3543.国敗れて、漢字在り



国敗れて、漢字在り
From得丸公明

皆さま

鈴木先生の大変に元気なお話のなかで、戦後日本で漢字廃止の動きが着々と進ん
でいたというくだり、ちょっと驚きました。僕は小学校でローマ字学習を受けて
いた世代ですので、あれがその準備だったのかと実感しました。

しかし、日本を代表する知識人たちが日本語廃止や漢字廃止の旗振りをしても、
けっきょく日本語も漢字もしっかり生き残っている。漢字も簡略化しています
が、中国のようにドラスティックな簡略化ではないところが、まだ許せるという
べきか。日本人が漢字検定試験に燃えたりするところも、よく考えたら不思議で
すね。(あの財団に対する圧力は、占領政策がらみの陰謀だったのでしょうか。)

今こうして、漢字や日本語が残っていることには鈴木先生の機転も貢献したで
しょうが、日本語自体たいしたものですね。

1億人が使っているから、日本語に抹殺圧力に抵抗する力があるということでし
たが、中国みたいに極端に漢字を簡略化してしまったら、10億人いたって、古典
を読む能力を奪われてしまうのではないでしょうか。きっと中国には漢字検定も
ないのでは?

やはり本居宣長や日本浪漫派のように、日本は言霊の国、神国日本だからこの美
しい日本語が生まれて、使われているということなのでしょうか。オノマトペが
多いのも、自然と意識の一体化を生み出しているように思います。

もっと徹底的に平和ボケして、毎日俳句や和歌でも作って暮らすのが、この列島
での正しい生き方なのかもしれません。

鈴木先生にはまた言語についての独自のお考えをお伺いしたいものです。松本さ
ん、ぜひお願いします。

とくまる
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中学生に鈴木先生の話をしてみました(日本語教漢字派の宣教)
FromNAKAI

土曜日も仕事をしておりまして、昨日は興奮冷めやらぬまま教壇に
立ちました。
今年度、中学1年生の歴史(日本史)と高校1年生の世界史を担当
しております。今の授業内容とは直結しないものの、授業冒頭に漢
字の話をしてみました。

はじめに「みんな漢字は好きですか?」と聞くとほぼ全員が渋い顔。
覚えるのが大変、読み方がいろいろあって難しい、といった反応。
「じゃあ、日本語から漢字がなくなればいいのにと思う人は?」
と聞くと、40人くらいの生徒がいてピョコンと手を挙げたのは2
〜3人でした。

そのあと、日本語に同音異義語がたくさんあることについて、「鳥
・鳩・鶴」の話、英語圏の人にとっての"pithecanthrope"という単
語と日本人にとっての「猿人」という単語の違いなどを話していく
と、みなおもしろそうに聞いてくれました。

学年によって反応が少し違いましたが、まだまだあたまがやわらか
い中1の反応には驚かされました。
「鳥・鳩・鶴」のことを話したときに
「漢字を全く知らない小さなこどもにとって一番覚えやすいのはど
れだと思う?」と聞いてみたところ、意見がさまざまでました。

「鳥」派 理由:簡単だから、象形文字だから
「鳩」派 理由:クークーっていう鳴き声(九)が漢字の中に入っているから
「鶴」派 理由:(字そのものと動物そのものに)インパクトがあるから

皆の意見を聞いたあと、石井氏の話を紹介すると
「いとこの小さい子を相手に実験してみよう!」という小さな言語
学者もおりました。

また「インパクト」とは大正解だったと思うのですが、これを言っ
たのは学習の苦手な子でした。
「おーその答えいいねえ!」とほめまくると、普段はぐんにゃりし
た姿勢で授業を聞いているのに、その日ばかりはしっかり授業を聞
いてくれました。

13歳くらいの年齢は、子どもの感覚をもちながらも言語感覚は成長
しているためか、子どもの気持ちをやや大人向けの言葉で語れると
いう貴重な年代なのだなと思った次第です。

そして中1にして鈴木孝夫先生の名前を知っている生徒がクラスに
いたので、どうして知っているのかと聞くと「入試で解いたけど…
むずかしかった…」とのこと。
試験という状況じゃないところでもう一度読んでみて、といったら
ウンウンと頷いていました。

最終的に、表音文字だけではなく「漢字」という文字をももってい
る豊かな言語「日本語」を自然に覚えられる環境に生まれて、私は
幸せだと思っているんだよ、としめくくってみました。
何人かは『日本語教のすすめ』に手をのばしそうです。

ところで、小さな質問ですが、関西弁で「なにいうとるんじゃ、われぇ!」
というようなことを言うのは、相手に一人称を使う事例にあたるのか、
ということを聞いてみようと思ってお話しするのを忘れていました。
(思えば、これも上品な言葉ではありませんが「てめぇ!」も
「手前=自分」ですよね…)
もしすでに先生の本に出ている話であればどなたかご教示くださいませ。

そんなわけで「鈴木先生を簡単には青山霊園には行かせない会」に
ぜひ加わりたいと思います。
長々失礼いたしました。

中井
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鈴木教の根本教義は何だろうか
From得丸公明

皆様、松本さん、

鈴木教を立ち上げるというのはおもしろいと思います。しかし、そ
の根本教義は、鈴木先生のこれまでの生き方を伺ったかぎり、知の
求道者とも呼べる厳しいものになると思います。

