3649.口蹄疫発症後の対策について



キリスト教は動物に魂を認めないということと口蹄疫発症後の対策について
From得丸公明

皆様、南さん、浅山さん、

鈴木孝夫先生の『ことばと文化』のp121に、「キリスト教は動物に魂を認めな
い」という表現がありますが、口蹄疫にかかった牛を何万頭も殺す処分をとるこ
とは、キリスト教国の習慣に従っているからなのでしょうか。

もしこの病気が人間に感染したとすれば、全員殺害以外の対策がありえるので
しょうか。もし、人間でこのような疫病が流行ったときに、全員殺害以外の対応
があるなら、口蹄疫が発生した後の牛に対してももっと違ったやり方はないで
しょうか。 

いや、そもそも家畜を食用に育てること自体が、動物の魂を否定した行為であ
る。昨年5月に亡くなられた太田竜さんだったらそう言われるかもしれませんが。


パブロフは、『大脳半球の働きについて』の中で、犬に感情や感覚や欲望がある
ことを断固として否定します。30年以上、犬といっしょに実験を続けてきて、犬
によって気質の違いがあること(粘着気質や憂鬱質や多血質など)を観察してい
ます。

本の結論のところで、「大脳半球に帰着される高次神経活動のもっとも共通の基
盤は、高等動物でも人間でも同一である。したがってこの活動の基本的現象は、
人間でも動物でも、また正常でも病的な例でも同じはずだといっても反論の余地
はない」と言っています。

しかし、にもかかわらず、犬の心理や感情を否定し、動物は機械と同じだと信じ
込んでいるようなのです。

これが「動物に魂を認めない」ということなのでしょうか。

パブロフは、犬の大脳のいろいろな箇所を切除して、術後の反応を記録していま
す。日本人にとっては、読むだに辛い箇所ではないでしょうか。そして、実験が
終れば、犬のお弔いをするわけでもなく、犬塚をつくって霊を慰めるわけでもな
かったのだろうと想像します。

とくまる
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From浅山
> パブロフは、犬の大脳のいろいろな箇所を切除して、術後の反応を記録していま
> す。日本人にとっては、読むだに辛い箇所ではないでしょうか。そして、実験が
> 終れば、犬のお弔いをするわけでもなく、犬塚をつくって霊を慰めるわけでもな
> かったのだろうと想像します。

仏教徒であり、神道の宮司、氏子である日本人も先の大戦では多く
の殺戮を行いました。為政者の下、天皇陛下の下で。

言語で説くことの限界、抽象世界の理解へ至る道筋は生まれて7歳
までの神の子時代を大切にして、その後に置いたも思春期の終わり
まで両親の加護の元から次第に自立への巣立ち、生物一般の習い、
38億年の進化の集積。

これを覆す新時代への突入段階での文明のGとの格闘を妄想します。

ブロード館から巷の映画館へと移りました「オーケストラ」を観な
がら。
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浅山さま

たしかに、デカルトやパブロフのようなエリートたちは、概念に束縛されて、
非人間動物(non human animals)の感情や感覚を認めなかったけど、庶民は
認めていたのでしょうね。

そして、日本であっても、動物を機械や商品としてしかみない層がいるので
しょう。

ただ、そのように相対化して眺めたときに、やはり人間と動物の間に魂の有
無という線引きをした思想の存在は、大きいようにおもいます。

とくまる

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