3544.ヴェーラ/タウッシャー



ヴェーラ/タウッシャー

ゲゼルと言う言葉が、使われているので、投稿させて、頂きます。
『定額で目減りする金券・通貨』の組合を作って、八王子市も参加
して、公共投資を行って、景気を良くし、更に、『定額で目減りす
る金券・通貨』で、赤字国債を、償却する事が、緊急に必要だと、
思います。

赤字国債・先物の、空売りを禁止しないと、国債は暴落して、日本
経済は、壊され、国民の預貯金は失われると、思います。

 1990年・平成2年の株価・地価の暴落から、
 20年間・ジリ貧が続いていますが、
 更に、大きな困難が、日本に振り掛かって来ると、思います。

 内藤 晃一
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From: Eiichi Morino 
まことにおっしゃる通りですね。

週末にかけて、ショート・セラーたちのカラ売り攻撃はユーロを吹
き飛ばしそうな勢いですね。

戦前のような荒々しい先行きが予想されます。

かつて独やオーストリアの事業者たちが率先して取り組んだヴェー
ラ(印紙貼付型消滅貨幣)やタウッシャー(交換者;計表型消滅貨
幣)のような取り組みが真剣に検討されるべき時局と思います。
(上記のうち後者は計画段階で禁止命令が出ましたが、現在は状況
も変わってきていますね、きっと)

「ヴェルグル、経済の奇跡と1938年のオーストリアードイツ関
係」;オーストリア国立銀行のサイト。
direktzurnationalbank.at http://goo.gl/QW0Q
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森野 栄一
http://www.grsj.org/colum/colum/rekishi.html

 地域通貨って、人々がモノやサービスを交換するのに普通のお金
(つまり政府のお金だけど)を使わなくてもいいようにしようって
ことでしょ。人々が地域限定で(つまりローカルで)、また補助的
なお金を自分たちで作ろうというわけ。こうした取組は、実は長い
歴史があるんだ。

 例えば、英国ではね、1696年、まだ17世紀さ、クエーカー
教徒にジョン・ベラーズという人がいた。彼はね、失業している人
をなんとかしようとして、事務所を開設してさ、事務所が原料を労
働者に提供して製品を作ってもらう、労働者には報酬として製品じ
ゃあなくて、労働券というので支払う、それで事務所はその製品を
、当の労働者自身や、労働者が食料を買ったり家賃の支払いに労働
券を使うので、労働券を受け取った人たちに販売するわけ。事務所
には労働券が戻ってくるよね。そーいうシステムを提案したんだ。

 これは英国のブリストルというところで試みられたんだけど、残
念ながら失敗しちゃった。それから140年くらい経って、似たよ
うな考えがローバート・オウエンの公正労働交換所という提案で生
き返った。1832年に始められて2年間くらい続いたのかな。こ
れも失敗した。フランスでは、所有は盗みであるといってよく知ら
れているピエール・ジョゼフ・プルードンという社会主義者がいた。
彼は交換銀行というシステムを提案して実行しようとしたんだけど
、国の圧力があってうまくいかなかった。

両大戦間の時期

 第一世界大戦が終わってから、人類は懲りもせず第二次世界大戦
をまたおっぱじめて、悲惨な経験を繰り返したわけだけど、それま
での期間、欧州のドイツやオーストリアで地域通貨はかなり力をも
った運動になる。

 地域通貨のたくさんの取組が1930年代に行われたんだ。理由
は簡単さ。当時ひどい経済不況で、経済活動に役立つお金が世間に
出てこない。なんで出てこないかって?だって経済不況、つまりデ
フレっていうんだけど、考えてごらんよ、モノが売れなくてどんど
ん値段が下がるんだ、君がカネ持ちだと思ってごらん、今日買うよ
り、明日買うほうが得だろう。だからお金が世間を回らなくなるん
だ。そうすると景気はどんどん悪くなる。 そこで政府のお金が経
済のお役に立ってくれないなら、自分たちでモノやサービスの取引
に使えるお金を作り出そうじゃないかとなったわけさ。

 つまり、人々は自主的な通貨を作りだして、経済危機からの脱出
と地域経済の繁栄を取り戻そうとしたんだ。それは1930年代の
ドイツで始まり、世界各地へ伝播していった。オーストリアのヴェ
ルグルや米国での取組などは、「エンデの遺言」見た人は知ってる
でしょう。えっ、見てない。そーいう人は、エンデの遺言っていう
本も出ているから買ってね。でも、ドイツで最初に取り組まれたヴ
ェーラについては詳しく触れなかったので、ちょっとみておくかい。

