3592.実心実学の復活(江戸思想の復活)



現在の日本の事業現場を見ていると、日本人の道徳観がなくなって
いることを痛感する。ビジネス上で自己の利だけを主張して、他人
の利を考えないことや商道徳に違反したビジネスを行う企業人が多
数、存在する。利があるような広告が出ているが、実際は損をする
と言うことでビジネスをしている企業が多い。   津田より

0.日本の現状
この日本人の道徳観のない行動が、日本の政治現場にも反映して、
自己の利益を最大化することしか考えない国民がいて、その国民に
迎合する政治家が財政赤字を放置して、とうとう日本国債の累積が
、国民総貯蓄額1400兆円の内1000兆円にまでなっている。

ヘッジファンドの国際会議で日本国債が話題になり、いつ国債の金
利上昇が起きるか、パニックがいつ起きるかを議論している。ヘッ
ジファンドは、日本の崩壊を待っている。そのときに円や国債の空
売りを仕掛けてくる。しかし、日本の政治家は、全然そのことを知
らないかのように国債を大増発する。

もう、後戻りができないレベルに日本国債が累積され、財政秩序の
回復だけでは国債を償還できない所まできている。とうとう、郵貯
の全資金を日本国債に振り向けても、日本国債を買い支えることが
できなくなり、郵貯の限度額を1000万円から2000万円にす
るという。しかし、郵貯の貯金総額は毎年減少してきているために
、日本国債を売ることが必要になっている。これを防止するために
、郵貯を優遇すると亀井金融相は言うのである。

しかし、このような事態にあることを知っている亀井金融相は、一
層の景気回復のために国債を発行して公共事業をしろという。この
ように日本の国債問題を何も解決しないし、より悪くなることにな
る。このため、日本はいつ崩壊するかを世界が見ることになる。

今までは日本のGDPが増加していたので、団塊の世代の退職金も
増加して貯金も増えていたが、今後、日本の経済成長は下降して来
るので、今後の退職者は今までのような退職金を貰えなくなる。ま
た、団塊の世代は今後徐々に預金を使うので、全体の貯金は徐々に
減ってくることになる。

そして、最後は日銀が国債を直接買う方向に向かっている。日銀ル
ールである紙幣発行高と現時点の国債持高は同程度になっているの
で、現時点で2倍の紙幣が出ていることと同様になっている。
これを数倍以上にすると、インフレや突如の円安になる可能性が増
してくることになる。とうとう、日銀が国債持ち高としての資産を
数倍まで増やすことが必要になっている。江戸時代の藩札を見れば
分かるが、藩札を増やすとインフレになり、最後はハイパーインフ
レになり、大変なことになっている。現在、ヘッジファンドがいる
ので、その現象は空売りを仕掛けてくることで、相当早く実現する
ことになる。

バカな大学教授が日本政府紙幣を大量に出せと騒ぐが、金融を取り
巻く世の中の動きを知らな過ぎる。ヘッジファンドの日本観を知っ
ていれば、このようなことがいかに悲劇的なことになるか一目瞭然
である。

どうして、日本人は身勝手になったのかというと、西洋の考え方の
内、実学を取り入れたが、キリスト教の施しという西洋の心を取り
入れていないために、現在の日本人は西洋的な実はあるが心が無く
なっている。この西洋の心の代わりに、日本は昔、儒教という心が
あったが、今は、この思想もなくなっている。このため、道徳観が
ないビジネスや政治が行われている。

そして、昔あった心の思想とは、日本の江戸時代の朱子学と陽明学
という実心実学の思想であった。この復活がどうしても今の日本に
必要になっている。

1.実力主義が日本をダメにした
 バブル崩壊後、日本企業は効率重視になり、実力主義を取り入れ
たが、この実力主義には敗者と勝者ができる。敗者は会社を辞めて
非正規雇用になる可能性が高くなる。しかし、日本では勝者が敗者
を助けると言う西洋のキリスト教での施しという考えはないために
、国家が社会保障の一環で敗者の生活を支えるしかない。

これでは社会保障費がとんでもないことになる。しかし、欧米風な
実力主義社会にして、ある程度以上の勝者の税金を安くしている。
逆累進税構造になって、10兆円以上の税収がなくなっている。

このような欧米の制度を持ってきたが、その結果は日本の儒教的な
部分を根こそぎ排除したことになっている。道徳的なビジネスより
手っ取り早く儲けるために、お客に嘘をつく事は多くなっている。
お互いに相手の利益を考えると言う商習慣は無くなり、自分の利益
しか考えないという大企業経営者のなんと多いことか?

