3364.脳はフォニットで稼働するデジタルシステム



脳はフォニットで稼働するデジタルシステム
 (同じことを三回言っているのだ)
From: 得丸公明

皆様

我々ヒトの脳が、音響デジタル信号フォニットを使って、演算や処理を行なって
いるという話です。
このところ2回、書いてきたこととダブりますが、こちらが一番脳内のデータ処
理の動きがわかるかと思います。
得丸公明

ヒトの心のリモートセンシング − デジタル音響符号「フォニット」ベースで
動く我らの脳
得丸公明


はじめに:言葉のデジタル起源から脳のメカニズムへ

本稿では、ヒトの脳は二元符号であるビットではなく、話し言葉で使用する音節
と同じ100以上の元からなる符号セット「フォニット」を使って思考や記憶のデ
ジタル処理を行っていることについて論じる。フォニットベースの符号語は、知
覚・知識記憶と結びついて「概念」を形成し、それが重要なはたらきをする。

1 脳のデジタル処理はbitベースではない

(1) 脳のデータ処理はフォニットが担う

 情報理論は書き言葉がデジタルで、話し言葉がアナログであると教える。これ
は書き言葉はbit列に変換しやすく、話し言葉は変換しにくいという、言語と 2
元デジタル符号との整合性についての言説である。

 脳の認知メカニズムからみれば話は逆で、話し言葉こそが音素・音節という
「離散・有限符号を時間軸上で一次元的に送る」デジタル通信であり、書き言葉
は網膜の二次元空間に展開する点や線のアナログ画像である。脳はbitを使わ
ず、元の数が100以上あるデジタル音響符号を使っているのだ。
電子計算機は、電気的スイッチ回路の接続(on)・切断(off)によって、0か1かの2
元の離散信号(binary digitだからbitと呼ぶ)を使って演算や記録を行ってい
る。これは機械でも離散的な判断が可能なもっとも単純なデジタル符号である。

DNAもデジタル情報であるが、こちらはA(アデニン)、G(グアニン)、T(チミン)、
C(シトシン)という4種類の核酸が一直線状に並んで構成されている四元デジタル
符号である。


電子計算機よりもはるかに繊細な神経回路でできているヒトの脳は、bitやDNAに
比べると桁違いに多元な音響信号を使用している。デジタルといえば bitだと信
じ込んでいる人も多いので誤解を避けるために、bitではないが、bitと同じ役割
を果たす脳内のデジタル符号セットをフォニット (Phonit, phonetic digit)と
呼ぶことにする。

フォニットは無音の内言語(inner speech)であり、言語共同体ごとに有限個定
まっている音素や音節とまったく同じ符号セットで(日本語の場合112種類の音
節)、脳内で思考・認識・記憶の索引などのデジタルデータ処理に用いられる。

(2) 内言語はフォニット発生器

脳神経を含むすべての神経伝達は、電気パルス信号であるから、思考や記憶がデ
ジタル処理されていることは驚くに値しない。ニューラルネットワークを構築し
ている脳細胞が、機械並みの二進データではなく、1桁あたりの情報量が約7ビッ
ト(log2112)のフォニットを使っているのも自然なことだ。
我々はものを考えるとき、言葉を使う。朝、目が覚めて、「外は明るい。今何時
だろう」と思うときには、すでに脳内で内なる声がフォニットを組みたてて思考
を始めている。

ドラマや映画の手紙を読む場面で、はじめは受け手の声で読みあげていたもの
が、途中から送り手の声に代わる演出があるように、書き手は心の中でフォニッ
トを配列して文面を考える。手紙を受け取る側はアナログな文字情報をデジタル
音響信号=フォニットに変換して、意味を復元すべくデジタル処理回路に送る。

交差点で信号が黄色から赤に変わる時に車のアクセルを踏む人は、「遅れ気味だ
から急ごう」とか「これくらいなら大丈夫」と内言語で話している。味噌汁をひ
と口飲んで違和感を覚え、「おやっ」と思うのは無意識に異常を知覚するから
だ。それからフォニットが立ち上がり過去の経験を参照しながら違和感の原因が
究明される。「どうも味噌汁らしくない。これはダシをとらずに、お湯で味噌だ
け溶いた味だ」という具合に。

