3375.韓国の予習



韓国の予習
From: tokumaru  

韓国合宿参加者の皆さん、

小倉紀蔵のいう「理」と「気」は、「理」を道徳性(倫理、道徳、
理論、真理など)、「気」を物質・身体性(肉体、欲望、本能、感
情など)と、ある意味対等な価値として扱っている気がします。

これに対して、朱子学では、「<理>とは普遍的なもの、宇宙的な
原理を意味する。国旗のデザインである太極は、この<理>を図案
化したものだ。それに対して宇宙を構成する物質的な世界を<気>
と呼ぶ。陰陽五行説でいう五行、水・金・土・火、木も<気>であ
る。」という意味でつかっている。

用語の使い方がちょっと違うのではないかという気がします。


ところで、韓国に関して調べていて、1980年の光州事件、1979年の
10月26日事件(KCIAの部長によある朴正煕暗殺事件)、そしてその5年
前の文世光事件、さらにその前の金大中拉致事件あたりが、歴史と
してはまだまだ解明されていない部分ではないかという印象を持ち
ました。

事件報道におもてだって登場してこない国々が暗躍していたような
気配もあり、興味深いです。

ネットでみつけたおもしろい記事をお届けします。

とくまる

-1- 小田実とASKODの果たした役割

(1)小田実氏の葬儀に常任顧問らが参列 民族時報 第1119号(07.08.15) 

 作家・評論家で市民運動家の小田実氏の葬儀が四日午後、東京都
青山葬儀所でおこなわれ、遺族と友人、知人ら約八百人が故人に別
れをつげた。葬儀には韓統連から郭東儀常任顧問と宋世一事務総長
が参列した。
 葬儀では哲学者の鶴見俊輔・葬儀委員長をはじめ、各界の人士が
弔辞を述べ、故人の人柄を偲びながら、その業績を称えた。また、
韓国から高銀詩人の詩と金大中前大統領の弔辞が紹介されるなど、
国内外から哀悼のメッセージが多数寄せられ、故人の国際的な知己
の広がりと活躍をほうふつとさせた。葬儀後、有志らが近くの公園
まで追悼のデモをした。
 小田実氏は韓国民主化連帯運動に積極的に参与し、大きく寄与し
た。特に、一九七六年八月の「韓国問題緊急国際会議」と一九八一
年五月の「韓国民主化支援緊急世界大会」(ASKOD)では事務
局長をつとめるなど、常に発言だけでなく行動を通じて、自らの思
想と信念を実践した。
 小田実氏は三十日、胃がんのため東京都中央区の病院で逝去した
。享年七十五歳。

http://www.korea-htr.com/minjoksibo/board/board.cgi?id=ja&action=simple_view&gul=200

(参考) 小田実・郭東儀編『韓国に自由と正義を! '81 韓国民主
化支援緊急世界大会』第三書館,1981年。 

(2)『佐藤勝巳 救う会会長の講演 その2』より

北朝鮮の政権というのは本当に怖い。
つまり民団を乗っ取るのに40年間の歳月を要した。
皆さん方はもうご存じないと思うんですが、1972年、南北74
共同声明と言うのが発表されてその直後です。
民団の中で執行部排除の動きが出てきた。
私たちはそれをベトコンと当時呼んでおった。
ベトナムのベトコンですよね。
あの南の方に共産党の組織がうわ〜っと一挙に蜂起して、革命を達
成しているという。

あのベトコン派という事は、親分が大将が、郭東儀(カク・トンギ
)ということなんですよ。
郭はなべぶたに口を書いて子供を書いて、遊郭の郭という。
東と言う字、これよく覚えていてください、この人の名前を。
で地球儀の儀です。郭東儀。

こいつがまぁ、実質的親分になって民団執行部の乗っ取りを図った
わけです。
しかしこのときは民団は頑張ってこいつを排除したんです。
排除された連中が韓民統(韓国民主回復統一促進国民会議)というグ
ループを作って、今皆さん方全然知らないと思うんです。
今名前を変えて韓統連(在日韓国民主統一連合)です。
で、親分は郭東儀です。

