3555.インド訪問



インド訪問
 
今週はインド・デリーに来ています。2年ぶりのインドですが2月の
デリーは日中気温が20度前後でベストのシーズンでした。爆弾テ
ロが復活してホテルや会議場など人の集まる場所での警戒がひどく
物々しくなっています。インドなど60年前まで西欧の植民地であ
ったアジアの途上国に来て、毎回感じるのですが途上国の連中は貧
しいといいながら元気がいい。活気があります。毎日のように電車
の人身事故や老人問題などの報道を聞かされ暗い日本と比べると貧
しくても、危険であっても坂の上の雲の時代の人間のほうが幸福で
あったのではないかと思う。
 
私だけではないと思いますが日本から海外へ出ると宇宙飛行士が宇
宙から地球を見て人生観が変わるように、日本が小さく見えて世相
を大上段に斬って見たくなりました。
ほんの一週間の滞在であるが感じたことを記してみました。長くな
りましたがご興味ある方どうぞ。
 
小川
 
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インド雑記20100219
 
第1章:世界の動き
一般の人が世界の動きを知るのは新聞、TVやインターネットによる
ことが多い。日本のTV・新聞の報道は、視聴率向上や公正中立を重
要視しているためかかなり偏向したものであると思う。オリンピッ
クの報道ではどのチャンネルも日本選手の勝敗の結果ばかりが悲喜
されて、人気選手の個人生活や裏舞台まで報道される極端な内容が
多いが、スポーツ専門の国際衛星放送の番組ESPNでは、入賞期待の
日本人選手の出ていないボブスレー、アイスホッケー、アルペンな
ど実況中継されて選手の息遣いなどが見えて日本のTVでは見られな
いゲームが見られて興味深い。
 
CNNの報道のスタイルを見ていると、世界が“まことに小さな国”
日本を如何に見ているか参考になる。最初に世界的不況のなか日本
の経済成長率が予想を上回って伸張したNEWSが出され、次にリコー
ル問題を起こしているトヨタの社長の訪米中の行動を映している。
そこでは、謝罪する社長の姿ではなく、まだやや傲慢な顔である。
アメリカのトヨタの工場を視察して、派遣されている日本の支社長
がめったに見ない本社社長の訪問に緊張して揉み手で愛想笑いして
現地事情を報告している姿であり、部下に対して威張ったトヨタ社
長の顔がクローズアップされる。その後春節を迎えている急成長経
済の中国の若者夫婦たちが香港・台湾の若者の姿と重なりながらデ
パートで高価なブランド物を買い物している姿が映じられる。その
後にギリシャの首相が経済破綻でEUに支援を申請したニュースがあ
り、最後は、ドバイの世界的影響というタイトルで、テナントがい
ない超高層ビルの閑散とした大部屋を清掃機だけが空しく掃除をし
ている姿が映し出され現代の世界の潮流が実にうまく描かれていた
メディア放送であった。オリンピック報道では、アイススケートな
ど中国・韓国の活躍する選手の姿は見えるが日本はいない。
よく分かりませんがGMの破綻などアメリカ経済の悪化とトヨタのバ
ッシング、国際金融資本や普天間基地移転の問題は関連しているの
だろうか。
 
第2章:植民地とインド人
インドHindian Timesでは、“Terror is back”の大見出しで2008年
11月のムンバイでの爆弾テロ以来のテロの復活が毎日のように報じ
られ、インド・パキスタンの抗争が再燃しているようである。イラ
ン人とイタリア人が被害したが外国人を狙ったという。時々おきる
パチンコ玉のような爆弾ではない本格的なテロ爆弾だったようだ。
近々インドで開かれるホッケーの世界選手権を中止に追い込もうと
するパキスタンの意図が紹介されていた。この問題には関係の薄い
日本人にはなじみの薄い軋轢が続いているようだ。インド・パキス
タンの抗争はイギリスの狡猾な植民地政策の結果がもたらしたはず
であるが、インド人のイギリスに対する尊敬は現在も続いており、
インド人の大好きなスポーツはクリケットやホッケーである。国家
的スポーツであり、コモンウエルスに対する憧れは強い。英国王室
やエリザベスへの敬意は、独立前と変わっていない。中国・韓国の
天皇に対する姿勢とはかなり異なる。
 
