3497.概念の致命的欠陥



現代という芸術   概念は過去しか意味できない
From: 得丸公明

現代という芸術   概念の致命的欠陥

 − なぜ「頭で考えるな」という教えがあるのか? −

 日本には、言葉で考えるな、頭で考えるな、という教えがある。たとえば禊修
行や座禅は、言語的思考を止めるために行なっている。言葉で考えることが人類
文明の発展を生み出したことを考えると、これは動物に戻れという教えになる。
「はじめに言葉ありき」という旧約聖書をもつ一神教にはありえない発想であろう。

 しかしどうして言葉で考えることはよくないのかの説明にはまだ出会ったこと
がない。頭で考えないときには、いったいどうやって考えればよいのかの説明も
ない。

 私は最近、三泊四日の禊修行をする道場の先輩や後輩のお手伝いのために、同
じだけの時間を道場で過ごした。なんと今回はロシア人修行者が3名もいて、私
は今年もっとも時間をかけて読んだソ連の心理学者ヴィゴツキーの著作「思考と
言語」を思い出した。そして、言葉で考えることのどこに問題があるのかにふっ
と思い至ったのだった。

 一般に概念とは、デジタル符号語である言葉が、各人の五官にもとづく知覚記
憶と不可分一体に結びついたものである。だとすると、いつ、いかなる場合であ
ろうとも、概念が意味するものは過去の経験や知覚であることになる。つまり概
念は現在進行形で変化しつつあるものには対応していない、記憶という性質上対
応しえないのだ。

 過去と同じ問題に対峙しているときには、概念を使って過去の記憶にもとづい
た判断が有効なこともありえる。しかし未曾有の事態と取り組むとき、過去の記
憶だけでは道を誤ることになりかねない。概念の働きを停止させ、代わりに五官
を最大限働かせて事態の本質や展開を読み取る以外にないということになる。

 たとえば、落馬するときやオートバイが転倒するような緊急時には、目はおど
ろくほど細かな時間分解能で白黒の画像を脳に送って、脳が体をどのように運動
制御するかの判断を取りやすくする。このとき脳が概念を起動して、過去の記憶
を呼び覚ますことはない。ひたすら今の事態に対応することに専念するだけだ。

 地球環境危機は、人類にとって未曾有の事態だ。したがって、これに対処する
にあたって、言葉であれこれ考えることは失敗に通ずる。けっして簡単なことで
はないが、今この地球上で起きているあるがままの現実を自分の五官で感知し
て、地球の大きさ、海水の総量、地球の人口などの絶対的条件とともに素直に受
け入れるのだ。すると地球環境問題が、人口の爆発的増加とそれに伴う耕作地の
拡大(自然を破壊し文明空間に転換)という量的な破壊と、耐久性が著しく向上し
て風雨や海水でも劣化しなくなった製品を生み出す技術力という質的な技術革新
によって発生したことが自ずと理解できる。

 およそすべての現代芸術も、既製概念を停止させ、五官を最大限活性化させて
対象を感知することを観る者に求めるので、その心は禅や禊と通じている。文明
の滅びの時代に、現代芸術は日本の禅や禊と同じ教えを世界に広めるだろうか。



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