3539.神話学から見た、破壊と維持と創造



神話学から見た、破壊と維持と創造                  虚風老
   
 インド神学では、ヴィシュヌ派とシヴァ派というものがある。
(もちろんこれはそれを信奉する基盤の人々の経緯が違うからじゃ
けど)
かなり単純化された見方ではあるが、シヴァが「破壊と創造」とい
うことに重きをおいた神であるとすれば、ヴィシュヌは「維持」
(変容)の神ともいえるじゃろう。

維持(存続)といっても、それは単純な維持ではなく、ヴィシュヌ
が十態に変容するように、存在の変容を通しての世界観が投影され
ておる。

それを極度に原理化すると創造と破壊に行き着くともいえる。

世界が創造−維持−破壊−再創造という<円環>として考えられて
いた時代は長いし広くの場所にあった神秘思想の中核でもあった。

キリスト教以降では創造−維持−最終末という直線になってしまっ
た。これは近代においては「進歩」という概念に結びつく。

シュンペーターが資本主義に必要のものとして創造的破壊をあげて
いるが、社会的にもこの創造−維持−破壊−再創造というのが必要
であるといえる。
(また、いのちもこの再循環過程を踏んでいるといえるじゃろう)

しかし旧体制(体制とは維持しようとする力に他ならない)が強い
とそれを破壊しようとする力との間に莫大な闘争とエネルギーが必
要になる。
西洋ではルネッサンスから近代化までに多くの破壊−創造が行われた。

日本では、この近代化は西洋から結果だけを「仮借」してくればよ
かったので、明治維新は短時間での破壊と創造(実は西洋の文物制
度の仮借)を、すみやかな変革としてとりいれることができた、
これは「維持しようという勢力」が「破壊−創造しようとする勢力
」に対して合同での協力という形をなしたからである。

現在世界はパラダイムシフトと呼ばれる、破壊と創造の過程にある
といえるじゃろう。
しかし、不足しておるのは、<創造するための力>である。

<維持しようとする力>はいつも働くし強い。しかしそれらは常に
内部矛盾が故に自己崩壊過程にあるのじゃ。それらがグズグズにな
ってどろどろの状態から新しい体制に立ち直るか、意思的に「創造
」の方向へ脱皮していくのかが問われている。

世の賢者達は以前から、「環境」をキーワードにして、その方向を
示してはいる。しかしそれをするためには現状の構造(権力や産業
の仕組み、制度や金の流れ)を破壊することにもなる。誰も自分達
の存立基盤が壊れることを望まないし。また、ありもしないものに
懸けることは不安であるのはあたりまえじゃろう。
しかし、確実に自己の基盤が崩壊していく足音だけは気がついてい
るという状態なのじゃ。
それゆえに塞がりと不安を覚えている。
できることなら、今のままを維持し、しかも未来も大丈夫だと言っ
て欲しいんじゃろう。
しかし、もう誰の目にも行き詰まりが見え、落下する滝の音が近づ
いてきているのが聞こえてきた。

必要なのは<創造>である。

そしてそれに至るためには、旧体制の破壊は避けられず、それを最
小限の破壊ですますには、維持派の人々が<創造>に協力し、自ら
立ち向かうしかないのである。

それ、人々よ、創造へ飛べ。

                      虚風老
 


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