3609.現代芸術は難解でなければならない!



 現代という芸術   現代芸術は難解でなければならない! 

 大衆小説を読んでいるとき、「はて、これはいったいどういう意
味だろう」とか、「うーん、何を書いているのかさっぱりわからな
い」と思うことはまずない。探偵ものやロマンスなど大衆小説は読
みやすさが命である。読みにくい漢字にルビを振るといったレベル
の話ではない。読者が知らない単語をなるべく使わないのだ。
だから読者は、すんなりと本に書いてあることを受け入れられる。
わかったつもりになることができる。読者がすでに知っている世界
の中で、物語は展開するのだ。 
 これは楽だけど、娯楽のための読書であり、読書を通じて新しい
世界との出会いを期待する人には勧められない。 

 一方で、科学の本は、読みにくい。読んでいると頭がついていか
ず、本を投げ出したくなる。読者の知らない世界のことが抽象的概
念を使って描かれているからだ。我々の脳内に、そもそも科学的概
念は備わっていない。だから、時間をかけて、基本的な概念を獲得
してそれとなじむ必要がある。それには手間暇がかかる。そして科
学的概念を自分のものにしてはじめて、著者の論理を追いかけるこ
とが可能になる。

 私は学生時代から読書会というものに参加しており、毎月、みん
なで本を決めていろいろな本を読んできた。だから、読書はわりと
得意なほうであると思っていた。しかし昨年来、私が一読して、
「何を書いているのか理解できない。歯が立たない」箇所があると
思った本に何冊か出会った。レフ・ヴィゴツキーの「思考と言語」
(柴田書店)、エチエンヌ・コンディヤックの「人間認識起源論」
(岩波文庫)、ジャン・ピアジェの「知能の心理学」(筑摩書房)
、そしてイワン・パブロフの「大脳半球の働きについて」(岩波文
庫)の邦訳である。 

 どれも読みやすいところだけ、飛ばし読みにして、目を通しただ
けでも、それなりに面白いことが書いてあるという印象をもった。
だが、細かな記述がどうしても頭に入ってこないところが至るとこ
ろにあった。不慣れな心理学や認知科学や脳生理学の用語が使われ
ていること、同じような用語を使って延々と実験や考察の結果が論
じられていて、概念の整理がつかないのだ。 

 こんなときは、いったん時間をおくために、本から離れてみる。
そして、本に対する気持ちを新たにして最初から丁寧に読み直す。
まるで石のように硬くなったビスケットを、少しずつ湿らせてかじ
っていくかのように、本の頁を一枚一枚めくっていく。 

 するとはじめて著者の論理が、自分の中で再構築されていき、著
者が本に書いてあることが理解できるようになる。そのときのうれ
しさといったら。読書における最高の喜びである。おかげでこれら
の本から、考えるヒントをいくつももらった。さらに本を材料にし
て考えをまとめているうちに何度となく本に目を通して、著者の考
え方への疑問や思考の限界が見えてくれば、著者との対話ができた
ということになる。 
  
 現代芸術作品との対話は、はじめのうち難解でとっつきにくい科
学の専門書と同じやり方が有効ではないだろうか。観る者に迎合す
る作品は、大衆小説みたいなものだ。最高水準の科学的著作が一般
人にとって難解であるのと同様に、よい現代芸術作品は難解でなけ
ればならないと思う。 

 難解さの中に、作家の深淵なる考察が秘められているのだから、
観る者は観るアングルを変え、接触の方法を工夫して、時間をかけ
て、何度も作品との対話を試みる必要がある。そのような営為の後
に、はじめて、よい現代芸術作品は観る者の心の中で躍動的に物語
りはじめるだろう。 

 現代芸術作品こそが、観る者に自己形成や世界認識の努力を求め
、ともに高みへと上昇しようとする最高の芸術作品なのである。 

得丸 

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