3597.ダグラスについて



ダグラスについて
                    Eiichi Morino 

マクロ経済といいますが、ダグラスには貨幣購買力に関する
基本方程式すらみあたらないですね。

不幸なことにアーヴィング・フィッシャーの「貨幣の購買力」は
邦訳がありません。

ケインズの銀行貨幣の分析に係る部分では、フィッシャータイプ
の基本方程式との違いを見せていますが、所得預金や営業預金
それぞれの、所得預金額の社会の年間貨幣所得の集計量に対する
割合や、営業的取引量に対する営業預金の平均した水準の割合
(いわゆるk_1,k_2)や、その逆数で与えられる回転高V_1,V_2の
フィッシャーとの違いに立ち入っていけば、ダグラスの出る幕はな
さそうです。

ましてやゲゼルの貨幣数量方程式には。

もちろん物価指数に関する分析装置すら見あたりません。投資
需要に関する分析装置も見あたりませんし、当然短期、長期の
利子率に関する議論もかなり探しましたが、ないようです。
その他あれこれ期待を外してくれました。

もちろん流動性選好理論などありようはずもありません(
これはプルードンに淵源します。)

ダグラスに見られるのは貨幣の表券主義理論を初発の部分のみ
取り入れた様子ですね。そうして批判されてチケットが社会
の生産物で担保されているのだと少しずつ見解を変節させていく
姿でしょうか。

我が国でいえば、節倹論から有効需要論に転回していく横井
小楠が『国是三論』で説き、実際に福井藩で行った経済政策
とつい較べてみたくなりますね。この実践の効果をみた
由利公正が小楠の物産総会所による藩の藩札による流動性供給
によって藩自ら投資需要を起こし、福井藩の内国経済、外部
貿易の繁栄をみたことを評価し、太政官札を初めとする
官省札に手を染め、大インフレを招き、大久保らが南北戦争
後の国家紙幣(グリーンバック)の収拾策を調べに渡米し、
日銀創設、松方デフレに至る苛烈な歴史も思い出されます。
カナダで長らくダグラス主義者は地方政府の政権を握って
いましたが、まあなにもしなかったので、事なきを得た
ということかなあ。

ケインズは『貨幣論』の脚注で、ドイツにおける貨幣の国家
主義理論あるいは表券主義の発展を扱った著作を引き合いに
出していますが、それを参照しますとダグラスのそれはいかにも
なレベルに止まっている印象をもちます。

ダグラスはアーサー・キットソンの『経済民主制』から多く
を得ていますが、大陸でプルードンがそれを説き、フェデラ
リスム、コンフェデラリスムの思想が広まるのは、キットソン
よりだいぶ以前のことですね。

スイスの直接民主主義によって編成された国家連合主義を
評価する思想的軸がどうもダグラスにはみつけられません。
むしろ彼や彼の仲間(とくにハーグレイブス)らが受け入れた
のはイタリアンファッショの協同組合主義といえるのでは。

ほんの一時期、ダグラス主義に感染したF・ソディが、***
の議定書などに言及しているように、そこでは反ユダヤ主義
の教義をいくつも楽しむことができます。ナチスの教義審決者
であったフェダーがドイツ産業への金融資本支配を懸念して
利子奴隷制の打破をゲゼリアンから剽窃したことのほうが経済社
会により密着していたとさえいえるかもしれません。

なお、ノースダコタ銀行に言及されていますが、ずいぶん以前に
当MLで発言した記憶がありますが、19世紀後半以降盛んになった
米国農民のポピュリズム(通常の語義とはことなる)運動の文脈
で理解されるものと思います。カナダほどにはダグラス主義は
米国には流入しませんでしたし、ノースダコタにおける運動は
社会主義者が中心になったもので、ダグラス派との関わりを示す
情報に私は出会ったことがありません。

今日のように、資源・環境制約に経済活動がぶっかりはじめる時代、
かつてのダグラス信奉者のように豊饒をいい、他方でそのなかの
貧困を語り、購買力注入を計って、経済の伸びを当然視する考え
をどう評価すべきかは私たちの問題ですね。