こいつが実は北から直接指導を受けてる連中ですから、民団内部に
オルグを致しまして自分達の息のかかった人間をですね。
ず〜〜っと送り込んできて、団長以下ですね。
副団長クラス何人かを彼らが握って、そして5月17日ああいう声
明を出させた。
民団の河(丙オク=ハ・ビョンオク、「オク」は「金」へんに「玉」
)という、かわ、さんずいに優良可の可。
この団長を当選させるのに、もうず〜〜っと時間をかけて民団内部
に浸透を計ったわけです。

http://piron326.seesaa.net/article/20437476.html

http://piron326.seesaa.net/article/15527077.html

http://piron326.seesaa.net/article/15637013.html

-2- 慶州は核のゴミ捨て場

ノーニュークス・アジアフォーラム通信 No.80(06年6月20日発行)
B5版36ページ
http://www18.ocn.ne.jp/~nnaf/80a.html
* 月城原発、核廃棄場と慶州

 統一新羅千年の都、慶州(キョンジュ)。文禄・慶長の役で廃墟
となった王宮跡に立つと天の中心を感じる。核廃棄物処分場の予定
地は、峠を越え東海に面した月城(ウォルソン)原発の敷地の隣だ。
渚の近くには、新羅王朝の斎場である文武大王海中陵がある。ウォ
ルソンは5、6号機の敷地造成工事中で、山が削られ、ダンプカーが
ひっきりなしに往来していた。処分場のタイムスケジュールを調べ
に、PR館に立ち寄った。
 「反核が来た!」と事務所の電話が響く。すったもんだのあげく
ようやくスケジュール表を見せてくれたが、6月に設置許可申請の審
査が始まるそうで、着工は2008年の予定である?

以上
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文世光事件を扱った小説「夏の炎」
From: 得丸公明

はるばるパスポートが必要な外地の韓半島にまで出向く今回の合宿は、テキスト
が決まっていないので大部の本を読んでのレジュメづくりに追われることがな
く、のんびりした合宿前の日々である。

だが逆に、どうして韓国に行かなければならないのか、韓国に行くにあたって何
を感じ取ってくるべきかという、きわめて幅の広い問題意識をかかえることに
なった。

ー1− 韓国の戦後史についてのいいテキストに巡り合わなかった理由

今回の韓国合宿は、テキストも長いしっかりしたものが見つからず、いったい何
がテーマになるのだろうかと、ずっと考えていた。小倉紀蔵の本にしても、金芝
河にしても、いまひとつ。

韓国人の心と言語以前のところでつながるための本や、これまで知らなかった韓
国史を探り当てるための本というものが、見つからないできた。失礼ながら小倉
紀蔵さんの本は、韓国を傍観者の立場で見るための知識のための知識、なんとな
くわかったような気分を味わうため衒学趣味というところが否めない。

いい本に出会えなかった理由としては、第一にこれまでの読書会夏合宿では、日
本の天皇制、日本の戦後史というものはテーマにしてきたので、近隣の極東アジ
ア諸国との関係や、在日朝鮮人の問題については、ほとんど問題にしてこなかっ
たということがある。

第二に、韓国史において、太田竜や鬼塚英昭さんのような書き手にまだめぐり
あっていないということがある。いったい誰が、日本の鬼塚さんのような書き手
なのか、我々は知らない。客観的な歴史を提示してくれる歴史家の本は、いろい
ろと探してみたけれどみつからなかった。(もしかしたらいないのか?)

そもそも我々の側に韓国史についての全般的な知識不足があり、どの時代のどの
事件を問題にすべきかということもわからないできた。


−2− 自分が知らない世界について知るためには「心・技・体」が重要

自分が知らない世界を知ることは大変である。本来、不要なことを知るようには
人間の脳はできていない。だからえてして、問題意識の感じられない歴史、知る
必然性のない歴史を知って楽しむという雑学、一般教養的な知、「だからなんな
の?」といわれたらそれでおしまいな知に陥ることになる。

自分が知らないこととのっぴきならない関係を保ちつつ、知識を得るためには、
現場に行って感じ取る、本を読む(人の体験や証言を聞く)といった方法がある
が、現場に行っても結局それは「群盲象を撫づ」の落とし穴にはまるだけの可能
性が大いにあろ、自分の知っていることだけに出会うだけとなりかねない。

本を読んでも、書き手の数だけ真実の描き方が違っていて、いったい誰が正しい
のか、何を読めばいいかわからない。

自分の知らない世界について、のっぴきならない関係を構築しつつ知識を得るた
めには、まず、自分がそれについていかに知らないかを実感する必要がある。そ
して、いったい自分と対象(今回は韓国現代史)との間に、いったいどのような
レリバントな関係が生まれえるであろうかと、のんびりと目的意識をもたずに、
でも、しっかりと対象と自己をみつめつつ、考える必要がある。自分の心の一番
深いところで、自分の問題として韓国を受け入れる心が必要なのだ。

