3509.一切警句問答経



一切警句問答経                   缶中楽器

 このように私は聞いた。
 ある時仏はカピラヴァッツに通じる道におられた。コーサラ国の
軍隊が引き返すのをご覧になった仏は「国王はこれで三度引き返し
た。しかし四度目はカピラヴァッツを滅ぼすであろう」と言われた。
 枯れた木の元に仏が座られると一切警句菩薩はその前に従って問
われた。
「世尊、どのような大国でも滅びることがあるのでしょうか。強い
軍隊を持っていても滅びることがあるのでしょうか。」
「どのような大国でも滅びることがあるし、強い軍隊を持っていて
も滅びることがあるのだ、一切警句菩薩よ。」
「世尊、もしカピラヴァッツがコーサラの国債を沢山買い続ければ
カピラヴァッツはコーサラに対して優位に立てるのではないでしょ
うか。カピラヴァッツは滅びることはないでしょう。」
「一切警句菩薩よ、それはコーサラが国債を発行しているように見
えるが、実はカピラヴァッツが発行しているのも同然なのだ。カピ
ラヴァッツはコーサラの国債を買うという形に擬態しているだけな
のだ。カピラヴァッツは国債を発行していないのではない。コーサ
ラの国債発行がカピラヴァッツの発行でもあるのだ。」
「ですが仏よ、なぜカピラヴァッツは自国での発行よりコーサラの
国債を買って資金を運用するのです。」
「コーサラへの政治的発言力が増すし、自国の財政リスクを隠せる
からだ。一切警句菩薩よ。」
「どうして隠せるのでしょうか、仏よ。」
「考えてみるが良い、一切警句菩薩よ。財政上国債の発行額にはあ
る程度限界があるが、他国の国債を買うことは一見別のことに見え
る。だが通貨の安定と貿易相手国の経済を支えるためには無闇に売
ることができない。もちろん国王や大臣達は財政難の議論をすると
きでも会議で触れることはしない。会計上資産として計上されてい
ても政治的には損切りされた資産なのだ。回収できない債権は債務
に似てくる。しかも継続して増えるとなれば買手の財政は良くなる
だろうか。」
「そんなことはありません、仏よ。順調に償還が続いても負担が多
いからです。」
「外交とはその負担との戦いなのだ。一切警句菩薩よ。」
「世尊、カピラヴァッツはコーサラ国王に国債購入をやめると申し
入れてはいかがでしょう。コーサラは国債の買手を失い軍費も失う
でしょう。」
「コーサラ国王はカピラヴァッツ国王に資産凍結を通告するだろう
。これが戦費調達の担保になるのだ。一切警句菩薩よ。」
「それではカピラヴァッツはコーサラ国債を占領されても買い続け
る羽目になるではありませんか。仏よ。」
「一切警句菩薩よ、まさにその通りなのだ。」
「世尊、カピラヴァッツは世界中で鉱山を確保し、人権問題で選別
することもなく資源国に援助して影響力を強大にしてはいかがでし
ょう。コーサラを超えて次の覇権国となれるでしょう。」
「カピラヴァッツが世界再分割を試みればコーサラとその同盟国が
黙っていないだろう。孤立すれば大国も傾くものだ、一切警句菩薩
よ。」
「孤立した国同士で手を結んではいかがでしょう、仏よ。」
「孤立するような国同士では連合作戦が危ういのだ。目的が危うい
か、連携がとれないか。いずれにしても包囲される側の不利は必定
なのだ、一切警句菩薩よ。」
「世尊、強い軍隊を持つコーサラは滅びることはないのでしょうか。」
「滅びることはありうる。衰退を重ねて凋落することもありうる。
一切警句菩薩よ。」
「どのようにでしょうか、仏よ。」
「覇権の移行は必ず覇権国の交代となる訳ではない。覇権を覇権国
と同盟国が引継ぐこともありうる。引継ぎは役割分担の利害調整を
伴うが、強い軍隊を持つと武力で解決したほうが手軽に思える。覇
権国は世界に関与しているから世界のどこかで何度も戦う。毎回適
切な施策は取れないから消耗する。世界は広い。際限なく派兵がど
こかで必要になる。国力が衰えると攻勢終末点が後退して行く。覇
権を維持する方法は覇権の範囲を縮小することだけになる。国力が