それはヴェーラから始まった

 当時、いちばん最初に始まったのがヴェーラというやつさ。ドイ
ツでは経済危機のなか、ヴェーラという自主的な通貨を使用するヴ
ェーラ交換組合が組織されたんだ。地域的な景気回復を図ろうとし
たんだ。推進者は、ゲゼル理論の支持者であったハンス・ティムと
ヘルムート・レーディガー。彼らは1926年、循環が保証された
貨幣を試験的に導入する準備に取りかかり、ちょうどニューヨーク
証券取引所のブラック・マンデーによって世界大恐慌が始まったの
とほぼ同じ時期の、1929年10月、ドイツのエアフルトでヴェ
ーラ交換組合を設立したんだ。

 この交換組合は、規約によると、自らを「販売力の低下および失
業を防止するための民間団体であり、その目的は交換クーポンを発
行し、組合員相互の商品およびサービスの交換を促進することにあ
る」と規定していた。

 すごいんだ、この交換組合は2年足らずで、組合員数は1000
社以上を数えるまでになったんだ。組合員の分布は当時のドイツ帝
国のすべての地域に及んで、食料品店、パン屋、酪農場、飲食店、
自然食品店、肉屋、花屋、床屋、手工業品店、家具店、電機店、自
転車屋、各種の工房、印刷所、書店および石炭販売店など多様な組
合員から構成されていたそうだ。

 組合員の店の前には「ヴェーラ、使えます」という看板が掛けら
れていた。ヴェーラとは交換クーポンの名前だけど、この通貨がイ
ンフレやデフレの荒波を乗り越えて持続(ヴァーレン)していける
ようにとの願いも込められた命名であったそうなんだ。

 交換組合取引所では、要請があったり必要がある場合に、ライヒ
スマルクやその他の外貨、あるいは受領書や担保提供と引き替えに
各地の交換所に対してヴェーラを発行した。こうした交換所は、ベ
ルリンを始め、各地に設けられ、交換所では、額面の違う三種類の
ヴェーラ紙幣が担保と引き替えに企業や個人に対して必要とされる
分だけ交付されたんだ。

 ヴェーラはライヒスマルクに代わって交換手段として流通し、企
業は賃金の一部をヴェーラで支給し、受け取ったヴェーラは消費財
の購入に使用された。そうして恐慌による停滞によって循環しなく
なったライヒスマルクと併存しながら、小規模な代替支払手段とし
て浸透していき、経済を活性化していったんだ。

ヴェーラには推進装置が付いていた!

 ゲゼル理論に基づき、ヴェーラ紙幣には、不況の要因となる貨幣
保蔵を防止するための循環を促す機能が組み込まれていた。紙幣の
裏面に12の空欄が印刷されていて、各欄に毎月、額面の1パーセ
ントに相当する額のスタンプを貼付するようになっていたんだ。

 組合員は、月末に、翌月もヴェーラに額面どおりの価値を維持さ
せたいとすると、紙幣の1パーセントに相当するスタンプを交換所
で購入し、貼付しなければらなかった。このスタンプ貨幣はお金を
天下の回りモノにした。1年が経過してすべての欄にスタンプが貼
られた紙幣は新紙幣と交換される仕組みだ。

 この最初の自由紙幣の実験は各地で反響を呼び、バイエルンの鉱
山の町、シュヴァーネンキルヘンでも取り組まれ、デフレ不況を克
服した、シュバーネンキルヘンの奇跡と讃えられる成果を生んだち
ゅうわけ。

 デフレ不況は、通貨の不足を特徴とする。黙っていてもモノの価
値は下落していくんだから、貨幣を持つ者は支出を遅らせるほど有
利。それがまたデフレを進行させる。こうした状況に対抗するため
に、30年代は欧州各地で、このヴェーラに触発されて、数多くの
取組が生まれた。なかには、デンマークのJAKのように、当初、農業
者の連帯によって独自通貨を発行しながら、国家当局による禁止を
招き、ゼロ利子の貯蓄貸付組合として生き延び、今日、オルタナテ
ィブな銀行の事例として注目されているものもあれば、スイスのWIR
のように、60年以上の歴史を誇り地域通貨のもっとも発展した事
例となっているものもある。



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