3628.金丙鎮著「同胞よ!」



金丙鎮著「同胞よ!」(晩声社、1997年)
From: 得丸公明

金丙鎮著「同胞よ!」を手に入れて読みました。

金芝河が、金大中が誘拐された日に、そのことを日本からきた学生
に話したというエピソードが書かれている、昨年の夏合宿で話題に
なった(?)本です。

著者の金丙鎮さんはきわめてまじめで、正直で、誠実な書き手であ
ると思いました。だから書いてあることは、すべて信じてよい、彼
の真心の記述であると思いました。

彼の日本に対する反発はものすごく、僕にいわせれば、ちょっと
それにとらわれすぎなくらいにも感じましたが。
たとえば、奈良の東大寺は、「朝鮮人の大工が作ったからすばらし
い」と思うところなど、誰が作ったとしても、いいものはいいと
どうしていえないのかなと、不思議でした。

でも、とにかくまじめな方で、「偽者ではない、本当の朝鮮人」に
なろうと思って、大学時代に韓国の大学に留学して、そのままサム
スン研究所で日本語教師になっていたところを、冤罪のスパイ罪で
つかまり、罪を犯していなかったし、本人がさいごまで罪を認めな
かったことをきっかけとして、公安からスカウトされて、通訳や情
報分析官になったということです。

そして、その仕事を2年でやめて、日本に逃れてきて、告発の書と
して『保安司』という本を出したことも、すごいことだと思います。


その方が書いている金芝河の記述は以下のとおりです。

大学時代に、先輩の紹介で「韓国のキリスト教協議会で主催するワ
ークキャンプ」に参加したとき、金芝河とはじめてあい、「ちょう
ど四時間話した。そんな対話の終わりに、詩人はこんなことを教え
てくれた。『今日、東京で、中情の要員たちが、金大中を誘拐した
』。私が接した、金大中氏拉致事件の第一報だった。犯人まで中央
情報部だと特定して、事件の数時間後に語っていた。」


私は、この金丙鎮という著者が、実に誠実で、嘘を書かない人だと
思っています。だから、この部分の記述も信用してよいのではない
かと思っています。

すると、なぜ、金丙鎮はこの記述を書いたのかという疑問がわいて
きます。

彼は、金芝河が北の指揮命令下にいたということの証拠をもって
いるのではないでしょうか。保安司で働いていたときに、何かを握
ったから、こうやってきわめて婉曲な表現ではあるが、金芝河がス
パイであるかのような表現をあえて書き入れたのではないでしょう
か。

著者に確認できるものならしたいところです。

とくまる
==============================
得丸さん 皆さん

まずは、金丙鎮さんの本の誤読であり、彼を最もキズつけ、悲しま
せ、かつ怒らせる読み方をしているということです。
今朝、念のため、この本の紹介者である辻本さん(彼女は大阪で金
さんから長年にわたって韓国語を学ぶ等親しく付き合っている人で
す)に電話して、該当のくだりを読んでもらいましたが、ますます
その思いを強くしました。

たしかに金大中が拉致されて、すぐに中央情報部の仕業だとたまた
ま日本から訪ずれていた在日の当時高校生に語ったというのは事実
のようですが、それがなぜ、いきなり北朝鮮の指揮命令下にいた証
拠みたいな言い方になるのか?

金丙鎮さんは、僕も一度大阪で会って、親しく飲みながら話したこ
とがありますが、軍事政権下、延世大学留学中に逮捕・拘禁され、
拷問も受けて、心ならずも保安司令部で働くことを余儀なくされた
(で、今はその不当拘禁・拷問・強制労働等の非道を告発し屈辱を
晴らすための闘争を韓国で展開しているはずです)という経歴をも
つだけあって、他者に対して警戒心が強い印象でしたが、金芝河に
対しては本心から敬意と共感を寄せ、かつ個人的にも親しくしてき
たとのことでした。

