3582.『ことばと文化』の冒頭5 行に関して



鷹揚の会と鈴木先生      
          得丸公明(人工衛星システム・エンジニア)

1 鷹揚の会について
 月例読書会サークルである鷹揚の会は、1992年夏にパリで生まれ
て一年活動し、その後ロンドンで4年活動し、1998年正月から東京で
運営しています。主に歴史や科学や文化や宗教といった五官では感
じられない世界について論じられた本をたくさんとりあげてきてい
ます。夏には厚い本をテキストにして合宿をしてきましたが、昨年
は本よりも直接体験だということで、韓国で合宿をやり、今年は台
湾でやる予定です。
鷹の字は、内村鑑三の「代表的日本人」に紹介されていた上杉鷹山
のヨウの字を一字いただいたつもりでしたが、今回、鈴木先生とと
もに学ぶ会であるタカの会にもつながることは、非常に喜ばしいこ
とです。
 本を決めてみんなで議論する読書会というスタイルにはモデルが
あり、それは総評全国一般南部支部理論委員会として松本さんが戸
田徹たちと運営していた「珍々論々」という読書会です。
 私は30年近く前の学生時代にたまたま出会って珍々論々に参加し
て、なかなか読みこなせない本に圧倒されていました。正直いって
当時は歯が立たない本とか、読んでも理解できない本が多かった。
それでも議論している姿に魅力を感じていました。
 少なくとも私の場合は、読書能力は、若いときには非常に弱くて
、30年かかって、本を読むための言語処理回路と、経験や体験を重
ねることによって自分の記憶の中にコトバの意味が蓄積されてきた
のでしょう。最近やっとどんな著者のどのような内容の本でもなん
とか読みこなせるようになってきました。読書会においては、取り
上げる本も大切ですが、読み手の訓練・熟練というものも、結構大
切なようです。

2 鷹揚の会と鈴木先生
 これまで鷹揚の会では、2001年来、何度も鈴木先生にお越しいた
だき、お話を伺い、先生が新しく出された本をテキストにしてきま
した。それまで言語学をテキストにしたことはなかったので、鈴木
先生のおかげで、言語学について勉強をすることになりました。我
々は、素人ながらも、鈴木先生直伝の言語学を学んできたことは誇
れることだと思います。
1)
 鈴木先生の教えを受けた我々がどうなったかというと、我々は言
葉の意味というものに、こだわるようになりました。
 これは「ことばと文化」以来の鈴木先生の十八番のテーマです。
「ことばと文化」の第4章で「コトバの意味」が論じられています。
 鈴木先生は、「言葉の意味」とは、「ある音声の連続(イヌならイ
ヌということば)と結びついた,ある特定個人の経験や知識の総体で
ある」とおっしゃっています。
 この「経験や知識の総体」は、言い換えるならば「記憶」でしょ
う。コトバの意味が記憶であるということを、他の言語学者はあま
り気にしていませんが、おそらく本質をついていて、これから言語
学の通説になっていくのだと思います。
 鈴木先生のすごさは、これに限りません。『ことばと文化』だけ
読んでもこれからこの研究会が扱うべきネタがキラキラと輝いてい
ます。『ことばと文化』の第3章にある「かくれた基準」というのは
、我々の意識上で構築される概念体系の問題です。第5章の「事実に
意味を与える価値について」で論じておられるのは、価値基準、行
動選択の判断基準についてです。
人間の世界観や行動規範が言語学と密接に関係した問題であるとい
うことも、これからの言語学というよりも人類にとって大変に重要
な研究テーマになると考えられます。

2)
これからの人類にとってというのは、環境危機の問題があるからです。
  実は、2002年の持続可能な開発のための世界サミットが開かれた
とき、「地球環境問題」とは何か、どこまで深刻な問題なのか、深
刻であるといっている人たちがそんなに悩み苦しんでいないのはな
ぜかといったことを考えるために、「地球環境問題」について言語
学的に解析したことがあります。
地球環境問題とは、抽象概念です。つまり五官で感じることができ
ないので経験や体験が自分の中で生まれない。つまりコトバの意味
が我々の中に生まれない概念です。そうすると、よほどきちんと筋
道を立てて科学的・論理的に理解しようとしないかぎり、スローガ
ン、お題目になってしまいます。つまり最終的にそれを信じるか、
信じないかの宗教的な、信仰の問題になる。
簡単にいうと、環境省の役人も、環境保護団体のNGOの人も、それが
仕事だからというだけの理由で環境保護運動に取り組んでいるけど
、実は地球環境問題というものがどれほど恐ろしいものであるかを
理解していない可能性があるのです。
 鈴木先生の1994年に、「人にはどれだけの物が必要か」という本
があります。地球環境危機という抽象概念を、きちんと理解してい
るヒトは少ない中で、鈴木先生はその深刻さと後戻り不能性を真っ
先にご理解されたようです。科学者も偉大であればあるほど先が読
めるようで、人類文明の暴走と逃れようのないカタストロフィに偉
大な科学者は二十世紀半ばから心を痛めています。
言語は人類であることの必要十分条件として存在しています。人類
とはコトバを話すサルというのがもっともふさわしい形容でしょう
。そして言葉を獲得してはじめて人類は人類になったといっても過
言ではありません。
 だとすると、地球環境問題を人類が起こしたのは、もしかしたら
言語のせいだったかもしれないということになります。

