荒川は死なない From得丸公明 養老や三鷹のカラフルで非線形・非平面な空間の中に身を置けば 人間と自然がじつはひとつの存在でありつながっているとわかる 荒川は自然の造形や色彩をそのまま文明に持ち込んだ 荒川の作品に自然を感じるとき荒川はそこで笑っている −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 訃報:荒川修作さん73歳=前衛美術の旗手 2010年5月20日 1時15分 更新:5月20日 2時29分 毎日 前衛美術の旗手として活躍し、独特の建造物の作り手として国内 外で知られた美術家・建築家の荒川修作(あらかわ・しゅうさく) さんが19日午前0時35分(現地時間)、米ニューヨーク市内の 病院で死去した。73歳。 名古屋市出身。1960年結成の前衛集団「ネオ・ダダイズム・ オルガナイザー」のメンバーの一人として活動。その後、渡米して ニューヨークを拠点にした。矢印や記号などで構成される「図式絵 画」で注目を集めた。 その後、建築などにも目を向け、パートナーのマドリン・ギンズ さんと共同で「養老天命反転地」(95年完成、岐阜県養老町)や 「三鷹天命反転住宅」(05年完成、東京都三鷹市)などを手掛け た。これらは身体の平衡がとれない不安定な建造物として知られた。 ============================== 天命反転と人類の未来 From得丸公明 皆様、 荒川修作追悼のための「現代という芸術」です。 とくまる 現代という芸術 : 天命反転と人類の未来 得丸公明 2010年5月19日,ニューヨークで,現代芸術家の荒川修作が73歳で死去したと いうことを報道するいくつかの新聞記事を読んだ.おそらくルネサンス以降の世 界で活躍した芸術家・思想家のなかで,唯一,自然と調和する文明を構築した天 才の死は,惜しまれるし,早すぎたといえるだろう. しかし我々はアラカワが思考し造形してきたことのほんの1%も理解していない のではないかとあらためて思う. そもそもアラカワの書く文章は難解で人を寄せつけないが,それは現場に人の 足を向わせるためであったのではないだろうか.こんなに難解じゃあ理解しよう がないから,ともかくも現場に行ってみようと思わせる策略だったのではない か.実際に高知県のおばさんたちはアラカワの魅力に引き寄せられて三鷹天命反 転住宅に飛んできたという.養老や三鷹の使用法は「言葉で考えることは無意味 だ.無心に体を動かして,そこで心に浮かんでくるものを掬いとれ」という精神 に裏打ちされていて,あたかも禅か禊修行の実践のようであった. 奈義の「太陽」,「養老天命反転地」としてアラカワがつくりあげてきたヒト と環境が相互作用するメカニズムは,「三鷹天命反転住宅」において24時間365 日身を置くことのできる住環境として姿を現した. およそ平たいところがない傾斜とデコボコだらけの床,一面ごとに色を変えて 目にやさしい彩りをあたえる壁,家財道具や衣類を収納して吊るすために天井に 埋め込まれた鉄製のフック.それらの中で過ごしていると,今まで忘れていた子 ども心が知らず知らずのうちに甦ってくる.たとえば筆者は,一週間この家の中 で暮らしただけで,外の歩道に隣接してつくられた花壇の淵の上を歩いてみたい という気持ちが湧いてきた.これこそが子ども心である.また,この家のなかに いると自然と掃除をしたい気分になって,気がつくと床を掃き,壁を拭いていた のは,どうしてだったのだろうか.まったく未解明・未検証のままである. こういった反転住宅の不思議な効用について一切触れることなく,「平衡感覚 が狂う」とか,「住みにくい」といった形容を気安くするマスメディアは,罪作 りである.記者は「平衡感覚が狂う」ということがいったいどのような現象なの か知っているのだろうか.床が多少歪んでいても平衡感覚は喪失されることはな く,むしろ逆に,平衡感覚も身体バランスも研ぎ澄まされて安定してくるのである. もっとたくさんの人が奈義や養老や三鷹を訪れ,純粋な子ども心を取り戻し て,21世紀の人類が危機の時代をどう過すごすかを考えるべきだ.アラカワは, 「あとは君たちの責任だよ」と一足さきに世俗的空間から身を引いたが,三鷹の 家を訪ねるとアラカワの気配が優しく迎えてくれ,我々に勇気と励ましを与えて くれる.「天命反転を実行せよ」と. ============================== 最澄のように、道元のように、荒川修作は死なない 皆様 マイルストンに書き送ったアラカワ追悼文です。 とくまる 最澄のように、道元のように、荒川修作は死なない 養老天命反転地をつくり、三鷹天命反転住宅をつくった荒川修作 がニューヨークで亡くなったという訃報に接した。1995年10月、養 老天命反転地が開所したことを知らせる新聞記事によってはじめて 荒川修作の名に触れて以来、私にとっては時代の最先端を走る思想 家であり、次々と天命反転の空間を生み出す魔術師として仰ぎ見る 存在でありつづけた。 今はまだアラカワを評価できる人は少ないけど、おそらくあと何 十年かすると、アラカワは日本民族が生みだした最高の芸術家であ り、人類の文明にとってもっとも大切なメッセージを残したという 評価が定まるであろう。時代を少しだけ先取りして、アラカワの偉 業を一部言語化してみたい。 アラカワは、ひとことでいえば、人類の文明が、直線と平面によ って自然の空間を切り取ってきたことが、自然と人類双方の生命力 を弱め、多様性を否定し、結果的に文明の滅亡をひきおこしたこと を知っていた。文明がそのように発展したことによって、文明空間 が広がれば広がるほど、自然は痛めつけられ、人間は鈍感でひとり よがり、身勝手になっていく。 アラカワがつくりだす造形や色を、一般大衆のみならず多くの知 識人も否定した。これは、現代を生きる人類がおしなべて、直線と 平面、貧しい色彩に慣れてしまっていて、自然が本来もっている自 由奔放な造形力も色彩も知らないことを意味している。 文明の慣性の法則から自由になり、自己の意識から文明の猛毒を 抜くためには、養老や三鷹の「使用法」に忠実に従って体を動かす ことがもっとも手っ取り早い。 * 何度か家をでたり入ったりし、その都度違った入口を通ること。 * 中に入ってバランスを失うような気がしたら、自分の名前を叫 んでみること。他の人の名前でもよい。 * 自分の家とのはっきりした類似を見つけるようにすること。も しできなければ、この家が自分の双子だと思って歩くこと。 * 今この家に住んでいるつもりで、または隣に住んでいるような つもりで動き回ること。 * 思わぬことが起こったら、そこで立ち止まり、20秒ほどかけて (もっと考え尽くすために)よりよい姿勢をとること。 (養老天命反転地 「極限で似るものの家」使用法より) すなおに使用法にしたがって、天命反転の空間に身をまかせると 、自分の意識が自然の色や形と相応しはじめ、封じ込めていた原始 人の血や知が目覚めてくる。人類の文明がいかに間違った方向に発 展したかということがだんだん実感できてくる。 天命反転は、天台宗の千日回峰や、曹洞宗の只管打坐に匹敵する 、自然の精神の回復術、ひとつの修行法なのである。比叡山や永平 寺では最澄と道元は生きていて毎日食事が供されていると聞く。ア ラカワも同じだ。奈義、養老、三鷹の空間をさまよえば、アラカワ はそこにいて、「君、よく来たね。僕がそこらじゅうに仕掛けたこ とを見つけてごらん。人間がどれくらいすごいかってことに早く気 づくんだよ」と笑ってみている。 アラカワは死なない。アラカワは生きていて、我々を天命反転へ といざないつづけている。