その憧れの人物と高校時代に初めて会うことができて、しかも直に
「金大中拉致があったが、これは中央情報部の仕業だ」という話を
聞いて、さすが(当時)民主化闘争の先頭に立つ詩人の直観はスゴ
イと感服して、おそらくはそんな話を直接聞けたことを自慢したい
気持ちもこめていささか誇張気味に、そう書いたからといって、
なんで、それが北とのつながりの証明になるのか???
百歩譲って、当時の韓国の政治・社会情勢からすれば、反体制運動
の先頭に立って世界的に注目度も高かった金芝河に対して、北が裏
から執拗に手を伸ばしていたことはありうるだろうが、金芝河は当
時(1973年前後)すでにカトリックに入信し、「社会変革と魂
の解放の統一こそカトリックの教理の核心だ」という境地に入って
いたのであり、思想的に北と手をつなぐなんてことはありえなかっ
たはず。

金丙鎮さんが翻訳した金芝河の文章をほんの少し読むだけでも、金
芝河が、文字通りラディカルで誠実な詩人・思想家であることは疑
いようもなく、北の手先論は、彼のそうしたあり方と思想をまるご
と冒?するものというほかありません。
金丙鎮さんに対しても単なる誤読を越えて、非礼の極みというべき
物言いです。

そんなレベルで「著者に確認したい」などの行動に出れば、金さん
は気が触れんばかりに怒って、ますます反日に走るだけでしょう。

得丸さんには、ぜひ、その一日前に書いてくれた「犬の概念体系」
のような領域の探求を、あまり寄り道しないで、極めていってほし
いと切に願っています。

なお、この件では、僕の見解はそれなりに伝えたし、これ以上書く
こともないので、当面は、皆さんからどんな反応があっても、よほ
どのことがない限り、書くつもりはありません。
いま追い詰められていることが一段落すれば別ですけど。
よろしくお願いします。

         松本
==============================
松本さん、

>たしかに金大中が拉致されて、すぐに中央情報部の仕業だと
>たまたま日本から訪れていた在日の当時高校生に語ったというの
>は事実のようですが、それがなぜ、いきなり北朝鮮の指揮命令下に
>いた証拠みたいな言い方になるのか?

金大中が誘拐されたのはお昼ごろです。

なぜ金芝河は、誘拐のことを事前に知ることができたのですか。

それを教えてくだされば、私も取り下げますが、事前に知っていて
、なおかつ金大中に知らせなかったとしたら、、、、

それをどう説明できるでしょう。

得丸
==============================
得丸さん
辻本さんから以前送ってもらっていた金丙鎮さんの本の該当箇所に
ついてのコピーが出てきたので、読み返してみました。
そこでは、「金大中氏拉致事件の第一報だった。犯人まで中央情報
部だと特定して、事件の数時間後に語っていた」と書かれています。
この文は一昨日の得丸さんメールでも触れていますが、
「事件の数時間後」と書かれています。
これが何故、「金芝河は…誘拐のことを事前に知ることができた」
になってしまうのか???

おそらく、すぐに知ったこと自体が怪しいということなのでしょう
が、当時(1973年夏)は朴軍事政権の全盛期で、
それに対する民主化闘争の(思想的・政治的)リーダーの双壁が、
金芝河と金大中の二人だったのであり、この二人は当時親密な同志
でもあったのです。
だから、金大中に異変が起こったとき、おそらく東京にいた側近が
すぐに金芝河に連絡を入れたのでしょう。
そうでないかもしれませんが、いずれにせよ、二人はこの当時朴政
権から徹底的に敵視され、中央情報部に常時監視されていたことは
間違いなく、そのことを全身で感じていたからこそ、事件発生の報
に触れるや、中情の仕業だと断定できたのでしょう。

そういう金芝河だからして、翌年には「民青学連事件」で指名手配
され、捕まって、死刑判決まで受けているのです。

ともあれ、僕にとっては、こんなことはどうでもよく、一万歩くら
い譲って、金芝河が仮に北の手先だったとしても、彼の書いたもの
と彼の実際に歩んだ人生に対しての評価は全く変わりません。
手先であっても、ここまで思想的営みを刻んでくれていれば、大し
た手先ではないかとむしろ感心してしまいます。

それと繰り返しますが、金丙鎮さんが
「金芝河がスパイであるかのような表現をあえて書き入れた」とい
うのは百パーセント、誤読です。
昨日も書きましたが、金芝河と初めて出会ったときの感動と驚嘆を
率直に、もしかしたらやや誇張して大げさに書いているにすぎません。
勝手に深読みして、書いた人間を著しく傷つけ、侮辱するような愚
かしいことはお互いに慎みたいものです。

                松本


コラム目次に戻る
トップページに戻る