3439.幼年期を終えるときがきた



現代という芸術− 人類は原罪をもたない。幼年期を終えるときがきた −

 21世紀の水俣から発せられたメッセージ「水俣病はチッソが悪い
のではない。文明の原罪として生まれた」を7年前に受け取ってから
,私は人類と文明の起源をたずねて南アフリカに旅し,人類を決定
づけた文化要素であるデジタル言語について追究してきた.

 原罪とは,裸になって家をつくるようになったことなのか,文明
という独占空間をつくりひろげてきたことなのか,それとも言語を
つかって考えるようになったことなのか。南アフリカの最古の人類
遺跡であるクラシーズ河口洞窟訪問にはじまって,三鷹天命反転住
宅での体験居住,上野動物園のハダカデバネズミの生態観察と,な
んの見通しも手がかりもないままに自ら現場に赴いて思考をつづけ
てきた.

 この夏,ソ連の心理学者ヴィゴツキーによる内言と言語的思考(=
概念)の発達についての考察に出会って,言語がヒトの脳内でどのよ
うにデジタル思考回路を生み出したかということがみえてきた.晩
成化して脳を拡大し,遺伝子や免疫というデジタルな記憶メカニズ
ムにならった思考と記憶のメカニズムを構築したことは,奇跡の産
物であり,自然の恩寵である.

 ヒトはこれまでたくさんの間違いを犯してきたが,その一方で,
森羅万象をひきおこす宇宙の法則までも自らの意識に取り込むこと
ができる,宇宙と一体化できる動物へと進化したのだ.ヒトは誰で
も精進すれば悟りに到達できる.

 これまでの人類は,自然を敵対視し,破壊しつくし奪いつくして
,結果的に自らの生活基盤をも脅かすという幼児的な行動をとって
きた.それを素直に反省しよう.その結果70億人近い人口は地球環
境にとって支えきれない重さとなり,おそらくまもなく人口は激減
するだろう.

 逃れようのない滅びのドラマのただなかで,自分たちだけ資源を
独り占めしようとか,他者を殲滅させてでも自分たちだけ生き延び
ようと思ってはいけない.また逆に絶望して自暴自棄になっても自
殺してもいけない.

 宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」のようにおろおろと無心にまっすぐ
,あるいは本居宣長が「紫文要領」でいう女童(めわらべ)のように
,みれんにおろかに人情をきわめて生きていくのがよいのではない
だろうか.近松門左衛門の戯曲のように,もののあはれを感じなが
ら,滅びに向けてまっすぐ一心に生きるべきときなのだ.

とくまる
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Re: 現代という芸術  幼年期の終わりに
From浅山
> 宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」のようにおろおろと無心にまっすぐ
>,あるいは本居宣長が「紫文要領」でいう女童(めわらべ)のように
>,みれんにおろかに人情をきわめて生きていくのがよいのではない
>だろうか.近松門左衛門の戯曲のように,もののあはれを感じなが
>ら,滅びに向けてまっすぐ一心に生きるべきときなのだ.

上記のような得丸様の文章、連想すら出来ません、この縦横に知を飛
翔される力で、是非一冊として拝読したく成っているのは小生だけで
はないと思います。宜しくお願いします。

「ヴィゴツキー」の書の読書からデジタル言語にまで繋がる世界に至
っては到底、近寄りがたささえ感じます、せいぜい出来るのは、上智
大ロシヤ語学科で「ヴィゴツキー」を学んだと言う女性に勧められた
本を本立てから探すことです。

でも、得丸理論で<自分たちだけ資源を独り占めしようとか,他者を
殲滅させてでも自分たちだけ生き延びようと思ってはいけない.また
逆に絶望して自暴自棄になっても自殺してもいけない>も解ける、と
か<ヒトは誰でも精進すれば悟りに到達できる>とかは新しい人間解
放の方便にもなろうかと思いました。

最後に気に成ることは、オバマの就任演説にも有りましたが
[the time has come to set aside
 childish things]これは一神教の方々の子ども観
が、アジア人とは違うと思います、七歳までは神の子という言葉が日
本には古来から有りますので、得丸さんが「自らの生活基盤をも脅か
すという幼児的な行動をとってきた」の言葉は似つかわしくない表現
と感じています。

ともあれ、浅学な小生、随所に登場する知のダイヤモンドに似た輝き
を引き立てるべき台座を用意頂ければ、行間を説明頂ける叙述の書が
提供されれば嬉しい限りです。草々



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