デリー郊外ではメトロの建設工事、ムンバイ・デリー間コリドーと
称する高速道路の工事に加え、大規模なスポーツ施設の建設がなさ
れていた。タクシードライバーの説明によると、この施設はコモン
ウェルス間のオリンピックのようなスポーツ選手権大会の準備だと
嬉しそうに語る。多くの国民にとって未だ大英帝国は、尊敬と憧れ
の対象である。植民地時代のスポーツを心底から楽しみにしている
ようである。我々には縁が薄いので知られないが、コモンウェルス
の国同士の文化的繋がりは未だ強く残っているようだ。インドの独
立記念日が盛大である一方植民地時代への憧憬の強いところは、
我々に分かりにくい文化である。インド人には冬季オリンピックは
、あまり興味がないようだ。スポーツ番組では、クリケットやサッ
カー(マンチェスター・ユナイティドとアースナルなどのUKの試合
)の方が人気がある。
 
第3章:インド人のアイデンティティ
インド人のアイデンティティは「カースト」「出身地」「国」とい
う3つを持っているという指摘がある。カーストはインドに侵入し
てきたアーリア人によって作られた身分制度で紀元前10世紀ごろ
から現在まで続いている。ヒンディ語でアーリアは「高貴な、色の
白い」という意味がある。進入してきたアーリア人は自分たちの持
っていた信仰とインド古来に存在したアミニズムを軸とした宗教を
融合してヒンズー教を確立したといわれる。アーリア人は自分たち
が高貴な人種であるとの誇りから、色の白い階級を最上に置く、い
わゆるカースト制度を確立させた。最高神の一つであるクリシュナ
やシバ神を青い肌の神としたのは、色黒の肌の持つ先住民族に対す
る懐柔策であったとも言われている。しかし、白では「白が尊い色
」でその対極にある「黒が卑なる色」と定着したようである。結婚
式で新郎が乗る馬は必ず白馬で、動物園ではホワイトタイガーが珍
重される。インドにとっては美白が理想であり男性も美白剤を塗っ
ている。この流れが日本まで漂流して白虎が珍重され、「色の白い
が七難隠す」とされるようになったらしい。アジア人の白人崇拝に
つながっているようだ。
 
カーストは、ジャーティともいわれ血縁や職業などによって再分化
された身分であり、300以上の区分がある。世襲制であり、自分
の意志で職業を変えるように他の身分に変えることはできない。伝
統的なジャーティに所属していることはそのコミュニティの中での
社会保障がなされているという一面がある。カースト制度の短所は
、差別、虐待、搾取など多いが社会を維持するための長所もあった
ようだ。そのカーストに属していれば最低の生存権が保証されるシ
ステムでもあった。コミュニティの内部では一つの法が支配的であ
り、その集団の長老がすべてを裁き、村八分にされないために法は
絶対的に尊重された。しかしこの社会保障システムは従来の村落や
農村部では有効であったが、急激に発達した都市部においてはスム
ーズに機能していなくなっているようだ。伝統的な職業については
、それを世襲するカーストがあってそれが階級的に社会を形成した
が、近代的な新しい職業が続々と生まれてきた現在、新しい職種は
カーストの規制対象外である。近代工場のいろいろな職種や、事務
所の仕事、IT関係の仕事は、出自に関係なく出来る人に与えられる。
会社運営にあたって新しいカーストをつくることはできないが、カ
ースト的な考えはインド人にとって理解しやすい。8時から5時ま
での工場勤務時間は、その勤務している会社というカーストに属し
ているという考え方が分かりやすい。
 
インド人は、出身地のお国自慢と他州の悪口が得意である。「自分
の国のマンゴーが一番上手い」「ベンガルはおしゃべりばかりで、
仕事をしない」「シークは単純である。」「ケララには実業家がい
ない」など
 
インド人には、言論の自由があり外国人に国や政府の悪口をいって
も逮捕されることはない。しかし、最近は、ヒンズー・ナショナリ
ズムのような愛国心が強くなっているようである。道路に出るとト
ラックの後ろには「偉大なるわがインド」「国を愛す」「愛国心」
と英語やヒンディ語で書かれたものが見かけられる。“インド国”
という概念意識が生まれている。特にパキスタンとの軋轢は深まっ
ている。
 
