3408.文法はDNAに借りてきた



文法はDNAに借りてきた − タンパク質と概念の極限的類似性


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とくまる

きまじめ読書案内 ヴィゴツキー「思考と言語」(上下、明治図書、柴田義松訳)

  文法はDNAに借りてきた − タンパク質と概念の極限的類似性

 2年前に南アフリカのクラシーズ河口洞窟を訪問して以来、やれ人類が裸に
なったのは洞窟の中だ、いやそこで言語が生まれたのだ、言語はデジタルだっ
た、と次々に新しい考えに取り付かれてきたのだが、ここ2ヶ月ほど前に、言語
がデジタルなら思考もデジタルではないかという思いにとりつかれて、内言につ
いて詳しいソ連邦の心理学者ヴィゴツキーの「思考と言語」(1934年)に出会っ
て、内言と概念についてのきわめてユニークな研究成果を読んでいる。

 そもそも、通信と思考は、まったく別々の生物の機能であった。かたや仲間に
危険や餌の在り処や求愛を伝えるための音声送信で、そこには思考の要素はな
い。一方の思考は、感覚器官から取り込まれる知覚情報にもとづいて環境適応す
るための判断であり、そこには通信が生まれる契機はない。

 言語がデジタル化したヒトにおいてのみ、その二つが一体化する。ヒトの個体
発生においても、通信と言語は別々のものとして発達するのであるが、子どもは
2歳になるころ、「ものにはすべて名前がある」という重大な発見をする。その
とき、子どもは言語の記号的な性格に気づくという。このときから子どもの語彙
は爆発的に増えはじめる。

 その後幼子が独り言のように誰にともいうわけではなく話している会話が、無
声化して自分との対話としての内言(inner speech)に変わるとヴィゴツキーはい
う。そして、子どもは、「言葉を考える」ということ、言語的思考(verbal
thought)を始めるのだ。

 こう考えてくると、耳から入ったフォニット語が、大脳新皮質前頭葉にある
ワーキングメモリに送られて、概念操作という思考を行ない、結果が行動や言葉
につながる一連の処理がすべてデジタル符号語によって行なわれることがみえて
きた。

 ヴィゴツキーのユニークは、概念を「言語的思考の最小単位」として扱うとこ
ろにある。つまり、概念とは、コトバと意味の単純な結びつきではなく、その現
実をそのコトバで一般化して呼ぶ思考活動であるというのだ。言葉を使うたび
に、我々はその言葉が対象を指し示すのに正しいかどうかを確認している。した
がって、コトバの意味は、経験を重ね成長を続ける自己の内部で変化し、発達する。

 また、自己の意識のうえでは、それぞれの概念はともにn次元の座標軸上に配
置されているかのような相互の関係がなりたっており、一般性原則にもとづいた
力学がはたらいて、概念によって意識の上に正しく現実世界を写し取る努力がは
らわれるのである。

 概念は生命におけるタンパク質ではないだろか。ともにアナログ情報とデジタ
ル情報を結びつける役目を果たしていて、複雑な三次元構造をしている。DNA塩
基、アミノ酸、ポリペプチドとだんだん長くなっていく遺伝情報がタンパク質で
三次元化する。概念の場合には、コトバが感覚記憶や言語記憶と結びついて概念
というひとつの構造ができあがる。今年2月の読書会でとりあげた「タンパク質
の一生」に書いてあったと思うが、タンパク質は生命における神秘であり、言語
においては概念が神秘である。

 免疫学者イエルネはノーベル賞記念講演「免疫システムの生成文法」の中でこ
ういっている。

「小さな子供たちが、彼らの生まれ落ちたどのような環境においても言語を習得
することは、奇跡である。チョムスキーが先駆けた文法への生成的アプローチ
は、この深遠で普遍的な特徴である能力は、人間の脳が生まれながらにしてもっ
ているものであると説明する以外に説明のしようがないという。