そして、自分の磨いてきた感受性を活性化して、自分の真実を見ぬく目を磨く。
言葉で書かれた本は、紙とインクという点ではどれも平等だけど、その中に真実
もあれば、故意の嘘も混じっているし、間違いや群盲象の意見もある。どうすれ
ば、より真実に近い本を選ぶことができるか。技が求められる。

心と技ができたら、今度はできるだけたくさんの本を探す。これは物量作戦、犬
も歩けば棒に当たるという偶然の出会いに頼るので、できるだけ間口を広げて、
たくさんの本を視野に入れる必要がある。今の時代、インターネットの検索とい
う強い味方がいる。キーワードをいろいろと入れ替えて、ヒントを探す。これは
検索力であり体力、持続力である。つまり体。

この心、技、体を、駆使しなければならないと思う。

−3− 「下山事件 最後の証言」の衝撃的な面白さ

実は、先週、たまたま図書館で借りた本が、「下山事件 最後の証言 完全版」
で、これは下山国鉄総裁暗殺事件の背後で暗躍したらしい旧陸軍関係の会社で働
いていた自分のおじいさんの思い出から始まる、自分史の延長としての下山事件。

いまさら下山事件が面白いのだろうかといぶかりながら頁を繰り始めたところ、
いきなり引き込まれて、500ページ以上もある本を一気に読んでしまった。久々
の大当たり!!。

この本によれば、下山総裁の死亡原因は自殺でもなく、進駐軍の情報機関による
作戦でもなく、まったく違った人たちが仕組んで実行した他殺であるという。非
常に説得力のある結論だった。著者のお祖父さんや大叔母さんや自分のお母さん
も写真付きで登場し、家族史と下山事件がオーバーラップしてわくわくした。著
者の語り口も誠実であった。

−4− 韓国の歴史を理解するためには、個人史を読み漁る

これまでさまざまな歴史の本を読んできたが、一番嘘や間違いの少ないのは、や
はり自分史・家族史ではないだろうか。そもそも、ある特定の(悲惨な)歴史に
遭遇した自分や家族のことを、書きのこさずにはおられないという強い意志のも
とに書かれているので、嘘を混ぜる必要が少ない。また、こまごまとした思い出
や世相と一緒に描かれているから、嘘ではないことが確かめやすい。

韓国・北朝鮮・在日韓国朝鮮人の場合も、実にたくさんの自分史が描かれてい
る。近所の図書館には書棚に100冊くらいあったが、多くは名もない民衆の記録
である。家族や自分の身に危害が加わる可能性があるために実名を出すことがで
きず、仮名で書かれたものもたくさんある。そこまでして書かずにはおられない
怨念、「恨(ハン)」がこもった作品が多かった。

 * 八尾恵「謝罪します」(有本恵子さん拉致実行犯の証言)
 * 青山健■「北朝鮮という悪魔 元北朝鮮工作員が明かす脅威の対日工作」
 * 元在日工作部員 李鍾植「愚かな韓国人に鉄槌を 狂気の帝国・北朝鮮に
いつまで追随するのか」
 * 拉致日本人を救う会の西岡力さん「北朝鮮に取り込まれる韓国 いま”隣
国”で何が起こっているか」

どれもなかなかきな臭い話ばかりだったが、もともと工作活動などとは無縁な一
般人が、スパイに仕立て上げられ、しかも二重スパイ、三重スパイなどがいくら
でもありえそうな環境で、情報戦・工作活動をしているところがなんとも悲しい
と思った。

しかし、いくら悲しいと思っても、北朝鮮と韓国の間に日本(の在日朝鮮人コ
ミュニティー)が存在して、工作活動や情報戦をより複雑にしていることは事実
のようで、それは無視することができないと思わされた。

−5− 未解明の事件

鬼塚英昭さんの手法である、たくさんの歴史書を読み比べ、しかも一国の立場だ
けではなく、関係する複数の国の指導層の利害関係を多面的に分析することも重
要であろう。

1980年の光州事件、1979年10月26日の朴大統領暗殺事件、1974年の文世光事件、
1973年の金大中拉致事件、1970年のよど号事件などの中には、まだきちんと歴史
的に総括されていないものも多い。