足りないから同盟国軍を動員する。ついには覇権の中心が同盟国の
どれかに移ることもあるのだ。その後は中心国の軍隊の戦いを支援
する立場で参戦する。このようにして覇権国が凋落し、没落するこ
ともあるのだ。挑戦国が次の覇権国になるとは限らないのだ。一切
警句菩薩よ。」
「世尊、挑戦国をどのようにして覇権国とその同盟国は退けるべき
なのでしょうか。」
「一切警句菩薩よ、まずは交易を拡大するべきである。挑戦国の産
業が外国との貿易に深くかかわるようにするのだ。すると挑戦国の
政府は政治的フリーハンドを内外で削られてしまうのだ。」
「挑戦国の軍事的脅威にはどのように対処したら良いのですか、仏
よ。」
「海の脅威には武力で、陸の脅威には外交で抑えるのだ。海の戦い
は損害を兵員に制限できるが陸戦はそうはいかない。様相が攻略戦
となれば海の戦いも損害が民生に及んで行く。不利な側は避けたい
ものだ。陸軍国家に対しては他の陸軍国家を当てて対処するべきで
ある。戦うなら周辺を攻めて包囲を固めることだ。一切警句菩薩よ。」
「世尊、挑戦国は独裁政治で国をまとめて富国に努めてはいかがで
しょう。」
「一切警句菩薩よ、貿易を捨てて富国はない。強固な独裁は人の交
流さえ認め得ないのだ。どうして貿易を増やせるだろう。交易のな
い所へは投資もないのだ。」
「独裁政治の下で経済のみを開放してみてはいかがでしょう、仏よ。」
「交易は思想も運んでしまうのだ。一切警句菩薩よ。独裁国家の政
府が自由主義や民主主義、反政府思想と共存できるであろうか。」
「弾圧して解決できるのではありませんか、仏よ。」
「経済を開放するというのは外国からの投資を求めるからだ。弾圧
ばかりで国内情勢を不穏にするのには限界がある。政治的自由を制
限するのが精精だ。軍隊の治安出動や警察力の活用は矛盾の解決に
はならない。人身掌握が要件なのだ、一切警句菩薩よ。」
「世尊、どうやって政治意識の高まりに独裁国家の政府が対抗しう
るのですか。」
「拝金主義である。一切警句菩薩よ。外国から投資を呼び込み、国
内を開発して富を分配するのだ。すると地方の利権が中央から保護
される。地位も権力も搾取も分配できるのだ。資産家も事業家も役
人も労働者も政治体制に逆らうより利権を漁るか私腹を肥やすか賄
賂を貰うか不法な収入で稼ぐか、ともかく金に目が眩んで体制批判
どころではなくなるのだ。」
「搾取は誰からするのですか、仏よ。」
「少数民族からだ。一切警句菩薩よ。土地を奪い、入植を進める。
逆に国民の負担となる危険な施設などは補償金で言いくるめて押し
付ける。」
「世尊、ひどい話ではありませんか。そのやり方に限界は来ないの
ですか。」
「限界は来る。一切警句菩薩よ。外国を侵略するか、内戦で没落す
るか。いずれにしても矛盾は破局に至るものなのだ。」
「先送りする方法はないのでしょうか、仏よ。」
「ある。一切警句菩薩よ。」
「お聞かせ下さい、仏よ。」
「別の独裁国家の問題で民主国家群と協力するのだ、一切警句菩薩
よ。会議を開催して討議すれば国際協調を演出できる。問題の解決
は真の目的ではないから譲歩はあまり必要ない。しかし民主国家群
も協力を求める以上内政干渉は控える。投資にも応じるだろう。」
「世尊、必要な資金を国家は投資家からではなく増税によって賄う
のはいかがでしょう。」
「一切警句菩薩よ。それでは政権は支持を失ってしまうのだ。」
「しかし国民の幸福が目的なら健全な判断ではありませんか、仏よ。」
「政権の目的は国民の幸福ではないのだ、一切警句菩薩よ。」
「では政権の目的は何なのですか、仏よ。」
「政権の目的は政権なのだ。一切警句菩薩よ。」
 世尊は厳かに立ち上がられると「余はもう立ち去らねばならぬ。
」と一切警句菩薩にお告げになった。一切警句菩薩は世尊に礼をな
して立ち去る。
 その時一切警句菩薩は『すべての警句を反芻できる』陀羅尼を得
たり。
 


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