 生物学的にいえば、どのような言語でも学ぶ能力が遺伝すると仮説すること
は、それは我々の染色体DNAの中に符号化されていなければならないということ
を意味する。

 もしこの仮説がいつか立証されたならば、そのときから言語学は生物学の一分
野ということになり、人間性もいつかおそらく科学の一部となるであろう。」

 チョムスキーが疑問に思った、「我々は文法を習わなくても、どうして言葉を
話せるのか」という問題に対しては、これは我々の言語がDNAの文法を真似して
いるということではないだろうか。

 概念の形成や一般性にもとづく相互の関連づけなどを、我々は意識的に行なっ
ていない。言語については、言語の起源、言語の本質など解明されていないこと
がたくさんある。にもかかわらず、我々はなんの不便も感じないで言語を使って
いる。これは言語の文法は、DNAの遺伝子情報と同じ文法に準拠しているから、
体や心は何も考えずにそれを使いこなせるということではないだろうか。

 そして、ここまできて、はじめて、お釈迦様が嘘をついてはいけないといわれ
たこと、孔子が正名論を論じたことの意味が、感じ取れるような気がしてきた。
我々の言語は生命の進化の法則にしたがって生まれたものだから、正しく使わな
ければならないということではないか。

 イエルネが予言した、人間性が科学の一部となるというのは、言語のもつ生命
進化の法則にしたがって生きていかなければならないということではないか。

得丸公明

http://q.hatena.ne.jp/1248586545

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松本さんの指摘、
> 発達心理学者で、彼の理論をもとにラボの言語習得メソッドについて発言を重
> ねている人物の冊子を明日持っていってプレゼントしますよ。まあ、これ自体
> は大したことありませんが。
ありがとうございます。楽しみにしてます。


言語における記憶、そして概念に関する研究は、言語学ではきちんと行なわれて
おらず、それはむしろ教育心理学のタルヴィングの「エピソード記憶論」や、パ
イヴィアの「二重符号化理論」がもっとも進んでいるのかと、7月のあたりで
思っていました。

それが何かのきっかけで、ジャン・ピアジェの発達心理学の臨床報告を読み、わ
くわくしながら彼の議論をおいかけました。

それと同時に、言語がデジタルなら、思考もデジタルではないかと考えはじめ
て、ヴィゴツキーに出会った(有料検索システム「はてな」でヒントをもらっ
て)のでした。

しかし、「思考と言語」、上下2巻は、大変に読みでがありました。8月に図書
館で借りて読んでいて面白かったので、古本屋で注文して読んで、、、、 2冊
を読むのに一ヶ月くらいかかりました。

彼ほど、人間の概念の深遠さを研究して明らかにした人はほかにはいないのでは
ないでしょうか。とくに、抽象概念を論じたところはすごい。 教育心理学で
は、わりとシンプルな、興味のわかない実験が多いのに、ヴィゴツキーは面白い
実験をして、すごい成果をあげている。


読み終えた時点で、なぜか分子生物学のことが気になるようになりました。

言語における概念は、生命におけるタンパク質である。一次元配列のデジタル符
号を、三次元配列の立体構造へと変換するところは、まさに相似です。

エリック・レネバーグが「言語の生物学的基礎」(1974年、大修館)の最後に問い
かけた問い
     「言語行動において生得的とされるものは一体何か?」

これに対しては、文法も、概念も、すべて生得的なものである。
だとすると、人類の言語は、生命進化の秘密そのものである。
という答えが浮かんできます。

人類が、デジタル言語を獲得したことによって、「万物の霊長」として、地球を
支配するようになったのは、神の恩寵であったのだということになります。

では、人間が、地球環境問題によって滅びたのは、何故だろう。
嘘をついたからではないか。
深遠なる宇宙生命の進化の符号を使って、神を冒涜するような行為をしたから、
人間の滅亡は決定づけられたのではないか。

お釈迦様も孔子も嘘を厳しく戒めた。
彼らはそれがわかっていたからではないか。
(しかし、インド人、中国人は、日本人に比べると嘘をたくさんつくような気が
するのだけど、どうしてなのだろう)

とりとめもなく失礼しました。

とくまる



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