 * 梁石日「夏の炎」

この中で文世光事件をテーマとして扱った梁石日の「夏の炎」が面白かった。文
世光が大統領暗殺を企ててから、実行するまでの約1年を描いた作品。どこまで
真実に迫っているかわからないが、北朝鮮とアメリカの情報機関が仕組んだ暗殺
のシナリオがあり、それに在日の韓国系の青年組織のメンバーである文世光がま
んまと乗って、さらに東アジア反日武装戦線らしき組織が文の兵器調達を支援し
偽造パスポートを用意し、それらすべてを傍観しているけれど何も手出しできな
いでいた日本・韓国の公安という図式で描かれた小説である。

我々日本人は戦後の60年間、ヤルタ・ポツダム体制の中で、「平和と繁栄」を味
わうとともに、無防備な平和ボケの心性をもつようになった。そして韓国は、南
北分裂、朝鮮戦争、開発独裁、経済成長といった歴史を経て、「民主化」という
憧れをもちながら、同時に北のペースに巻き込まれていった。

このあたりの国家としてのふがいなさ、知的エリートの平和ボケは、日本と韓国
に共通するものかもしれないと思う。もしかしたら、二日目の話題にならないだ
ろうか。

得丸公明

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韓国ではノンフィクションが読まれていない、書かれていない?
From: tokumaru 

合宿参加の皆様、

日本では、「信長の棺」のように数百年前の史実であっても、真実
を求めてたくさんの作家が調査し、考究していますが、韓国ではノ
ンフィクションというジャンルの人気が低いようです。

朝鮮日報の記事をおとどけします。

とくまる


「ノンフィクション大国」日本の実態(上)
【朝鮮日報】記事入力 : 2009/08/02 09:18:40

「読みたい分野」アンケート、ノンフィクションが純文学を上回る

講談社など大手出版社の大半が「ノンフィクション賞」を運営

個人が緻密な取材を経て本を出版する「独立ジャーナリスト」が人気 

 2007年に日本で出版された伝記は1005冊にもなる。同じ年に韓国
で発行された伝記は82冊。読売新聞が08年に行った「最も読みたい
分野の本」の調査(複数回答)では、ノンフィクション・伝記
(14.3%)が純文学(13.2%)よりも高い数値を記録した。反面、
韓国出版研究所が行った「08年国民読書実態調査」では、好きなジ
ャンルでノンフィクション(3.1%)が一般小説(21.4%)を大きく
下回った。

 日本がこのようにノンフィクション大国になったのは、伝統的に
個人や各機関の記録文化が根付いているからだ。名望ある作家や学
者は、ほとんど全集が出版されており、個人は日記を書くことが習
慣化し、小学校の成績表まで保管しているケースも多い。

 日本には、特定の分野やテーマを深く追究するノンフィクション
作家が少なくない。立花隆、野村進、佐野真一、保坂正康などがそ
の代表だ。こうした作家らは、ノンフィクションを1冊書くために数
百冊の本を読破し、資料収集と現場調査に長期間打ち込んだ末に、
その結果を本として出版したり、新聞・雑誌に掲載する「独立ジャ
ーナリスト」だ。

 立花隆は1974年、田中角栄元首相をめぐる疑惑を追跡した取材記
事で日本社会に極めて大きな波紋を呼び起こし、79年に『日本共産
党の研究』で第1回講談社ノンフィクション賞を受賞した。当初は事
件の調査報道に力を注いでいたが、最近では宇宙・脳など科学分野
にまで活動の領域を広げている。韓国でも、『天皇と東大』『ぼく
はこんな本を読んできた』など10冊余りの著書が翻訳されている。

 野村進は、日本人と韓国人の間の「透明な壁」を素材にした『コ
リアン世界の旅』(1996)で大宅壮一ノンフィクション賞と講談社
ノンフィクション賞を同時受賞した。130冊余りの著書を手掛けた
保坂正康は、『東条英機と天皇の時代』などで、日本がなぜ無謀な
戦争を起こし計り知れない数の命を奪ったのかを30年以上も追跡し
てきた。

シン・ヨングァン記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版


「ノンフィクション大国」日本の実態(下)
【朝鮮日報】記事入力 : 2009/08/02 09:18:46

 これらの作家の人気の秘密は、取り扱うテーマに対する緻密(ち
みつ)な調査にある。ノンフィクションの本領とも言うべき徹底し
た考証の力だ。21世紀ブックス出版コンテンツ開発室のイム・フソ
ン氏は、「これらの作家の作品は、社会状況や歴史的背景までも同
時に提示することで、読者に対し長編小説を読むかのような面白み
を提供する」と語った。

