3461.ベルリンの壁 崩壊20年に思う



ベルリンの壁 崩壊20年に思う
From得丸公明

皆様、

11月9日はベルリンの壁崩壊から20年だということで、所感を述べてみようと思
います。

まず、ベルリンの壁は、作ったときも、壊れたときも、概念操作に使われたのだ
と思います。
そこに壁ができたこと、そこの壁が壊れたことが、東西冷戦の激化と終焉をそれ
ぞれ象徴したわけで、非常にうまく使われた記号であったといえるでしょう。

20年前の壁の崩壊は、東西融和と東欧・ソ連の自由化を予感させ、世界が平和に
なるかと期待した人が多かったと思います。

しかしながら、実際にはこの20年間で、イラクで二度も戦争が行なわれ、ユーゴ
スラビアが分裂して内戦が行なわれ、チェチェンも制圧され、アフガニスタンは
泥沼化し、ソ連が崩壊して無法国家状態になり、政治的成熟どころか、腐敗と混
沌の時代に移行したのではないでしょうか。


では、ベルリンの壁はなぜ崩壊したのか。

これは、1986年に現代文明がいよいよ行き詰ったことと関係しているように思い
ます。つまり、1986年1月にスペースシャトルチャレンジャー号が空中爆発、4月
に聖書のヨハネ黙示録に登場するニガヨモギの名を冠するチェルノブイリ原発が
爆発、世界人口が50億人を超え、ブラックマンデーがおきたために、なんとかし
て世界経済の閉塞状況を打破するためのカンフル剤が必要だった。

それで、東西経済圏を融合させて、経済をグローバル化したのではないでしょう
か。実際のところ、東西対話は1986年から急に増えます。

そして、その結果おきたことは、「10億人の市場」をもつという触れ込みで世界
経済に参入した中国が現実には「10億人の工場」となって世界の製造業の中心と
なり、ブラジルとロシアの森林が乱伐されていよいよ地球環境がおかしくなり、
現代文明の破滅に拍車がかかった。

やはり現代文明は1986年にすでに滅びてしまっていて、それから後の世界史は
「滅びきる」までの4〜50年の期間であるのでしょう。しばらくはロスタイム・
プレーでしたが、昨年のリーマンショックがノーサイドのホイッスル。これから
いよいよ滅びのクライマックスがやってきます。


でも絶望する必要はありません。

平家物語でも、近松心中物でも、滅びの物語のほうが感動シーンも多く、人気が
あるのです。我々も現代文明の滅亡をしっかりと見届けながら、より輝く生き方
をめざせばよいのです。

もう経済回復はないと思って、この前提の中でいかに食べていくか、いかに勉強
するか、いかに自己実現を目指すか、開きなおればよいと思います。

学生は就職活動なんて時間の無駄だからやめて、当分の間ミニマム食べるあてだ
け確保したら、自分が三度の飯より好きなことをやって腕を磨くといいと思います。

あまり先のことは考えずに、ひたすら今を輝くべく、もののあはれを感じて生き
ていけばよい。文明と人類の滅びを覚悟して徹底的に絶望してしまえば、あとは
すべてポジティブに見えてくることでしょう。

詩人山本陽子は、このときが早晩来ることを予感していたのだと思います。だか
ら、まだ20代前半のときに作った処女詩に、こんな詩を残しています。


 絶望によってむすばれて、しかもおのれはつねにひとりであるこ
とは、すばらしいことである。そこにはめくるまめく高みと、骨を
きしませる深淵があって、人間が、おのれ自身となることのできる
広大無辺な空間をやどしているからである。人間が飛ぶことができ
て、しかも飛ぶことを拒絶する、それもすばらしい試みでありーー
なぜなら水平から、垂直に落下していけるのだからである。無限の
落下は無限の上昇に限りなく接近する。
 ただ 飛ぶことを すべての人々が、おそるおそるではあっても、
いま はじめなくては、人間が飛んでいく彼方もない。人間が飛ぶ
ときにのみ、空間は創造されてそこにある。
 (山本陽子 処女詩「神の孔は深淵の穴」 490−499行)

今こそ飛ぶときなのです。

得丸公明





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