3465.日本文明の成立ち



この数回のコラムでも分かるとおり、アジアの時代が来ると予想し
ている。そして、その中心は中国と日本であるが、中国と日本では
周りの信頼度が大きく違う。日本人と日本企業は信頼されているが
中国に対して、世界は危惧を持っている。中国の利己主義的な考え
に比べて、日本の考えは自己と他者の利害に対してバランスが取れ
た思考であると見られている。

日本の文化が周りの文化に比べて精神的な意味で優秀であると見ら
れていることになる。この日本文化がなぜ回りの国と大きく違うの
か考察しよう。
               津田より

0.はじめに
 ハンチントンは、日本文化が中華文明と隔絶しているとして、日
本を1つの日本文明としている。中華文明と違うというが、どうし
て亜流ではないのかの論証はない。

英国と日本は、文化の終着駅であり、この英国と日本に入るとそこ
からは大西洋と太平洋になり、出て行くことができないので、その
2ケ国でとどまり、多様な文化を保持しているという。このため、
英国もフランス文明とは大きく違うし、日本も中国とは違うことに
なる。

日本文明については、日本人がどうのように成り立ったかというこ
とといろいろな宗教・思想が日本に入ってきたが、それをどう日本
は受け入れたかという議論が必要であるようだ。

この2つの観点についての試論をここでは述べたいと思う。

1.日本人の構成
日本人は、柳田国男「海上の道」の通りに島伝いに台湾から来たこ
とが分かってきている。日本語とインドネシア、マレー語の単語を
比べると大きな相関がある。韓国語とは文法は非常に似ているが、
語彙は農耕関係を除いて、似ていない。これは言語学者たちを悩ま
せたが、その理由が解け始めている。縄文人たちは、小さな船でマ
レー方面から台湾を通って、日本に着いたのである。ミトコンドリ
アの調査からも南方からの血が混じっていることが分かっている。

この後、農耕技術を持った華南からの人たちが日本に渡ってきた。
中国の中原からの騎馬民族の攻撃を受けて、華南の揚子江中流域か
ら黄河の氾濫が起こり人が住んでいない低地に逃れたようである。
その後、山東半島を経て朝鮮半島に逃れた。しかし、ここでも騎馬
民族である扶余の血を引く百済に北から攻められて、東海岸線から
離れた伽耶に逃れる。ここから、日本に渡るのであろう。

伽耶は首長連合国家であり、その1つが安羅である。この安羅が慶
州に伸張して新羅(シラギ)になる。しかし、百済と高句麗の攻撃
で日本に多くが逃れる。倭人が住んでいたというが、そこが本拠地
なので、そうなる。

この一団は、首長国連邦であるので、それぞれの国が北九州や大和
に来て、そこで国を再興したようである。この中心が卑弥呼であろ
う。伽耶ですでに連合国家を構成していたので、日本も最初にその
ような首長連合国家になったのである。

もう1つ、縄文人と後から来た弥生(渡来)人は、戦闘をしていな
い。当初は弥生人の方が少なかったためのようである。このため、
縄文人の言葉と弥生人の文法をミックスした日本語ができたようで
ある。農耕文化については縄文人の言葉にはなかったので、弥生人
の言葉がそのまま使われた。

この一群を追いかけるように、百済から神武天皇が葛城に来て、瞬
く間に大和を軍事力で制圧する。神武軍は騎馬民族であり、馬を利
用して三輪神社周辺(卑弥呼?の)纒向朝廷の実権を奪う。このた
め、神武から開花の9代は葛城周辺に宮殿がある。

10代崇神天皇が、三輪に再度権力を奪い返す。この権力奪取の方
法が武力ではなく、神道という宗教である。伊勢神宮が連合した国
を行脚することで分かる。伽耶の鉄を出雲経由で手に入れて、葛城
王朝を圧倒する。