 一方で、ノンフィクション作家を支える出版各社の役割も大きい
。講談社・小学館・新潮社・集英社といった日本屈指の出版社は例
外なくノンフィクション賞を運営し、話題作の発掘や新人の養成に
力を注いでいる。さまざまな雑誌連載を単行本として出版する「雑
誌王国」ならではの慣行も、ノンフィクションの基盤を確固たるも
のにしている。

 文芸春秋社が運営する大宅壮一ノンフィクション賞は、「ノンフ
ィクション分野の芥川賞/直木賞」と呼ばれる。70年に始まり、今
年で40回目を迎えた。大宅壮一(1900−70)は東京大学出身で毎日
新聞社に在職し、戦後社会の風潮を鋭く突いた文章で名を上げた。
大宅壮一ノンフィクション賞と講談社ノンフィクション賞(79年創
設)が雑誌や単行本に掲載された作品を対象としているのに対し、
小学館ノンフィクション大賞(93年創設)は未発表の作品に限定さ
れており、ノンフィクション作家の登竜門的な役割を果たしている。

 新しい賞も続々と誕生している。02年には新潮社の新潮ドキュメ
ント賞、03年には集英社の開高健ノンフィクション賞が登場し、新
しい作家を発掘している。開高健(1930−89)は、『ベトナム戦記
』をはじめ優れたノンフィクション作品を手掛けた作家だ。

 ペク・ウォングン韓国出版研究所責任研究員は、「韓国も言論や
出版界などが力を合わせノンフィクションを活性化し、社会全般の
記録文化を拡散させなければならない」と語った。

シン・ヨングァン記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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韓国合宿参加の方へ

休戦協定はあっても韓国は未だ南北朝鮮戦争が終戦に至ってない戦
時下の国です。日本のようにドキュメンタリーが書けるほど公開情
報も少なく機密情報が山積している事情は異なっていると思います。
私は今でもこの国に対して“近くて遠い国”という印象は変りませ
ん。80年代前半に長期滞在した状況と、どこが変わっているのか
変わっていないのか。日本ではバブル経済の乱高下やグローバル化
の世界の潮流のなかで、韓国が変わったものと変わっていないもの
を見たいと思います。<理>の“タジタ”よりも現代韓国人の<気
>の変化に興味があります。

30年ぶりに読み返した「恨の文化論」(李御寧)の中から“飲み物
文化論”の一部をご紹介します。少し長いですが

******************

・その国の飲み物には、その国のまぎれもない文明の秘密が隠され
ている。紅色の透明なワインにはフランスの明晰な知性があり、ベ
ルサイユ宮殿の噴水の持つ清澄な奢侈がある。そしてビールにはド
イツ国民のロマンと泡のように生じては消えていく理想がある。渋
味のある紅茶には英国の現実主義が、お茶の神秘な香味にはオリエ
ントの夢がそれぞれ対照的な風味を漂わしている。同じように「お
こげ湯(スンニユン)」(麦茶のようなもので、お茶の底のおこげ
にお湯をそそぎかきまぜたもの)には韓国の味があるといわれる。

・おこげ湯にはひそかに温突(オンドル)の床紙のような色合いが
あり、やはりそのような香ばしい風味がある。しかし、その色はあ
るかのようでないようでもあり、その味はないようでありながら、
あるようでもある。飲みほしてみて初めてその味がわかり、注いで
みてはじめてその色合いを見ることができる。かすかな余韻が唇の
上ですがすがしい。

・そのような「おこげ湯」の裡には、むっつりしていても情にはも
ろいお祖父(じい)さんのしわぶきの響きがあり、外祖母(そとば
あ)さんのあの手並みがあり、于勒*(うろく)の爪弾く伽耶琴の
音色があり、春香(小説「春香伝」のヒロイン)の曳く裳裾の音香
がある。熱くも冷たくもないおこげ湯の、その生温い(なまぬるい
)感触こそが韓国人の体温である。

・濁酒(マッコリ)はどうであろうか?ウイスキーやパイカルのよ
うにそれは強くない。透明でもない。白く濁って渋みのある水っぽ
いその濁酒には、韓国人の哀歓が、金笠**(キムサツカ)のあの哄
笑にも似たものがそのままに宿っている。渋味のある濁酒(マッコ
リ)の味には、この国の感傷があり、奢侈に流れることのないロマ
ンがある。