インド人は実に良くしゃべる。むかし、国連では「インド人を黙ら
せて日本人にしゃべらせろ」という意見があったようであるが、ビ
ジネスの場でも議論は覚悟しなければならない。巻き舌の訛りの強
い英語でまくし立てる。時代劇をみるように、腹を探り合う日本の
会議とはずいぶん違ってわかりやすい。しかし、多民族・多言語の
この国はある意味で日本より民主的であり、いろいろな会議の場の
発言も上から下まで個人が自由に主張する。立場とか場の雰囲気で
言いたいことが封じられる社会ではない。たくさんの宗教や神が混
在していながら、個人が自由に好きな神を信仰する自由がある。
自分自身が信じている原理原則に思考し、判断し、行動する自由が
ある。長所としてみれば、他人との議論を好み、知的好奇心が強く
、その議論の中から弁証法的に思考を発展させて新しい提案をする。
内省的であり、かつ外には発言し、禁欲的ではあっても享楽的では
ない。向上心は強く、実に勤勉である。心の問題も深く理解してい
る。理想的な人種なのだ。
 
第3章:インドの言語
鈴木先生の本に触発されて、言語と文化の問題に関心が深まり、イ
ンドの言語について調べてみました。インドには3000種の言語があ
り、国語が存在しない。一口に10億といわれるインドは、19言語が
公用語であるが一般の人は、自分たちの住む地域の言葉しか知らな
い。多民族であるため、国は、それぞれの地域、あるいは民族にそ
の言語を公認している。法律の正文や全国規模での公用語はヒンデ
ィー語と英語である。各州での公用語は一種類とは限らず数種を採
用している国もある。現在インドには28の州とデリー首都圏と6つの
連邦直轄領があるがその中で西ベンガル州は、ベンガル語とネパー
ル語、デリーでは、ヒンディー語とウルドウ語とパンジャブ語、ア
ッサム州は、アッサム語とベンガル語とホド語をそれぞれ公用語と
している。連邦直轄州のポンディチェリでは、フランス語、タミル
語、英語、テグル語、マラヤラム語が公用語となっている。人それ
ぞれの立場によって必要に応じていくつかの言語を操っている。
 
1947年独立したインドは、15年をかけてヒンディ語を国語にしよう
とした。政府をはじめ各国営企業は統一を目指して努力したが、試
みは捨てられた。ヒンディ語のように使用人口の多い言語もあれば
少ないがサンスクリット語のように複数の州にまたがって流通して
いる言葉もある。ヒンディ語は、デリーを中心に北インド6州で幅
広く使われている。ドラヴィダ系言語の南インドでは、ヒンディ語
への反発もありあまり適用していない。各州言語の文化を無視でき
ないことや、官吏登用試験で、ヒンディー語と英語を適用するとヒ
ンディー語ネイティブが有利になってしまうなどの議論で統一案は
潰れたらしい。現在は、インドの官吏登用試験では、憲法でリスト
アップした26種に英語を加えた言語を使っても良いとされている。
 
複雑な多言語の国でお互いが使う言葉が通じないことをインド人は
理解している。実際の使用の場では、身振り手振りのボディ・ラン
ゲッジで交渉している。首を横に傾けたり降ったりするのはイエス
の意味であり、小指を立てることが小便の意味であったりする。
 
一方、インドの上流家庭では、子供のころから英語教育を主流にす
る学校に入り、家庭内でも英語で会話がなさたれたりする。英語が
話せないのは軽蔑の対象となる。特に科学者、技術者、知識人は英
語ができることが必須条件である。高校や大学の教育はすべて英語
を通じて行われている。インド人の資質の一つとして音を聞き分け
る聴覚力が挙げられる。それと記憶力の良さとあいまって、耳から
の言語学習が苦手な日本人と比べると、驚くほど優れているようで
ある。バイリンガルどころか3種や4種の言語を駆使する人たちが
ざらにいる。必要に迫られると、自然に必要な言葉が覚えらえるの
だ。
 