思考、認識、判断などヒトのさまざまな脳内認知活動は、フォニットが担う。

2 脳への言語のデジタル入力

(1) 聴覚は言語をデジタル信号のまま脳に入力

話し言葉の音素や音節は定義上離散的であるが、このデジタル成分が聴覚器官か
ら脳内に取り込まれたものがフォニットである。発声器官が音声を変調して付加
したデジタル成分を、聴覚が抽出(復調)して、そのまま脳に送る処理である。(図1)

ヒトは母語の音素を離散的に受け取る能力を生後に外部環境から音響言語刺激を
受けて身につける。
一方で、アナログな音響成分(自然音、歌、異常な物音など)はアナログ入力され
る。歌の歌詞を何度聞いても、その意味が頭に入ってこないことがある。これは
歌詞がメロディーといっしょにアナログ処理回路に送られて、言語としてデジタ
ルに処理されないからであろう。

(2) 文字は視神経がアナログ入力し、脳がデジタル化

 一方、書き言葉は視覚がアナログ形状データとして脳に送り込み、脳がそれを
いったん音響信号に前処理されないとデジタル処理できない。内言語によって話
し言葉と同じフォニット列に変換されてデジタル処理回路に送られる。

最新の言語学や分子生物学の研究では、ヒトは今から約5〜10万年前にデジタル
言語を獲得した。一方、人類が文字を発明したのが約5千年前、その大衆化をも
たらした活版印刷技術は約500年前に生まれた。ヒトは言語を使いはじめて以来
99%以上の期間、文字を使わずにすごしたのだから、脳の言語処理が音響符号
ベースであるのは当然であろう。

 
3 アナログ知覚データ入力と処理の流れ

(1) 無条件反射と概念フィルターによるパターン認識

 およそ生命体は生き延びるために、熱や臭いや音や光などの外部刺激を取り込
み、それらを追求するか回避するか、何もしないかの行動を選択する。

 感覚器官が脳に送ってくる刺激は、無意識の無条件反射を生む。熱いものに触
れて手を引っ込める、食べられないものを口にして吐き出す、恐ろしいものを見
て叫ぶなどである。

また嗅覚、味覚、触覚、体性感覚などのアナログ知覚と、絵文字や手話や身振り
やロゴマークなどを含む非言語アナログ視覚や動物の声や不審な物音など非言語
アナログ聴覚は、記憶とのパターン一致によって概念が特定され、索引である
フォニット語が呼び出されて作業記憶領域に送られる。

(2) 条件反射と視聴覚記憶フィルター

火災や地震の避難訓練のように、緊急事態への対応を普段から訓練しておくと、
いざというときに迷わず行動できる。訓練によって条件反射化すると、迷わず、
時間を無駄にせず対応できる。

嗅覚や味覚は対象となる分子を取り込むことで知覚が起き、体性感覚も物理的な
震動や触覚から生まれる。手で触れ、臭いを嗅ぎ、舌で味を見る機会に比べる
と、視聴覚の光学的・音響的刺激の数は桁違いに多く、眼や耳は覚醒している間
中ずっと刺激にさらされる。目に写るもの耳に入るものすべてに注目すると時間
がかかるし、情報過多で脳が疲れ参ってしまう。

そのため視聴覚器官は、有用な刺激だけフィルターを通過させ、無用の刺激に関
心が向かないようになっている。そのためのフィルターとして、すでに脳がもっ
ているエピソード(知覚)記憶が用いられる。

我々は自分がすでに知っていることを基準として外部世界と接し、基準と同一か
類似のもの、基準と違うものだけに注目しているのだ。視覚や聴覚刺激が取り込
まれると、脳が瞬時に記憶と比較して変化抽出を行っている。したがって自分の
脳内の記憶にないもの、記憶と似てもおらず違ってもいないものは、見えてこな
い。人間は「脳がすでに知っていることしか見えず、聞こえない」。

本質的に自己中心的で偶然の産物にすぎない経験記憶をフィルターに用いるのは
心もとないし危険である。それに振り回されない知恵をつけるために、人間は長
い教育期間を必要とする。教育は大変だが、もし遺伝情報として本能に刷り込ん
で固定化すると、状況に適応して生きることができず、もっと危険である。

視覚と聴覚は、電磁波や音響刺激を受動的に取り込む遠隔探査(リモートセンシ
ング)器官であり、それらの刺激は人工的に作り出せる。発生源が実在しない人
工刺激であっても、脳が現実として受け取れば仮想現実(Virtual Reality)とい
うことになる。