・このようにおこげ湯や濁酒には、ともに「無性格の性格」ともい
えるアイロニーがある。コーラやワイン、ビールとは違って、事実
それは、一つの「味」ともよべないものである。味があるとすれば
、「味のない味」としか呼びようのない逆説的な味覚である。

生涯を地味に生きる以外になかった隠者の心である。それこそだれ
かの詩のとおり、<なぜ生きているかとたずねられれば、ただ笑う
だけさ>という心境そのままに、超脱、諦念、自慰の奇妙な感覚で
ある。たぶん韓国人の涙と笑いを混ぜ合わせてしぼれば、間違いな
く「おこげ湯」か濁酒が出来あがるだろう。そしてまた、おこげ湯
や濁酒には人工の味覚といったものがない。自然そのままの味であ
る。巧みがなく虚勢がない。生じたそのまま,涌き出たそのままの
味で、粗雑ではあるがけっしていやらしくない味である。

・<透明でないものはフランスではない>という言葉があるように
、フランス人は明白で合理的ではっきり割り切れる知性を愛する。
しかし韓国人の場合には、それと反対に「濁っていないもの」は韓
国ではないのだ。もちろん儒教の中庸性によったものであるが、わ
れわれは、<よく澄んだ水には魚がなじまない>といって、がいし
て澄んで透明なものを好まない。潔白であり過ぎるもの、また物事
を根ほり葉ほり詮索することをきらう。いくぶん汚濁しているもの
、やや“うぶ”なもの、を好むところに韓国人の気質がある。日本
人にしても「あっさり」したものを好むが、われわれはそのような
ものより、多少不鮮明で翳りのあるものを好む。

・ぼうっとしているもの、地味なもの、真二つに割りきることので
きない、そのような情感を佳しとする。あるようでもあり無いよう
でもある。―――生きているようでもあり、いないようでもある
―――泣いているようでもあり笑っているようでもある。そのよう
な生き方をしてきたのである。

・おこげ湯のように熱くも冷たくもない生き様であった。濁り酒の
ように、酒でも水でもない歴史であった。そうでありながらも、け
っして誰も奪うことのできない余韻が永劫をめざしている。

・内部のやっと覗き見ができる石塀の囲いに始まって、あるようで
ないようなあのおこげ湯の味にいたるまで、韓国のものであればど
のようなものにも、そのような情感が、そのような余韻が流れてい
る。それがあったればこそ、あの強大な大陸の片隅にあっても、数
千年をもちこたえ生き延びてこられたのかもしれない。

・貧しいから贅沢に飾りようもなく、つねに圧迫のなかで生きねば
ならなかったから、自己を主張しながら、世に処することもできな
かった。あの数多くの苦難と悲運を耐えていくためには、結局、余
韻のように慇懃の地面に根を下して生きねばならなかった。そうし
て熱情を発散させながらも抑制し、泣きながらも笑わねばならず、
従順でありながらも反抗せねばならず、自国を守りながらも他国の
機嫌(ヌンチ)を蔽わねばならなかった。その風俗から「おこげの
湯」のようなものが生じてきたのである。

==============

*于勒:6世紀の伽那国の人で後に新羅に行った韓国三大楽聖の一人
。箏を手本に十二絃琴をつくり、十二月を象徴する伽那琴をつくっ
た。

**金笠:19世紀の韓国の放浪詩人

======================

「恨」の精神は、韓国文化の伝統の中に脈々と流れている。「恨」
とは、「怨」とはまったく違った意味で使われ、「怨」といえば他
人に対してまたは、自分の外部の何かについての感情であるが「恨
」はむしろ自分の内部に沈殿し積る情の固まりである。恨の文化と
は、虐げられ、踏みにじられた、美しく、穏やかなあの望ましい世
界をめざしていく文化である。復讐の血の匂いでは清められない、
破壊的抵抗では到達できない、夢の国をしたうポジティブな世界へ
の行進である。・・・(本文より)

*****************

韓国の「恨」は我が国の「みやび」とか「あわれ」とかとはかなり
異なる心とおもいます。

アメリカ化した戦後の文化の中で、日本人が「逝きし日の面影」を
偲ぶような心が今の韓国人にも残っているのかどうか興味のあると
ころです。また、30年前の韓国人との会話の中で自国を色に例える
と何かといえば、韓国は「灰色」であると語っていたことが強く印
象に残っていますが、今の韓国は何色でしょうか。これも今回の訪
問の楽しみの一つです。

小川


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