3386.現代という芸術:謹弔の夏



現代という芸術:謹弔の夏
、ソウルの涙:民主化の夢が裏切る南北朝鮮の植民地解放

得丸公明

 私はずっと南アフリカの歴史について考えてきたので、この夏訪
れた韓国に対しても南アフリカで獲得した歴史解読手法をあてはめ
てみたくなる。私がソウルを訪問していた時期、市庁舎前で亡くな
った金大中への記帳、献花、礼拝が行われており、私はそこを三度
訪れた。

 虐げられたものたちは、キリスト教の福音を受け入れやすい。金
大中の礼拝所で三拝していたのは仏教徒であり、立ったまま祈って
いたのはクリスチャンのようだ。ざっとみたところ、3割くらいがク
リスチャンだった。

 民主化という運動は、人々の意識を活性化するけれども、植民地
状態におかれている人々を救うためには、民主化は実は無力で、代
わりに植民地解放を行わなければならない。南アフリカでの1994年
の民主化は、黒人政権を生んだが、黒人の貧困はむしろ悪化した。

 同様に、韓国の民主化運動は、北朝鮮に政治的に利用されただけ
で、朝鮮半島の統一にはクソの役にもたたなかったような気がする。
韓国社会に北朝鮮の影響を受けて行動する人が増えたことは、むし
ろ統一の妨げとなったのではないだろうか。北のスパイが蔓延して
、社会から信頼を奪ったのが民主化運動ではなかったか。

 ロシアの諺に「昔のことを覚えていると片目を失う」というもの
がある。この諺は「忘れる者は両目とも」と続くブラックユーモア
になっている。朝鮮半島の戦後史を考えるにあたって、なぜ南北分
断されたかの歴史の検証なしには統一はおぼつかないということを
痛切に感じる。1945年2月に開かれたヤルタ会談の秘密協定書の中で
、米ソ両大国が38度線による朝鮮半島の分断を決め、粛々とそれを
実施した。そして、1950年に始まった朝鮮戦争は分断を固定化する
ための儀式ではなかったか。戦争記念館での朝鮮(南北)戦争につい
ての説明は、肝心などうして分断が起きたのかについては一番大事
な部分を省略していた。

 金大中は統一を目指していろいろ施策をしたが、結局彼は死ぬま
で祖国の統一を見ることができなかった。それは民主化運動に過剰
な期待をかけたからではなかったか。ヤルタ協定に戻って考え直す
必要があるのではないか。そのようなことを日本語で記帳していた
ら、私の記帳をじっと覗き込んでいた老女から、「ありがとうござ
いました」という言葉をいただいた。

 金曜日の夜から日曜日の朝にかけて礼拝所にはひっきりなしにソ
ウル市民が訪れていた。言論の自由がないとき、思ったことをはっ
きりと表現できないとき、葬儀に参加することが精一杯の自己表現
になるというのも、アパルトヘイト時代の南アフリカの歴史に学ん
だことだった。



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