朝鮮半島では、伽耶を新羅が攻めいたので、本国防衛のために出兵
したのが、神功皇后の話であろう。このように朝鮮半島の歴史が分
かり始めて、日本書紀の記述はある程度、正確であることが分かっ
てきた。伽耶地域にあるテソンドン古墳から巴型銅器が見つかって
いる。大和朝廷が支配下の国家に配ったものである。本国の伽耶を
守ることで大和朝廷が上に立ったように感じる。

15代応神天皇は、葛城王朝の末裔が力を得る。百済との交易が進
む。百済は中国南朝との交易が盛んであり、このため百済と大和朝
廷は結ぶことになる。

そして、再度百済系の蘇我を倒して、38代天智天皇は伽耶系に実
権を戻したのである。というように日本は朝鮮半島の遺跡発掘によ
って、この時代が半島の歴史と非常に密接に絡んでいることが分か
ってきたのだ。

2つの文化が交じり合っている。南と北の文化であるが、日本だけ
が南が勝ったのである。このため、南の文化が中心である仏教国家
になっている。

2.仏教の影響
もう1つが仏教の影響である。仏教はインド哲学である。このため
論理性が高い学問であった。インド哲学はアーリア人の主知主義が
明確に出ている。このため、人間とは何かという問いを解決するた
めに、いろいろな論理を構築した。それが華厳、唯識である。華厳
は人間は奥底では繋がっている論理であり、ドイツのユングがこの
仏教の論をヨーロッパに持ち込んだのである。唯識とは、人間は認
識を正せば楽になると説いている。これも今の心理学に取り入れら
れている。

中国は実利的であり、仏教も変貌する。論理性より実効性をより重
んじる。この一番の成果が、天台宗の摩訶止観である。密教も座禅
も秘儀の相承であり、技法を文書化していない。この摩訶止観は、
技法を文集化した。この手の座禅や三昧の唯一の技法指導書である。

この摩訶止観には、常座三昧、常行三昧、半座半行三昧などの技法
が書かれている。この技法から親鸞も日蓮も道元も出てくることに
なる。日本の武道も動作の繰り返しで無意識な行動ができるという
理論を持つことになり、この影響が強い。

バカボンドの漫画に出てくる吉川英治原作の宮本武蔵や佐々木小次
郎も無意識な剣道を手に入れるために、相当な苦労をしている。
その思想はこの三昧と同じである。

そして、鈴木正三は農業も常行的な作業繰り返しなので、農業即行
であり、農業をすることは仏教修行であるとした。この影響で石田
梅岩は商業など仕事を真剣にすれば人生修行であるとして、宗教か
ら思想にする。この影響で、江戸時代から**道が起きるのである。
サラリーマン道やラーメン道なる言葉もここから出てくる。

3.儒教の影響
 日本の神道は、道教の神道派の信仰に縄文人の自然崇拝を足した
信仰である。道教は鬼道から神道、そして真道、聖道と発展してい
る。当初、卑弥呼は鬼道の道教の巫女であったが、その後、道教が
神道になり、大和朝廷として縄文宗教も組み込んで、日本の神道に
したのである。中国南朝の影響である。中国では道教が変異するが
、日本はそのまま神道でいることで、日本独自のように感じるが、
元は道教である。道教や本草学などは気候が暖かい華南の文化であ
る。

もう1つが、中国の思想である老子の思想と孔子の思想が日本に入
る。しかし、日本で論語が盛んになるのは江戸時代である。道徳が
武士階級だけではなく庶民階級まで行き渡ることになるのは、江戸
時代の寺子屋であり、70%以上の子供が寺子屋に行っていたよう
だ。この子供の教科書として、**往来という書物が大量に印刷さ
れている。この中で論語を教えている。論語は中国では文化大革命
後40年間以上も、非合理的でブルジョアの思想であり、論語学者
を抹殺し教育機関でも教えていないことで、論語学者がいない。

また活字文化も日本は大変なものであったのだ。江戸時代に朝鮮通
信史として日本に来た申維翰は『海游録』で日本人の多くが字を読
めて、本が大量に売られているのに驚いている。