インド英語の特徴として、独特の発音、インド式イディオム、ヒン
ディ語の混入、平板なイントネーション、書き言葉の小難しいボキ
ャブラリーなどが挙げられる。話し言葉として耳から身に付けた英
語は、非常にインド的であるが、高貴なインド人が目指す英語は、
クイーンズインリッシュのような少し古いイギリス英語である。
一流の英語新聞には、この種の英語を使っているが普通の日本人ビ
ジネスマンには、凝り過ぎて辞書なしでは読みにくい。また、独特
のインド英語では、Lakh(10万)Crore(1000万)のような数値
を平気で使ってくるので戸惑うことがあった。
 
インド人の英語の発音は、訛りが強くて日本人には分かりにくい。
国際会議でも苦労しているようだ。今回の目的の一つで出席したイ
ンド・日本の新エネルギーと環境の国際会議でも欧米の国際会議に
なれた英語に堪能なパネリストたちも、訛りが強い英語でまくし立
てるインド人の質問者の聞き取りには相当苦労していた。
 
日本側主催者が気を利かせて日本から派遣して準備した同時通訳の
女性たちの活躍もさることながら、最後は、日本語の流暢な現地の
インド人の助けを得て回答している場面もあった。
例を挙げると
1)THの音が「タ」の音に近い。(Thanksがタンクスである。)
2)ローマ字読みしたりする。(Wednesdayがウエドネスデイである。
               Parkがパルク)
3)「s」の発音がイスになる場合がある(Specialがイスペシャル)
さらに英語らしいアクセントが少なく、抑揚がない。反舌音(舌を
口蓋に叩いて出すような音)が強い。スピードが速い。などの分か
りにくくしている特徴がある。
 
インドの地勢は亜大陸であり、アジア大陸とは異なる地球の南半球
にかつて存在したとされるコンドワナ大陸から流れついた大陸プレ
ートである。アジア人とは言いながら我々とは全く違った系統の遺
伝子をもつ人たちかもしれない。ちなみにゴンドワナとは、サンス
クリット語で「神の森」を意味している。
 
 
第5章:インドの環境問題と技術移転
昨年末の地球環境問題会議COP15では、気候変動の原因とされてい
るCO2の大口排出源になっている中国とインドが連合して先進国から
の環境対策の要望に対して途上国側の代表として反論し対立したこ
とは、記憶に新しい。日本は鳩山首相が25%のCO2削減努力し、途
上国に対して300億ドル(約2.7兆円)(2010-2012)の追加融資と
2020までに毎年1,000億ドル(9兆円)の協調融資支援を行うことに
コミットしている。国内には財政危機を訴えるが海外へは大盤振る
舞いである。この流れの中で日本の環境技術がインドに対して協力
できるようにしたいとの経産省とインド政府との国際会議がデリー
で開かれ参加する機会があった。セキュリティの物々しいインドの
一泊3万円もするホテルの会場でSustainable development を議論す
る矛盾を感じながら参加した。
日本が、コツコツと開発してきた地味な省エネルギー技術は、
Low Tech技術だとして、途上国向けの石炭関連やセメント産業の古
い技術よりも日本でも未だやっていない最新鋭の太陽光発電の技術
の移転をもとめられる。機械もITも薬学も強い器用なインド人技術
者である。苦労して開発した技術も初の一号機は日本から購入して
くれるかもしれないが、2号機からは、完全に自国産で出来てしまい
競争相手になるだけだと不安をもつ日本企業の技術者たちに対して
矢継ぎ早に核心に迫る質問を浴びせかけていた。指導部が最新技術
の導入を自国の発展のために必要と考えるところはソ連、中国と並
ぶ3大社会主義国に共通の考え方である。中国への技術協力は広い
マーケットをあてにして始めたが、安い生産コストが逆に日本人の
労働の機会まで失うはめになってしまった。
インドにも同じパターンになるのだろうか?
しかし、インド人は実に親日的である。日本人であるがゆえの意地
悪や、軽蔑を受けることはほとんどない。長期滞在する誰に聞いて
も同意見である。何が好まれているのか。「日露戦争で、アジアの
小国の日本が、ロシアという西欧の列強の一つを破ったことが、イ
ンドの独立のきっかけになった」という。日本人さえ忘れかけた日
本を覚えている。道ですれ違う子供たちも人懐っこく握手を求めイ
ンドは日本人であることが誠に心地の良い国である。




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