特段、この豊饒のなかの貧困論はダグラス主義にとどまらず当時
の時代の空気でもあったようです。資本蓄積が進み、全般的豊饒
の日がくるとの考えは根強く、その日になって、人は終わり無き
煩労から逃れ、じぶんとは何者であり、なんのための人生である
のか、なにが本当の仕事か、なにゆえじぶんはこの地上に存在す
るのか、問い始めるというのでした。

ケインズは『我が孫達の経済条件』で資本蓄積を扱いながらこうした
問題に一つの社会哲学を暗示しようとしているようにみえます。それ
は『一般理論』最終章の金利生活者の安楽死による社会化された世界
の暗示とも関連します。しかしダグラスの場合は金利現象を解明する
理論を欠いていますので、人類が有史以来積み上げてきた達成を
積分式で示すのがおちでした。

しかしとにかくもこうした議論は3〜4世代前のものです。思い返す
とゲゼル研究会を開始したころは、こうした暗示に明瞭な解答を与え
得うるものを探し、ケインズのもっとも極左的な解釈であるM・エル
ランやブラジル中銀のS・フェルナンデスの議論を紹介しようとしま
した。

そして評価と批判を合わせ寄せられる各種の貨幣改革家の議論を
紹介し、貨幣改革の新たなフロンティアが切り開けるのではないか
と思っていました。ですから個人的にもモーリス・アレの主張に
基づくミッテラン政権下での左翼共同綱領の金融・貨幣制度の
改革論なども努めて紹介してきました。

その後、ブイターをはじめ、各地での研究も進捗していますし、
ゲゼリアンのなかの良質な議論を紹介・消化すべき時期にきている
のかなと。
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森野さん、白崎です。

> 我が国でいえば、節倹論から有効需要論に転回していく横井
> 小楠が『国是三論』で説き、実際に福井藩で行った経済政策
> とつい較べてみたくなりますね。

ここのところは、私も大いに興味があるところです。
そもそも、明治維新政府は、横井のアメリカ認識の
肝「君臣の義を廃して一向公共平和を以て務とし」とい
う政治論をまったく理解せず、「太政官札」なるものに
埋没していったわけです。君臣の義を廃するということ
の背後にある「公論」の意味がわからない大久保らでは
しかたのないことでしょう。また、横井は
南北戦争を批判していますね。「心得の学」なき
ところで「心情」を知らないというわけです。ここのと
ころは、通貨論にも反映させたいところです。

ところで、ダグラスとスイスの民主主義(連邦主義)と
は親和性があるとみていますが、いまは、先週の
稼ぎ仕事の疲れでダウンしていますので、日をあらたま
めて議論したいと思います。
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Eiichi Morino 
> 南北戦争を批判していますね。「心得の学」なき
> ところで「心情」を知らないというわけです。ここのと
> ころは、通貨論にも反映させたいところです。

天下を相手にした由利に弁解の余地なしとはしませんが、横井
と由利の相違はこのへんのところにありますし、福井藩札の信
用維持をめぐる英国との戦いも、横井の政治論にあります。
君臣の義を廃さねば政治は立たぬとの姿勢には当然、『海国図
志』で米国の状況まで掴んでいた横井の眼力がありましょう。
> 
> ところで、ダグラスとスイスの民主主義(連邦主義)と
> は親和性があるとみていますが、いまは、先週の
> 稼ぎ仕事の疲れでダウンしていますので、日をあらたま
> めて議論したいと思います。

欧州のconfederalismeは奧が深いですよ。
カナダのアーバーハートに煽られて日和ってしまう
ようなダグラスとは質が違いますかね

> 横井は、藩政府負担・利益は民という原則で、
> 藩政府の無利子貸し付けをさせるようにという主張で、
> その財政運用での「紙幣発行」をも言います(「国是三
> 論」)また、これを一藩のみならず、
> 全国に適用可能だともーーーー。
> 
ずいぶん以前、プルードンの48年革命時の「信用と流
通の組織化論」と比較してみようかと思ったことがあり
ます。

越前における物産総会所構想はひょっとすると
プルードンの「永続博覧会計画」と較べられるのではとも
考えた。

しかしこれは、前者が物産の投資需要を起こす手法
なので、博覧会マネーによる交換の組織とはアプローチ
が違うな、むしろ近世農学者の発想に近いと思い至った
経緯があります


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