3488.ロマンスの破綻か純愛か



ロマンスの破綻か純愛か、政治性の意欲的表現か捨象か
From:得丸公明

皆さま、
同じ本を読んでも、人それぞれに感想も評価も違うように、同じ劇
を観てもそれぞれ評価が違ってきます。

それにしても、180度違うってこともなかなかないと思い、フェステ
ィバル・トーキョーの劇評で、僕ともう一人の劇評をご紹介します。

同じ「フォト・ロマンス?を観て、それを「ロマンスの破綻」と観る
人もいれば、「純愛の中の純愛」と観る人もいる。政治性が意欲的
に表現されていると感じる人もいれば、政治性は捨象されていると
感じた人もいる。

所詮、本も芝居もおよそすべての芸術作品は、観る者が問われる、
観る者がさらけ出されるということなのでしょう。それが芸術作品
の果たす役割ということかもしれません。

得丸公明

http://festival-tokyo.jp/gekihyo/

http://festival-tokyo.jp/gekihyo/2009/12/post-14.html

仮初めの「ロマンス」の破綻

政治性と表現者の関係に正面から取り組もうとする意欲的な公演

http://festival-tokyo.jp/gekihyo/2009/12/post-15.html

現代レバノンがおかれた政治状況を表している。だけど、たくさん
の血が無駄に流れた内戦の傷跡や情容赦ない政治弾圧の糾弾といっ
たものは一切出てこない。

フォト・ロマンスは、肉体的な交わりによって得られる共感を超え
た、もっと高い次元にある心のエクスタシー、純愛中の純愛を描い
た作品である。
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おやじカフェ見聞録
From: 木野

行ってきました。得丸さんご出演最終日、見てきました。
もう最高です。文句なしによかったです。松本さんも書いてらっしゃい
ましたが、いろいろなそれぞれのご苦労を抱えている「おやじ」が少し
恥ずかしそうにしながら、それでも楽しそうに踊ってらっしゃる姿は
それはそれはかっこいいです。またそれを支える女性スタッフ(会場
整理や調理、DJ)の温かい眼差しが見事に調和していました。
通勤電車でこれから始まる仕事のことを考えてしかめっつらしている
「おやじ」でも
部下や僚の前でやけに威勢を張って大声で飲んでいる「おやじ」でも
高校生の娘が話してくれないと嘆く「おやじ」でもない
歌って踊るのをシンプルにたのしんでらっしゃる単なる「おやじ」
がそこにいる、そんな感じでした。思わず岩村さんともお会いでき
て、楽しいひとときでした。
 
得丸さんありがとうございました。
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おやじカフェシフトを終えて
From得丸公明

岩村さん、木野さん、そして中井さん

昨日は雨の中、ご来店、ありがとうございました。
はじめのうち、とくに最後の出番ということで、ちょっと緊張して
おりました。
テーブルのお客様と、先週の芝居「フォト・ロマンス」について話
しながら、指の背と指の背をコッツンこするコミュニケーションを
楽しんでおりました。中井さん、気づかずに失礼しました。

はじめは、自分がこんな踊りできるのかなと思いましたが、まあ、
なんとかついていけたというレベルですが、最後まで踊れてよかっ
たです。
こんな簡単な練習で、僕にここまでできるのなら、普通の運動神経
を持つ人なら、相当のことができます。
「おやじカフェ」の実験は、これからやってくる厳しい時代に、手
作りで安らぎをえる、心を活性化することの可能性を教えてくれま
した。

不慣れなことへの挑戦でしたが、予想以上に面白い体験であり、ま
た、おかげでレバノンからの芝居?フォト・ロマンス」という傑作を
見ることもできました。

レバノンは、内戦や砂漠化で、人類の滅びの最前衛にいますが、そ
のような逆境にあっても、心温まる作品を作り出していく人類の可
能性、芸術のすばらしたを堪能しました。
よくよく考えてみますと、レバノンは聖地に位置しているのですね。
地質学的には、紅海の大地溝帯のはずれにあります。ナザレのイエ
スも、ムハンマドも、この大断層の霊力で生まれたのかもしれません。
(ちなみに、釈尊も、ゴンドワナランドとユーラシア大陸がぶつか
ってヒマラヤ山脈をせり上げた地点で生まれています。聖地が釈尊
を生んだのでしょう。)

こうして面白い体験ができ、さらに皆様のポジティブなフィードバ
ックをいただき、最高です。
ありがとうございました。

得丸公明


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