このため、仏教ではインドや東南アジアでは一般的な戒律を日本で
は、なくしたが、この儒教が戒律の役割を果たしている。それも高
度で論理的な思想を構築している。

この集大成は、仏教思想と論語を足して作ったのが石田梅岩の石門
心学であり、その影響を受けた二宮尊徳は報徳思想で、石門心学に
経営論を足したように感じる。

この報徳思想の影響を受けて、松下幸之助の水道理論が出てくるよ
うに思う。

4.アジアの思想
 アジアでは輪廻転生というインド哲学から来た仏教・ヒンズー思
想があり、人間は生まれ変わるときに、前世で悪いことをすると、
牛にもなるし、虫にもなるという。このため、この世にいる生き物
達は、皆人間と同じ仲間という意識が強い。無用に生き物を殺すと
それは罰が当るという教えでもあった。

日本にはその上に、生き物には霊魂があるとし、その霊魂が無念の
死を迎えると殺した者に祟るという話で、無用な殺人をしないこと
であるという教えもあり、平和な世界を作ってきた。しかし、戦後
、米国文化が押し寄せてきて、アジアの思想を非合理主義として否
定している。

しかし、それでは倫理的な意味でガードがなくなり、金儲け一辺倒
になっている。金のためには、殺人も平気になってきた。

もう一度、日本やアジアの文化を見直すことが必要であり、その上
で日本人全体が、道徳を再構築する必要になっている。論語学者の
安岡正篤先生も物故して、論語学者と言える人がいなくなっている
のが気になるが??

5.さいごに
2012年にマヤ文明では世界の終わりがくると予言されているが、
気候変動や米国の没落など、大きな予兆が現在、押し寄せて来てい
る。

この最後に日本が世界に出ると予言しているのが日月神示である。
そのような日本の状態にすることが求められていると見えるが、ど
うであろうか。
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3027.日本文化の起源について
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/L0/200824.htm

葛城の里から始まるシリーズの三弾としては、日本文化の起源を考
える。              Fより

仏教史において南伝仏教と北伝仏教があり、南伝仏教は禅や密教な
ど実践的な仏教で、北伝仏教はどちらかというと理論中心の仏教に
なっている。中国民族は1つではなくて、南部と北部では民族が違
う。南部の民族は日本と同じように農耕民族であり、実践的で協調
性豊かな人たちで、北部の民族は騎馬民族の狩人たちで理論や建前
を重視する。南部は道教で、北部は儒教のように違う。

現在、インド直伝のチベット密教があるが、このチベット密教は非
常に理論的である。このため、欧米諸国やモンゴルなど北方民族に
も受け入れられている。しかし、日本密教は南伝密教であり、理論
的というより実践的である。

日本でも、江南の民である南方民族の物部氏が道教を持ってきて、
その後に移住する葛城氏が北方民族で北伝仏教を持ってくる。

この証拠に、崇神天皇の物部氏も神武天皇の葛城氏も両方とも天津
神であるとしている。これは、鴨氏や大神氏など日本土着の縄文人
を国津神としているので、海外から来たことを示していることにな
る。

この二者が戦いになるのは、文化が違うからである。源氏と平家な
ど、後世にもその影響を見ることができる。小泉元首相と福田首相
にも、その違いを見ることができるくらい、この二者の文化は違う。

この北方仏教に反対したのが、物部氏である。物部氏は道教・神道
派の信仰に縄文人の信仰を混ぜて作った神道を推進していた。しか
し、北方仏教に反対できなくなると、南伝仏教を推進することにな
る。

このため、日本の奈良に様相が違う、北方仏教である唯識(法相宗
)の薬師寺、東大寺と南方仏教である実践を規定した律宗の唐招提
寺が並んで立てられたのであろう。

平安時代は物部氏系の藤原氏が権力を握るために南方仏教である密
教が重要視されたのだ。しかし、密教は南方仏教であったことで、
北方民族国家・唐では衰退することになる。