まず、根本教義は、知的好奇心をとことん突き詰めろというところ
にあると思いました。そして、具体的行動としては、

(1) 常に正直であり他人にも自分にも嘘をいってはいけない、
(2) 相手が馬鹿なときはちょっとおせっかいでもそれを言葉にして
  教えてあげなければいけない、
(3) 弟子でも先生でも、自分の研究にとって邪魔だと思ったら即座
  に破門せよ、
(4) たまにはちょっと口がすべって余計なことを言うのはやむをえ
  ない。

もちろんこんなことをしていたら、「長と名のつくものは盲腸すら
やってない」という生き方に結びつくのでしょうが、それは自分で
目ざすものではなく(教義にする必要はなく)、自然にそうなれば
よいということでしょう。

しかし、もしすべての人類が鈴木先生のように行動したら、世界か
ら嘘や誤謬はなくなって、人類ははじめて「チンパンジー3匹分の
脳を知的活動に使うことができる進化したサル」にふさわしくなれ
るのではないでしょうか。

とくまる
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中井さん

仕入れたネタを翌日の授業に使うというその熱意も加わって
題材の面白さ以上に生徒の心に残る授業になったのではないでしょ
うか。食い入るように中井さんの話に耳を傾ける生徒の様子が目に
浮かびます。

昨年7月中学校と高校の先生向けの経済セミナーが広島で行われ、
そこでイスラム金融の話をしたときも、なんとか授業を面白くしよ
うと熱心に質問される先生がいらっしゃいました。そんな先生方に
出会えた生徒は幸せだと思います。

さて、ご指摘の「われぇ」「てめぇ」それによく考えれば「おのれ
ぇ」もそうですね。相手を呼ぶのに1人称を使うことですが、直接
その言葉は言及されてませんが、背景としては「ことばと文化」岩
波新書第6章に「人を表すことば」があり、とくにそこの172ペ
ージ、「二人称としての僕」などは参考になるのではないでしょう
か?ちいさいころ大人の素敵な女性から「僕、何歳?」と言われる
方が「木野君、何歳?」ときかれるよりずっといい気分になったこ
とを思い出しました。「われぇ」は緊張感を高めるためなのでちょ
っと話が違いますが。。

最後に鈴木先生の以下の一言を。

「私たちのまわりには、なんと多くの興味ある問題が手つかずに残
っているかに気づくのである」(P179)
「われぇ」もそのひとつですね。

木野
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From得丸公明

木野さん、中井さん、

興味深いお話ありがとうございます。
>
> 「私たちのまわりには、なんと多くの興味ある問題が手つかずに
> 残っているかに気づくのである」(P179)

つらつらと考えていて思ったのですが、韓国で漢字を廃止したのも
、つまるところは、米国の占領政策ではないでしょうか。
そして、北朝鮮でも漢字を廃止したのは、ソ連の占領政策であった
と思います。
調べてみると、どちらの国も1948年に漢字を廃止する法律が出
されています。

日本憎しで漢字を廃止したというのは、おそらく大衆を納得させる
ための嘘、プロパガンダだったのでしょう。

韓国や北朝鮮の歴史は、知れば知るほどかわいそうになります。韓
国や北朝鮮には、鈴木孝夫先生のような正直に正しいことを言う知
識人がいなかったか、いても殺されてしまって、占領国のいいなり
になるしかなかったのだと思います。

やはり一日も早く鈴木教を立ち上げて、世界中で嘘を言わない運動
、本当のことを追求する運動を繰り広げるしかないのかもしれませ
ん。

とくまる
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From松本

皆さん 鈴木孝夫研究会立ち上げに関心を寄せる皆さん

昨日のメールで、鈴木孝夫研究会(またの名:「鈴木先生を簡単に
は青山霊園で眠らせない会」。
いずれも仮称)立ち上げの意思を伝えるや、僕個人宛のメール含め
て、反響が凄まじく、嬉しい悲鳴を越えて、「迷惑」になりつつあ
るというのは冗談ですが、我ながら驚嘆しており、かつこれはもう
絶対に逃れられないなあと覚悟を決めつつあります。

本当は、雁研機関誌『雲よ』第3号に向けた我が雁論の続編執筆に
集中しなければいけない時期なのですが、
ここはなんとしても両立を図っていかなければなりませんね。

で、鈴木先生宅には必要あって、2月中旬までにまた訪問の約束が
あるのですが、それまでには研究会設立趣意書(原案)を作成し、
かつ準備会発足の人事案等をまとめます。
僕のほうから準備委員をお願いする方もいますので、
その際は快諾の心づもりをしておいてくださいね。
また自薦も大歓迎です。

この研究会には、鈴木先生とその学問に関心を抱く学者らにも
「専門バカ」ならぬ「バカ専門」(鈴木先生のことばです)は除いて
呼びかけていくことになりますが、
一方では志ある大学生や高校生も入会できるような柔らかくて開かれ
た会にしていきたいとも考えています。
中井嘉子さんによる昨日の中学校授業でのやりとりの報告をみても、
その必要性があるなあと再確認した次第です。

で、おそらく無料では運営できなくなると思われるので、
ほんの少しは会費的なるものの設定も考えることになるでしょう。
そのへんは準備会で検討することになります。
その場合の会計責任者は、やっぱり安江さんをおいていないかもしれ
ませんね。(といっても、もしかしたらかなり煩瑣になるかもしれな
いので、これはまだ冗談です)

ーーといった具合で、予期した以上の反響に対しては、
敢然と受けて立つことにしますので、これからもよろしくお願いします。
なお、諸事情から、この件に関する個々のメールには返信できない失礼を
お許しいただきたいと願います。
趣意書等整いましたら、また皆さんに配信しますので。

                     松本

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