欧米社会では、勝者が敗者の面倒を見ることは、天国に行くために
必要な勝者の義務として存在しているが、仏教の日本では自己責任
という感覚が強い。仏教は忍耐など自己修練性強く、他者への布施
という教えは薄い。この他者への思いは江戸時代の朱子学・陽明学
に求めるしかない。

2.中国での実心実学の思想
儒教は、五常(仁、義、礼、智、信)という徳性を拡充することに
より五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)関係を維持することを
教える。

このため、儒教は心や礼の宗義であったが、中国北宋時代の儒学者
程伊川が性即理説を言い、事と自得の両面が必要とした。ここで実
心実学になる。

中国宋代の朱子はこの程伊川の説を補強して、窮理と居敬が実学者
の道であるとした。この朱子に対して、中国明代の儒学者王陽明は
知行合一を主張、私欲の心がないことが良知で、この心で行動をす
ることが重要と教えた。

3.江戸時代の実心実学の思想
林羅山が朱子学での治天下を説いた。中江藤樹が陽明学で町人も教
養をつけるべきとし、藤樹の教えが「江戸しぐさ」の中に生かされ
たという。

朱子学者伊藤仁斎は、理屈よりも人間的で血液の通った心情を優先
する教えを説き、江戸時代の最高の朱子学者である荻生徂徠は、「
制度」を作り、その力で民衆が気が付かない間に平和で豊かな社会
を築こうとした。法家的であるが修身斉家治国平天下を標語した朱
子学者である。

石田梅岩は、中江藤樹の教えと鈴木正三の仏教思想などから石門心
学を起こし、憎むべきものとされていた商人の営利活動を積極的に
認め、道徳に基づいた勤勉と倹約を奨励した。

三浦梅園は「価原」で貨幣が、モノやサービスの通商を利便ならし
める、交換手段の役割のみを果たすべきものとした。投機的動機な
どに基づくと過大な資金需要を作り、正常な取引ができなくなると
警告している。実心と実学が一致することが重要と言っている。

大蔵永常は、国を富ませるためにはまず、下の者(民衆)が豊かに
なり、その後で領主が利益をあげることを提唱し、「民富」の優先
を主張した。他利優先で治人ができるとした。

二宮尊徳は、「報徳思想」を唱えて、道心を立てた結果として、至
誠、勤労、分度、推譲、を行っていくことではじめて人は物質的に
も精神的にも豊かに暮らすことができるとした。

横井小楠は、時勢に合わせた理念を実現しようと西洋文明を受け入
れ、それをも利用する。産業を積極的に興し、他藩や外国と貿易を
行い、農民を豊かにすることによって、藩も豊かになるとした。

三島中洲の「義利合一論」を受けて、渋沢栄一は「道徳経済合一説
」という理念を打ち出した。

というように、江戸時代はビジネスと道徳をどう関係させていくか
を思想化した時代である。この思想には墨子の考えである「交相利
」の相互・全体の利を考えると言う思想も暗黙の内に入っている。