密教の天台宗と真言宗が中心になり、鎌倉時代には禅宗が盛んにな
るなど南方仏教が盛んになっている。それに比べると北方仏教であ
る華厳宗や唯識の法相宗は日本では盛んではない。韓国は北方民族
であるので、今も華厳宗のお寺が多い。

そして、天台宗で、心を空する手法として、常座三昧と常行三昧の
2つがあるとした「摩訶止観」ができ、それが武士道の理論的な支
えとなり、江戸時代に鈴木正三により、常行三昧の方法として農作
業など仕事にも応用できるとして仕事即行の考え方を発見し、石田
梅岩が仏教の修行から生活の思想に転化させるということになる。
このように日本文化は南方文化の影響が色濃く出ていることになっ
たのだ。

このため、中国南部、ベトナムやカンボジアなどに行くと懐かしい
思いをすることになる。ミャオ族、ベト族の文化に触れると日本人
のルーツという思いもするが、その根源を知りたいとして、このコ
ラムでは世界史的な観点で日本を見ようとしてきた。やっと、仏教
史から世界史的に見た日本文化の根源にたどり着いたようだ。

もう1つ、中国は北方民族が南方民族を支配しているし、韓国も同
様であるので、理論や感情をむき出しにした荒い文化であるが、日
本は、先に来た江南の民が最後に権力を奪い返して、やや南方文化
に片寄ってはいるが、北方文化の良い所も取り入れた日本文化に
なったようだ。そして、平安時代に北方民族である中国と断絶して
、日本文化の発展を遂げることになったのだ。
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2799.日本文化優位の根源は
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/L9/191112.htm

日本文化を見ると、優れたところがある。この根源を検討しよう。
                 Fより

日本文化に根ざした商品が世界的に認められているのは、なぜかと
いつも考えていたが、密教を見ていると、その原因がわかった。

日本に密教を伝えたのは、真言宗の空海と天台宗の最澄であるが、
天台密教は第3代座主・円仁の時代に、『摩訶止観』で「常坐三昧
」と「常行三昧」の2つに大別し、「常行三昧」は「運動しつづけ
る瞑想法」であり、その常行三昧を中心において修行法を確立する。
その常行三昧の極地が千日回峯行である。そして、この常行三昧の
発展系が武士道であると、仏教思想史8で解説した。

この武士道の考えを発展させたのが、江戸初期の鈴木正三の思想で
ある。鈴木正三自身が武士で出家する。このため、武士道の発展系
を考えることができたのである。そして、「仏法則世法」で生活の
業を立派な行為と考え、心がけ次第で労働をそのまま仏行となしう
るとしたのだ。農業則仏行なりとなる。農業を修行と考えて行動す
ることを求める。商人の利益も否定しないで、正直の道にいれば修
行である。人に奉仕した結果が利潤を生むことはいいことになる。
これは、農業道や商業道などの**道となる教えである。

この仕事を精進すれば則仏行という思想は、日本に革命的な変化を
起こした。仏教の坊主や仏法を必要としないことになる。もし、仏
教教団が江戸時代にシッカリしていれば、このような革命的な仏教
思想を非難していたでしょうが、仏教教団は江戸幕府の保護を受け
て、生活に困らない状態になったために、大事とは捉えなかったよ
うだ。

しかし、徐々にその思想は大きな影響を与えて、現在、サラリーマ
ン道、ラーメン道などが跋扈して、仏教教団は衰退の一途になって
いる。鈴木正三の思想が現代、大きな影響をしているように感じる。

日本の優れている理由を日本人の多くは、理解できないと思うが、
実というと鈴木正三の思想に原因があることになる。仕事を修行の
一部として行っている。同じことを極地まで極めるまで繰り返すの
も、修行であると見る。このような見方は、アジアにも中国にも韓
国にもない。

