人はイズムになぜ憧れるのか 過去のイズム、現代のイズム From浅山 以下はとりあえず、貴方に頂いた返信にお礼と所見をスキゾ的に記 します、できれば進化中、止揚中の「浅山」と大目に見てください。 <幸福になるために自ら試行錯誤し、自力で選び取り構築するもの が思想であるのに対して、宗教は、自分の頭でものを考えることの できない人間に提示される生き方のパッケージであり、信仰の対象 である。自分の人生上の悩みや不安を自分で解決することを諦めた 人間が、誰かが用意した答えにとびつき、丸呑みしてすがりつく対 象が宗教である> だから何だと言われるのでしょうか、人は飢え、明日をも知れぬ時 、すがる気持ちを無碍にしてよい道理は有りません、日本の歴史を 概観すれば、いや今まで聞きかじりの学習で知りうる知識を動員し て思うのは、あの鎌倉時代に象徴される仏教活動の事例、引き換え 古代ギリシャのスコラ哲学の所謂「賢人」たち、奴隷の上に暇をも てあます人が対論を楽しみながら、ワインを飲みながら、その中に 知識集約能力の高い奴かずるい奴が纏めたものが後世に伝わり、多 くの時間を割きながら、こねくり回して新奇性で脳の記憶を刺激し 印象を抱かせるあたりに長けた作品が。 今夜あたり、ノーベル文学賞が決まるのでは。時代を経て遺される ことは文化伝承、止揚の材料としては役立つのでしょう、あの小林 一茶の句が今、我々の鑑賞する所に成る事例アリ、奴隷の中にも、 日々共に過ごす蟻やキリギリス、ミツバチ、烏などなどから知恵を 得てヒトの教訓にしたものが今、読まれます。 あの雁が心ならずも「戦争」へ出かける時に「奴隷が詠んだ詩」を 俺も詠んで見せるの意気込みは「戦中」と言う条件を差し引いても 、彼の傲慢さが残ります。 斯様に宗教はある状況下である種のヒトには必要なのです、依存症 的信仰者と言っては元も子も有りませんが、ノリピーのスチミュラ ントよりは好いのでは、19世紀「宗教はアヘン」とのたまった人も いましたが。 <大正時代のアナーキズムなど、飛び込むことのできない過去のイ ズムを論じることの意味は、そのイズムの中身を精査して、現代の イズムとして甦らせるところにあるのでしょう。それはそれで大事 なことだと思います> そうですね、名前を付した各種イズムはあたかも小生の学習ノート のインデックスに例えます、さらに書き込みをしたくなる物、もう 暫くは開かないページのもの、頻繁ではないが、時々参考に開くも の、、、。 <でも、今はもう人類の文明が滅びたあとの時代であるかもしれな いということを、きちんと踏まえることも必要ではないでしょうか。 その事実から目をそらしているかぎり、現代に有効なイズムは生ま れないのではないかと思いました>僭越ながら小生も大いに共感い たす所です。 ともあれ、小生はあのメールを配信した後、せいぜいやったことは 、筆者がどんな方か、また「雁研」に誘うのも一考かとか、どんな 学び方を歩き方をした方かをグーグルしていましたので、その夜、 頂いたメールには胴とりに行きながら、面を取られた感がありまし た。 台風前に内のカミさん、桃栗三年、柿八年、柚子の阿呆は○○年の 柚子に付いた青虫を三匹、一匹が行方不明、今度10日に四歳の孫に 見せるのだと、篭に取り込んでいます、羽化と孵化の違いを質問し た孫に、いや、ジジ馬鹿ですが、次世代に夢みる不肖浅山からでし た。お休みなさい。 ではお子様の快癒を。草々 ============================== 皆様 実は僕も朝のメールの後、起きていられなくなり、2時間ほど布団に入っていた のですが、「あ、このままではいけない。なんとかしなくちゃ。」としばし考え た挙句、西原式のミトコンドリア活性化だと思い至り、寝たまま腹式・胸式同時 にゆっくりとした深呼吸を30分ほど続けました。すると胸が熱くなり、やや汗ば んできて、だんだん体が軽くなってきました。 やれタミフルだ、リエンザだと、薬を思う前に、まずミトコンドリアというのも ひとつの手かもしれません。 > だから何だと言われるのでしょうか、人は飢え、明日をも知れぬ時、すがる気 > 持ちを無碍にしてよい道理は有りません、 宗教はすべて信者をすがらせるものではありません。 このあたりは本来矢部さんがお話しになるべきところでしょうが、たまたま今 日、「おおやまと」の2009年9月号の「幸せになる近道」という記事を読んでい ましたが、矢追日聖法主のおはなしが、とてもよいのです。この方のお話はいつ もいいのですが、今回はとくにタイムリーに浅山さんの疑問にも答えてくださっ ています。 http://www.ohyamato.jp/ohmotomiya/pdf/oymt200909.pdf 「大倭には信者を認めておりません。何も信者でなくても、人間的にさえ修養し てもらえばそれでいいんやから」という言葉、ああ、本当の宗教はここにあると いうことを感じさせてくれますねえ。 もしかしたらお釈迦様も同じ言葉をいっておられるかもしれませんが。 法主さんは、すがるのではなく、霊界の人とお友達になる気持ちだと幸せに近づ けるといっておられます。 ありがたいご指導ではないでしょうか。 とくまる