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地理決定論にもとづく文化の差
小川さん、

1についてですが、地理決定論にもとづく文化の差ということのほかに、大国の
パワーポリティックスの影響はないでしょうか。

戦後の朝鮮半島では、アメリカとソ連が自分たちが行なった戦後の植民地分割
(ヤルタ会談秘密協定)の現実を朝鮮人に知らさないために、すべて「日帝36
年」のせいにするように思想教育をしたということはないでしょうか。とくに記
録に残っていないかもしれませんが。

北朝鮮も韓国も、ともに1948年に漢字廃止を決めているところなどは、米ソ
の植民地政策が同調していたことを示唆するように思えます。1950年に始
まった朝鮮戦争も、38度線という国境線に焼きを入れて固定化するための、米
ソ合意のうえの戦争だったという気もします。

今年3月におきた韓国の哨戒艇魚雷攻撃も、次の戦場を生み出すための下工作か
もしれません。くわばらくわばら。

それに対して台湾は、国共内戦の結果、大陸に対して壁ができ、世界に対しても
鎖国というか、日陰者扱いの時代が続いたことが、戦前の日本統治へのノスタル
ジーを許したということはないでしょうか。

得丸
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抽象概念とは何だろう
皆様、

鈴木先生は、「ことばと文化」の中ですでに、「ことば」(つまり
音節の連続、音韻構造、シニフィアン)の意味は、「ある個人がそ
のことば(音韻)と結びつけてもっている具体的な記憶の総体」とい
うことをいっておられます。

僕はこの定義には大賛成で、これまで何度か引用もさせていただき
ました。

では、「抽象概念」とは何でしょうか。どう定義すればよいでしょ
うか。

「抽象概念」とは、「ことばによることばの説明」、「時間的(過去
や未来)・空間的(巨大、微小、遠方)な理由で、五官で感じることが
できない現象」というのはどうでしょう。

しかし、人が不毛な議論をするのも、抽象概念の解釈の違いだった
りします。

最終的に五官の記憶に還元しないと(落とし込まないと)、抽象概
念は意味をもたないというふうに考えるべきでしょうか。

それとももっと別の方法で抽象概念が誤解を生まないようにできる
でしょうか。

抽象概念についてのご意見・お考えがあれば、お願いします。

得丸


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