中国の若者が頑張るのは、ハングリー精神で金持ちになりたいとい
う意識で、仏教の修行と言う感覚はない。
欧州やイスラム圏では、一神教であり、まずは自分を仏にする感覚
がそもそもない。このため、常行三昧が理解できないと思う。イン
ドのヨガやチベット仏教は密教的であり、日本の密教に一番近いが
、チベット仏教は人間の生理的な機能を強化して、専門的に修行し
た僧だけが仏というスーパーマンになるよう修行する。ヨガも同じ
である。

しかし、日本の常行三昧は、同じ動作の繰り返しが重要で特殊な人
でない一般人が専門家になることで仏になるという。インドのヨガ
やチベット仏教とはこの点で大きく違っている。このため、インド
にもチベットにも日本の鈴木正三の思想は入らない。
この1つ1つの道の普通の人間である専門家が日本の芸術にも製品
にも大きな付加価値を着けているように感じる。

また、この日本の鈴木正三の思想も常行三昧も異端的で、仏教教団
の否定を意味するので東南アジアの上坐仏教国にも導入することが
できない。というように、日本の文化的な優位は、実を言うと常行
三昧と鈴木正三の思想によって生み出されたものなのである。

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2998.将来が見える仏教の歴史
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/L0/200723.htm

 7月20日のセミナーをまとめてほしいという要望があり、まと
 めてみたのがこの文章である。     Fより

 0.はじめに
  ・現時点での世界の問題は、欧米思想によっている。この思想
   は自然を征服するというものであるが、この思想と石油があ
   り、現在、地球温暖化の問題を起こしている。
  ・世界にはいろいろな宗教があり、仏教人口は少ない。その仏
   教徒はアジアに固まっている。この仏教徒が次の世界の思想
   を生み出すことになる。特に日本である。

 1.インド古代思想
  ・アーリア人の移動はBC15世紀にインドに到達する。
  ・ヴェーダからウパニシャド(奥義書)の哲学ができる。
  ・宇宙原理プラフマンと個体原理アートマンとの合一説に至っ
   て、哲学が深まる。このウパニシャドの解釈を自由に行う思
   想が出てくる。この自由思想の1つが仏教である。
  ・この時代、1世紀前後までがバラモン教の最盛期である。

 2.インド仏教
  ・ブッダは前5世紀の人で、自由思想家の一群の一人である。
   同時代にジャイナ教のマハーヴィーラがいる。
  ・ブッダの基本的立場は「縁起」「中道」「四聖諦」である。 
  ・アショーカ王(マウリヤ朝)が仏教をインド全土に広める。
  ・仏教の分裂:上座部と大衆部との 二部に分裂する。
  ・上座仏教の思想:有部であり、無の大衆部とは違う。

 3.大乗仏教
  ・大乗仏教の思想:「般若経」:空の哲学である。
  ・中観学派 :「般若経」 の空を「空即是色、色即是空」と
   表現した。
  ・唯識学派とは自分の心を観察ないし、 禅定というアプロー
   チから理論化する学派である。
  ・論理学派とは意識下の無意識なアーラヤ識やマナス(意識)
   の問題、もろもろの心作用の分析、認識論などの問題も追究
   学派である。
  ・6世紀に陳那(ディグナーガ)が唯識派と経量部の知識論を
   取り込んで唯識派を発展させた。これが法相宗の基本である。
  ・7世紀にはタントリズム(密教)の思想が主流。マンダラや
   マントラ(呪文)などが整備され、民間諸信仰を統合した。
  ・ナーランダーの仏教大学は5世紀に創立した。

 4.西域、海のシルクロード
  ・北伝仏教の道
   ・2世紀半のクシャーン朝カニシカ王がシルクロードを制覇
    し、仏教に帰依したことで伝播した。
   ・ガンダーラ石彫:多数の仏像がギリシャ系パクトリアの影
    響でできた。
   ・トルファンにはベゼクリク千仏洞がある。
  ・南伝仏教の道もあり、リンガが灯篭になったようだ。
   ・義浄は海のルートでナーランダ大学留学のためにインドを
        往復している。