4.さいごに
今回は、その江戸時代の実心実学を紹介したが、この現代化を進め
る必要を考えている。
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程伊川(1033−1107)中国北宋時代の儒学者
  性即理説
  一物の理は、宇宙全体の理と同一であると考えることによって
  、道徳の淵源である「道」の尊厳を保ち、人の「性」をも「理
  」であると考える。「理」に絶対善・精神性をあて、「気」に
  相対性・物質性を与える。物質的なものの中にひそむ理を窮め
  ることにより、人の「性」は本来の善を取りもどす。
  治経ことが実学であり、至理=中庸としての絶対善があるとし
  た。また、事と自得の両面を必要とした。
朱子(1130−1200)中国宋代の儒学者
  聖門実学
  “理”とは、「理とは形而上のもの、気は形而下のものであっ
  て、まったく別の二物であるが、たがいに単独で存在すること
  ができず、両者は“不離不雑”の関係である」とする。また、
  「気が運動性をもち、理はその規範・法則であり、気の運動に
  秩序を与える」とする。この理を究明することを「窮理」とよ
  んだ。
  自己と社会、自己と宇宙は、“理”という普遍的原理を通して
  結ばれ、理への回復を通して社会秩序は保たれるとした。
  窮理と居敬が実学者の道であるとした。
王陽明(1472−1529)中国明代の儒学者
  心即理
  天地に通じる理は自己の中にある判断力(良知)にある(良知
  を致す=致良知の説)と主張した。また、知と行を切り離して
  考えるべきでないという知行合一を主張した。
  私欲の心がないことが良知である。
林羅山(1583−1657)
  朱子学者として、万物は「理」と「気」から成るとする理気二
  元論を説き、理法が諸現象を支配するのと同様に理性が情欲を
  支配することを理想とした。また、上下定分の理を説いて士農
  工商の身分制度を正当化した。
中江藤樹(1608−1648)
  江戸時代初期の陽明学者。「天子、諸侯、卿大夫、士、庶人、
  五等の位・尊卑・大小・差別ありといえども、其身に於いては
  毫髪も差別なし」という、人間平等観を持っていた。
  無為自然の良知を手がかりとして人倫を行う。これを工夫と呼
  び、行修と称すると、「視、聴、言、動、思」の五事を通じて
  なさるべきであるとした。
伊藤仁斎(1627−1705)
  朱子学の「理」の思想に反して、「情」を積極的に価値づけし
  た。客観的でよそよそしい理屈よりも人間的で血液の通った心
  情を信頼している。
荻生徂徠(1666−1728)
  徂徠学が修身斉家治国平天下を標語とする儒教思想。問題を二
  つに分けた。一は、機構の面、他は、これを具体的に運営して
  いる人間の面である。第一には、「旅宿ノ境界」からの武士の
  脱却をはかること − そのために、武士は領地に帰り、土着し
  て大規模に再生産に従事すること、また戸籍を作成し「旅引」
  (旅行証明書)を発行して人々の移動を統制することである。
  第二は、「礼法」を確立して、身分制度を樹立すること。この
  ことは「礼楽」に「道」を求めた。「制度」を作り、その力で
  民衆が気が付かない間に平和で豊かな社会を築こうとした。
石田梅岩(1685−1744)
  著書に『都鄙問答』『倹約斉家論』がある。
  石門心学を起こす。憎むべきものとされていた商人の営利活動
  を積極的に認め、道徳に基づいた勤勉と倹約を奨励した。
三浦梅園(1723−1789)
  「価原」で貨幣は、モノやサービスの通商を利便ならしめる、
  交換手段の役割を果たすべきものとした。モノやサービスの社
  会的な配分を滞りなく実現するにつき、過不足なき貨幣があれ
  ば事足りるはずと。「金銀の通用は天地よりして観る時は、左
  の物を右に移し、右の物を左に移すに過ぎ」ないわけです。
  それが本来の職分をはずれ、人は取引動機にとどまらず、投機
  的動機などに基づく過大な資金需要を作りだし、これに金融シ
  ステムによる信用創造のメカニズムが応えています。モノやサ
  ービスの社会的配分においては、金銀(貨幣)の多寡は、「多き
  と少きとかはる事はなく、多ければ多き程、煩しきを増し、そ
  の多き金銀に就いて、游手を増し、天地より生ずる財を費す者
  、次第に出来るべし」というように、なんら実際の経済に規定
  的な役割をもつべきではないと貨幣を規定している。
大蔵永常(1768−1860)
  行政は口を出さず民主導でやれ、ただし行政はマーケットリサ
  ーチに精を出せと指摘する。多くの失敗の原因を「適地適作の
  作物でないこと。領主側が早く利益をあげようとして費用をか
  けすぎること。専売制によって生産者の自由な売買を妨げてい
  ること」などをあげ、そして国を富ませるためにはまず、下の
  者(民衆)が豊かになり、その後で領主が利益をあげることを
  提唱し、「民富」の優先を主張した。
二宮尊徳(1787−1856)
  「報徳思想」を唱えて、「報徳仕法」と呼ばれる農村復興政策
  を指導した。報徳思想とは、道心を立てた結果として、至誠、
  勤労、分度、推譲、を行っていくことではじめて人は物質的に
  も精神的にも豊かに暮らすことができるというのが報徳教の根
  本的論理である。
横井小楠(1809−1869)
    「三代の治道」という民衆が平和で豊かな生活を図ることが為
  政者の役割であるとし、時勢に合わせた理念を実現しようとし
  た。儒学者であるが、西洋文明を受け入れて、それをも利用す
  る。日本のみの利害を優先させる論の立て方を行わない。開国
  鎖国の論議を越えた交易の必然性を主張する。
  横井小楠は「財政改革は、緊縮財政ではなく産業を積極的に興
  し、他藩や外国と貿易を行い、農民を豊かにすることによって
  、藩も豊かになる。民富めば国富む。」という視点で、改革を
  行った。
  松浦玲は、西洋の学(事業上の学)について、「小楠には、こ
  の事業の学の内部に立ち入って、事業の学が不道徳を生み出し
  てくる構造を見きわめ、事業の学を拒否しあるいはつくりかえ
  ようとするまでの姿勢はない。これは朱子学の格物究理を性急
  に放棄した結果だと私は見る。そのため、事業の学の欠陥をカ
  バーすることは、小楠という巨大な個性ゆえに確保している心
  徳の学に求めるほかはなかったのだ。小楠の学の継承されにく
  さも、おそらく、ここに起因する。」と。自分達への課題とし
  て提起されて40年。事業の学の欠陥を乗り越える実践的な思
  想がまだない。
三島中洲(1839−1919)
  義に則った利益の得方・使い方が出来なければならないとする
  「義利合一論」
渋沢栄一(1840−1931)
  「義利合一論」を発展させて、「道徳経済合一説」という理念
  を打ち出した。倫理と利益の両立を掲げ、経済を発展させ、利
  益を独占するのではなく、国全体を豊かにする為に、富は全体
  で共有するものとして社会に還元することを説くと同時に自身
  にも心がけた。
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墨子の「交相利」の思想とは
 直接的な利益の交換を指すのではなく、兼愛の精神により、他社
を犠牲にしての自利獲得を停止し、そういう手段によって最終的に
得られる天下の大利、つまり、全世界の安寧回復を万人がともに享
受しようとする意味である。


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