 コトバは人間の原罪であるのか。コトバや人間はがん細胞のよう
に悪であるのか。それともコトバもヒトも存在としては善であり、
その正しい使い方を知らないできただけなのか。このあたりを解明
する必要があります。ぜひとも鈴木先生のご指導をいただき、この
研究会で解明していきたいと思います。よろしくお願いします

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『ことばと文化』の冒頭5 行に関して
From: tokumaru

皆様
タカの会には、ファンクラブにしたい人たちと、先生に刺激を与え
ることによって、先生からもっとたくさんの刺激をもらいたいと考
えている人たちがいるようで、どちらの路線にするかを急ぐ必要は
ないのでしょうが、おそらく鈴木先生は知的刺激を受けることを望
んでおられることと思いますので、我々も一生懸命に取り組まなけ
ればならないのだと思います。

その場合、一番だいじなことは、鈴木先生が何度もおっしゃってお
られるように「自分の頭で考えること」でしょう。

先生の著作や他の本でも体験でもなんでもいいから、自分でじっく
りと考えて、悩んでみることが大事かと思います。とにかく面白い
ことを探して、それについて考えてみる必要があるでしょう。

実はこの連休中に、都下にある某新興宗教団体の本部で行なわれた
法要に参加してきたのですが、何千人もの人が参加しているのに、
誰ひとりとして自分の頭で考えようとしているように見えないので
す。

でもこれはその新興宗教の問題ではなく、もしかしたら、現代社会
において、マスメディアの一方的なメッセージ垂れ流し状態や、複
雑で答えのない文明社会の先行き、自然と隔絶した生活の中で、自
分の頭でものを考えるということ自体が、ものすごく大変なことな
のかもしれない。99%の人が自分の頭で考えるという、動物ならば
誰でもやっていることを奪われているのが現代かもしれません。

・「インディアンの言語の研究」

さて、一昨日のタカの会の大盛況を受けて、さっそく『ことばと文
化』を読み直しました。

この本では、第一章の冒頭で、「もともとアメリカ・インディアン
の言語を専門に研究していた」米国人の言語学者が登場します。

彼は「戦後の日本に、軍人として駐留していたこともあって、最近
では日本語の歴史や方言にも興味を示しはじめ、遂に奥さんと三人
の娘をつれて東京にやってきた」という。

このわずか5行からなる第一段落を読んで、高校生時代の僕はこと
ばそのままに「そうか、インディアンの言語を研究しているアメリ
カ人の言語学者か」と受け取っていたと思います。

しかし、年とともに雑学が身についてきているので、「インディア
ンの言語といえば、アメリカ軍が戦時中にナバホ語を暗号に使った
ということを聞いたなあ。もしかすると、その言語学者という人は
、暗号の専門家だった可能性はないかなあ」と考えてしまうのです。
あるいは、鈴木孝夫先生についてスパイしていたのかもしれません。

そもそも第二次世界大戦後に、文化人類学や言語学の学科がたくさ
ん増えたのも、暗号担当者たちの失業対策事業ではなかったかと思
うことすらあります。

我々はその点、純粋に言語の面白さを追究してこられた鈴木先生の
直伝の言語学を学んできたのだから、先生をびっくりさせるくらい
面白いことを探さなければならないと思います。

得丸
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天上天下唯我独尊
From得丸公明

皆様

鈴木先生が自分の頭で考えろといわれたのは、ご自分が自分の頭で考えておられ
るからで、その態度は、「天上天下唯我独尊」というお釈迦様の態度と同じであ
ると気づきました。悟り、ですね。

大学者には、家が宗教家・牧師の出身である人(だから宗教ビジネスの裏を知っ
ているから、「神」を信じない)や、コスモポリタンで国家をなんとも思わない
人が多い気がしますが、鈴木先生にもまさに権威や常識にとらわれない、つきぬ
けた明晰さ、純粋さを感じます。

何かを信じてはいけない、すべてを自分の頭の中に取り込んでいったん消化し
て、自分の言葉で考えよ、というのが鈴木先生の実践されておられることなので
すね。

とくまる



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