 5.中国仏教
  ・350年-409年の鳩摩羅什が中国語に翻訳した。これ以後、
   中国語で仏教を論実ことができるようになった。
  ・天台宗は隋の智(ちぎ)が創立
  ・密教は青龍寺の恵果が不空に従事し、その後空海に伝える。
   唐末期には密教は中国社会では衰退する。
  ・禅宗は、慧能の頓悟禅が流行して、臨済宗と曹洞宗ができる。
  ・浄土教は、善導が念仏修行に簡単化した。
  ・中国仏教とは論理より実践を重んじ、より大衆に受け入れら
   れる仏教とした。

 6.日本仏教
  ・神道とは、神道の道教+縄文人のアミニズムを足した宗教で
   ある。
  ・宇佐八幡宮は、祖先崇拝や山岳信仰と結び、神仏混合を推進
   した。
  ・奈良仏教は、国家鎮護を目的とした学問仏教で、南都六宗が
   あり、空の哲学である三論宗、唯識論の法相宗、大小乗を総
   括した成実宗、有の哲学である倶舎宗、人は皆繋がっている
   という華厳宗、戒律を研究する律宗である。
  ・平安仏教は、真言宗の空海と最澄の天台宗である。
  ・鎌倉仏教は、法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、日蓮の日蓮宗
   、栄西の臨済宗、道元の曹洞宗
  ・江戸の仏教は、布教活動が制限され、明治の仏教は神仏分離
   令で迫害を受ける。

 7.チベット仏教
  ・ソンツエンガンポ王(617 〜649)の時に伝来する。
   同時代にトンミサンポータがチベッ ト文字で仏典を翻訳し
   た。
  ・密教の導入は、8世紀中にチーソンデーツアン王の時にシャ
   ーンタラクシタを迎えて、サム・イエ寺を建立した時に始ま
   る。
  ・13世紀にヴィクラマシーマ仏教大学がイスラム教徒の攻撃
   で、インド仏教は滅亡する。仏教大学の座主シャーキャシュ
   リーバドラは、ネパールを経由してチベットに亡命し、イン
   ド仏教を引継ぐ。
  ・現在のチベット仏教
   ・ゲルク、サギュー、 カギュー、ニンマの四大宗派である。

 8.心理学へ
  ・仏教が確立した心理哲学は現在心理学に継続されている。
  ・連合心理学、実験心理学、行動主義(シカゴ学派)、精神分
   析学、認知心理学を欧米心理学は発展する。
  ・チベット仏教的な心理学が欧米で急速に確立したが、この心
   理学がトランスパーソナル心理学と呼ばれる。

 9.日本の発展について
  ・『摩訶止観』では、瞑想法には「常坐三昧」と「常行三昧」
   の2つに大別されていて、「常坐三昧」は坐禅、「常行三昧
   」は「運動しつづける瞑想法」である。
  ・江戸初期の鈴木正三の思想で全ての職業をまじめに行えば、
   仏行とした。これのベースが「常行三昧」である。
  ・鈴木正三の思想を発展させたのが、石田梅岩で石門心学とし
   て、職業をまじめに行うことは人として正しいとして、商業
   で利潤を出すことも正しいとした。

 10.欧米と日本の違い
  ・欧米と日本の違い
   欧米諸国はキリスト教徒という反主知主義であったが、ルネ
   サンス後、人間が神の変わりに自然を改造するという理念主
   義、効率主義になる。日本は、主知主義の自然を調べて、そ
   の自然の仕組みの中に人間の活動を調和させることが必要と
   いう思想である。
  ・日本の思想は、縄文時代のアミニズム+弥生人の道教神道派
   +聖徳太子の和の定義+怨霊信仰+秦氏の景教:衛生思想+
   中国仏教で内観の確立+本草学+石門心学で、宗教から倫理
   へ進化した。このように日本の思想は多重構造になって、
   かつ自然との調和が重要という思想になっている。

  この日本の思想が世界としても重要になるようだ。


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