3489.軍略など



軍略。            虚風老
 

民主党政権で、軍略を理解し、かつ行使しているのは、小沢と亀井
だけであろう。
各「力学」と「決定権=権力」の生成と運用を知っているという意
味でじゃ。

自民党にはもはやいないといえるな。(小泉は天然の軍略家であっ
たといえようがの)

さて、その軍略に従えば、次の動きはどうなるじゃろううか。
小沢が創価学会関係者と会うということが予想されるな。公明党で
はきな臭いので、仏教というキーワールドで、もう一回創価学会関
係者と会う可能性があるのである。もしかしたら創などの雑誌でイ
ンタビュウをうけるという形をとるかもしれないがの。(近頃、キ
リスト教など一神教に対しての仏教徒という形を鮮明にしていて、
外世界(キリスト教―ユダヤ教0イスラム教の関係者から懸念が表
明されておるくらいじゃしの。)

政権与党になりたいという公明党といろんな力学を牽制したいとい
う民主党ということを考えればありうるはなしであるな。

民主党には軍学(孫子とかね)を理解しているものが少ないように
お思える。
理屈ではなく、人の力の構造をしらなければ、政権を運用するには
青臭い。
イラ菅ではなく、孫子でもちょっと息抜きの気持ちで、読んでみて
はどうじゃろう。

官房長官の平野は形上、実質上の情報長官に引き下がるべきであろ
う。(といっても、情報を統括している人間が本当の裏権力をもっ
ておる)

いたらぬ表の決定権の、権力の奪い合いに荷担すべきではない。
また、菅は、榊原を国家戦略室に迎えるべきじゃろう。(菅そのも
のが、経済に詳しくないし、国際的な動向−流れがみえていない。
菅=榊原で組めば国家戦略室は実質上動きだせる。

もちろん、わしは内閣府の今の二人の福大臣古川・大塚の能力は大
変高く買っておる。
ほとんど、鳩山政権は政策的にはこの二人が屋台骨になっておる
また、官僚組織は「法と組織」を動かすことという筋でいけば、複
雑な組織運営を福官房長官達がやっておるというのもわかる。

しかし、国際的な視野とカンというもの、政治の力学まで通ていす
るまでの力技を繰り出すまでの力量はない(将来ていには彼等が次
の次の内閣の主役であることは疑いがない)
(だが、自民党時代は事務次官を統括し、事務次官は省内を統括し
ていた。
しかし、官から政主導になった時、各「政」と統括する機能がなけ
ればならない。)

今は小沢が強力な統率力を裏で発揮しているから、この政権はもっ
ておる。
制度的に、内閣が、「政」の統括機能を発揮しなければならない。
そして、事務方と政務とは対立するものでもない。政務の決定権を
面倒臭いとかよきにはからえとかいって、どんどん天上人あるいは
御輿の上になって行くから、決定権が{権=ごんの何がし=本来次
官という意味}に移っていくのである。
日本の権力構造というのは、昔から長は御輿の上の人で、実務は次
席がやるという風習は変わっていない。今も本当に実務をやってい
るのは副大臣である。副大臣に事務次官の権限を移行させているの
はそのためである。
しかし、次席は二人あってもいい、長の統括力があれば、その方が
組織論的には、活性化するじゃろうしの。ただ、長の最終決定権を
犯させてはならないがの。

本来「国家戦略局」というのは、総参謀本部を擬して作られること
を予定された機関であろう。
そして、それぞれの司令にその戦略に従って遂行を求めるという組
織論になっておったはずじゃ。そうならば、内閣官房は舞台監督の
ようなものである。各組識の進捗状況と情報統括に徹すべきじゃろ
う。

今こそ、<強靭な国>に生まれ変わらせようとするならば、国際的
な視野と世界の力学につうじた戦略局を立ち上げねばなるまい。

           虚風老
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新しい、日米安保条約            虚風老
   
 ワシの、本音を言うと
「現在」の日米安保条約なんて解消してもええ。それくらいの腹づ
もりをもっててもかまわないな。と思っておる。

あその上で、アメリカさん、本当に、嘉手納や、横須賀という西太
平洋の拠点を手放すつもりですかと問いたい。

そうして、「新しい日米安保条約」を結ぶことはけっこうじゃ。

また、「自主防衛」の防衛力が増す=自国の防衛のための費用やそ
のための技術開発・敵地攻撃能力が増大しなければならなくなると
いうのは、わしは賛成する。(社会党じゃあるまいし、防衛力が不
必要といっておるのではないし、絶対平和主義でもない)

わしは、アメリカの指揮下に組み込まれて、戦場へ出すというのは
反対する。
(だいたいアメリカというのは、軍事戦略にしろ、経済にしろ間違
いばかりしておる。
しかしそれを力業で突破してきたから、それが通る。「自分達は正
しい。我々は普遍だ」という感覚にとらえられる。しかし、アメリ
カのやっておることは、そもそも失敗だらけなんじゃな。)

日常的な防衛をアメリカが果たしておるわけではない。それは日本
自身でやっておることじゃ。
しかし、有事には、やはりアメリカのバックアップが必要であるこ
とも理解しておるし、軍事技術について、アメリカとくっついてお
らねば優位性を保てないというのも本当じゃ。
(軍事においては、<優位性>それがすべてといってもいい)

だが、外交的には、いつまでも占領下のマインドを引きずっておく
必要はない。(あとは双方の計算である)

いやあ、テレビのコメンテーターの発言を聞いておると、本当に日
本はアメリカ依存に洗脳されつくしておるんじゃなあとつくづく思
う。
ワシは、三島を美学的以外には(政治的にはという意味じゃ)評価
しておらぬが、もしかしたら三島はこの日本人に「自立性が無くな
る」これを気にしておったのじゃろうかの。

