3580.日本近世の経済論から学ぶ



森野さんの講演会「日本近世の経済論から学ぶ」を聞いた。Fより

日本は「唐まなび」(海外のこと)と「皇国まなび」(日本のこと)
が、学問でいつも2分している。江戸時代もそうで荻生徂徠などの
論語学者と本居宣長などの国学者が拮抗していた時代である。

山崎闇斎のように唐文化を日本化した庚申塚を考案したなどを含め
て、唐まなびからの影響もあった。

庶民が「大和心」を学ぶのは、寺子屋ではなく、寄席の演目である
講釈師からであった。寺子屋はかってに子供達が勉強するところで
あり、論語を中心に文字や計算などを学ぶところである。

戦前までは、ナニワ節があり、日本の心を伝えていたが、現在はこ
のナニワ節も下火になっている。

江戸時代は、幕府と藩が今のスイスと同じような国家連合体であり
、地域の自立性が非常に高い。江戸時代は日本全体がグローバルで
藩が地方ローカルのような感じである。このグローバルのことを
天下と言った。

世界は、外延的な発展をなくして封鎖系として考えることが必要に
なってきたが、江戸時代も元禄時代以降、外延的な発展なしの経済
になった。

家康公遺訓、御遺状第5条に日本全体の石高は2809万石あり、
2000万石を諸侯に分け、809万石を幕府が使い、天子を守り
外敵に備えよとある。天下の1/3を幕府の取り分とした。

このように分権型国家を作った。徳川は藩の1つであり、第1人者
でしかない。各藩が徴税権を持っていた。平和を維持するには分権
的なシステムが非常に良い。藩が300程度あり、山や川など自然
で分かれた経済圏を1つの藩とした。

江戸時代は基軸通貨はない。金・銀・銭の三貨制であり、変動相場
制である。発行権は幕府が持っていた。藩は藩札を出している。

江戸の経済学者、佐藤信淵は「経済とは国を位置づけ、庶民を済救
すること」といい、「人民の衣食を充足させ、境内を豊かにするこ
とで、そのためには国産の開発と創業が必要である。財用・日用の
物は国産とするべし。国産した余剰を域外に売ることである。」と。

大蔵永常は、「一国経済は、完結することが重要」と述べている。
天禄で、天から与えられた気候や風土を利用して、自国の特徴ある
品物を作ることであると。これが商品作物の藩経済の指導書である。

天下経済を論じたのが、山片幡桃である。江戸時代は現物、先物取
引があった。マーケットほど知がある所はない。1人の知は限りが
あるが、多くの人は大知になるという。

先物取引があることで、大阪の堂島では備蓄機能ができた。遊び米
があり、飢饉や天災などの危機的な状況に対応できることになると。

江戸時代は3000万人で人口が一定した。人口圧力は経済や環境
に大きな影響を与える。どんなに豊かな加賀藩でも間引きが行われ
ていると述べている。

今後の世界や日本を考えるときに江戸時代の知恵を復活することが
必要であると思った。



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