民族派といわれる人は米国との距離、それをどうするつもりじゃろ
う。

            虚風老

アメリカ軍関係の犯罪者を引き渡さない。これが今2件つづいてお
る。おかしいじゃろう。
また、自国内のことが、(基地にしろ地位協定にしろ)主権として
、「米国側」に事実上の拒否権がある。どう考えるのじゃね。
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強い−<強靭な>日本をつくれ。       まとり
   
 今、日本が目指す国は、強靭(きょうじん)な国である。
その為に、官僚諸君も粉骨砕身されたい。まだ、君らの力は出しき
られていない。自分の部署の利権の拡充や、各々の利益・安泰のた
めにあるのではない。

<強い>日本を作るために、何が必要か本気で議論し、死ぬ気で働け。
生ぬるい小手先だけのつじつま合わせなどいらない。

もう一度、明治維新をやるのだというくらいの気概をみせろ。自立
した新しい日本を作り直すのだという強い心を持て。その為には、
みんな自分で考え抜き、本気でぶつかりあえ。
そうしない限り、日本は本当に沈没してしまう。

目指す国つくりは強靭で高貴な野生のオオカミのように、いたたか
で、しなやか、力強く、統率がとれているような美しい野獣のよう
なモノである。
日本を縛っている、鎖をすべてはずせ。
我々は、ドロンとした目の家畜や、追い回される羊の群れであって
はならない。

民間の会社諸君も方向さえ見定まれば、必ず一致して動きはじめる
はずだ。
そういう「阿吽」が日本にはまだまだある。

産業のつよさ。耐乏をおそれぬ性のつよさ。国としての強さ。
新しさに挑戦していく強さ。それらを創出していこう。

日本の強さの質は、個人技ではない。集団的な連携を、それぞれの
立場が全体を見渡しながら組み上げていく組織戦である。
そして、それを主導するのに、政策的な公共投資はそれに向いてい
る。

全体としての強さをめざせ。
世界も日本も今は大転換期である。生き抜くには強くなければなら
ない。

          まとり
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一緒に食事をするという重要性       虚風老

 共食(きょうしょく=饗食の意味…ともぐいではないわいな)とい
う原初の儀礼。

同じ食卓で、同じモノを食うというのは、最初の儀礼にして、今も
残る重要なツールであるんじゃね。

仲間であること(=群れの形成)を認めたり、あるいは敵対しない
こと(手打ち)や、腹蔵のない関係をつくるためのツールでもある。

また、大嘗祭や新嘗祭に見られるように、「神霊」との共に食事し
・同衾によって、神を自らの身体に降ろし供儀をなし聖体とすると
いう大事な儀式もあるわいな。

同じ「神」といっても、西洋の文脈でいう神と多神教のアジアの神
というのはまるでちがった概念であることは知っておろう。
日本などにおいては、神とは自然のもつ様々の強い力や祖神霊をさ
すのであり、その擬人化であって、人格神とまったく違うのである。
「強い力」それを生み出す見えざる力をさすので、強い武将・強い
ハタラキをしたモノなども神格化される。

それが、ある物体(石や木や人に降りてくる)と考えられているの
である。それぞれにお供えをするのも、やはり供食での一種であろ
う。

また、の儀式に出てくるタバコの回し飲みや、パーティもその一種
であろうし、結婚式などの食事会もまた、原初儀礼=仲間として認
めるという姿をもっておる。

<食べる>というのは動物にとって最初の生命活動の重要性をもっ
ているので、この儀式はいつまでもある。「同じ釜の飯を食った仲
間」という言い回しをするのもそのためである。これなどは、同じ
獲物を食らうライオンのクランの感覚であろうか。

よく、自民党などの、料亭政治や飲食接待を古いとするが、しかし
きちんとした人間関係をつくるのは、食事と共にするというのは、
基本である。

オス(男)がメス(女)に飯でもどうとさそって、食事をするのは
、関係を深める時の第一歩にして大きな一歩なのである。「茶しば
きにいかへん」というのは、正統な(ケモノ時代から現代にいたる
までの)ナンパ方法なのじゃろう。

民主党の諸氏は、もう少し、いろんな人と一緒に食事会を囲んで、
酒も飲んで、腹蔵なく話しあった方がいいという感じもする。しょ
せんは人と人のつながりでやることじゃ。理屈ではない。

             虚風老
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相手が、必要とすること、欲することをする。それが商売じゃな。
                  虚風老
   
 今日テレビで、飛騨高山のの観光が増えているという話しのなかで、
すばらしい話しを聞いたので紹介しておこう。

今、飛騨とか、日本の田舎を訪れて、観光地といっても、ただの観
光名所ではなく、リアルジャポンを楽しむ人が増えているそうである。
そこで、旅館の女将がでてくる。
みんなたどたどしい英語をつかって、おもてなしをするわけだ。
ここまではよくある話しじゃな。
しかし、ここで、お客から、着ている服を洗濯するところはないか
と聞かれる。
で、コインランドリー(コインランドリーという英語はないが)を
教えるのに、翌朝、自分で先に行って、使用法が日本語でしかない
ことを確かめると、自分でそのやり方を絵入りで客にできるだけ分
かり易く説明する。

で、テレビのレポーターが「そこまでお客にするんですか?」と尋
ねるわけじゃ。
「それが、旅館なんやと思います。旅館というのは、旅をしてある
方が、旅先で困っていることすべてに力になることが仕事だとおも
っております」とさらりと言った。

こういうおもてなしの心が、「あたりまえの哲学」として深くある。
だからこそ、この場所が受けるのだ。

人が必要とすること、欲しいと思うことを愚直に続けていくことが
、商売になるのだ。その基本をわすれてはなるまい。

              虚風老

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