4 概念の役割:長期記憶DB構築とA/D変換

(1)  概念化:アナログ知覚にデジタル索引を付ける

知覚のフィルター機能によって、我々がまったく未知の対象を自力で見つけるこ
とは少ない。我々が新しい経験と出会うのは、誰かに教えてもらうか、自然に導
かれるか、偶然それを知る場合に限られる。たとえば、見たことも聞いたことも
食べたこともない食べ物を自発的に手にとって食べる人はまずいない。

その代わり、我々が新しい知覚対象に出会うときは誰かがそばにいて、それを何
と呼べばよいのか名まえを教えてくれる。このとき我々の脳内で、アナログな知
覚とデジタルな符号語が無意識に結びつき、概念が生まれる(インデックス化・
概念形成)。

概念とは、デジタル符号によって索引づけられたアナログ知覚であり、脳内で長
期記憶として保存される。概念は、心理学で「エピソード記憶」や「二重符号
化」と呼ぶものとほぼ同一であり、それはまた記号論が言葉(シニフィアン)とそ
の指示する内容(シニフィエ)によって結びつけるものである。

自分では経験していない知識を言葉で受け入れる場合も概念であり、シニフィア
ンとシニフィエのセットをなすが、記憶理論ではこれを「意味記憶」と呼び、エ
ピソード記憶と別に取り扱う。実体験にもとづく記憶と言葉の知識の記憶を分け
ることに意義はあるが、エピソード記憶にも意味はあるので、「意味記憶」とい
うより「言語記憶」と呼ぶべきであろう。言語記憶は、実経験をすることによっ
てエピソード記憶に変わる。

(2) デジタル索引の複雑さ、精巧さと恣意性

 ヒトの記憶能力が他の動物に比べてきわだって優れているのは、知覚や知識が
デジタル符号によって索引づけされているために、膨大な量の記憶を効率よく整
理し、保持し、読み出せることである。
デジタル符号によるインデックス化により、符号体系はきわめて複雑で精巧に
なった。日本語の112の音節があれば、アクセント抜きで考えても2音節で約1
万、3音節で100万、4音節で1億以上の異なる種類の符号語をつくることができ、
必要に応じて新しい符号語(たとえばオグシオ、スエマエ、アラフォー、ケイワ
イなど)を作ることができる。

(3) アナログ⇔デジタル変換装置としての概念

 デジタル通信とは、「回線の両端で符号化・復号化を行いつつ、離散・有限信
号を直線配列して送る通信」である。回線上はデジタル信号の送受信であり、雑
音による符号誤りに気をつける必要がある。一方で、回線の両端で意味を符号に
置き換え、符号を意味へと復元する情報源符号化・復号化は、まだ十分に議論・
検討されていない。

 情報源符号化、つまり意味とデジタル符号のA/D変換の役目を担うのが概念で
ある。ヒトは概念というA/D変換装置によって、符号と知覚・知識を変換してい
るが、無意識であるため概念の役割に気づかない。
 
 概念は、デジタル符号語とアナログ知覚を結びつけるパターン認識である。我
々はデジタル符号語を聞けば自動的に対応する知覚や知識を想起し、既知の知覚
に出会うとデジタル符号語を想起する。知っている顔を見つけても名前が思い出
せないときはイライラする。

 語彙を共有する仲間同士では、同じ概念は原則同じ意味と結びつくために、い
ちいち言葉の意味を気にしなくても概念の交換だけで深い相互理解が可能とな
り、対話が高速化したほか、今ここにない事物についても話題にできるように
なった。

 だが概念は各人の脳内で自動的・無意識に作られ、目に見えないため、同じ言
葉でも人によって意味が違ったり、言葉はあるのに意味がなかったり、いったん
つくられた概念の修正や変更ができなかったり、誤解や思い違いを誘発する多く
の罠がある。残念ながらそれらはまだ十分に認識・解明されておらず、人類は概
念の安全な使い方を確立していない。

5 デジタル言語処理による思考

(1) デジタル符号処理の威力

 内言語が止まっても、よく使う単語の意味はアナログな文字面から復元できる
が、文法的な誤りには気づかないという1)。単語の活用や単複、時制、助詞の使
い方などは、わずか一音の増減や微妙な音韻変化が意味の違いを生み出す、デジ
タル言語の真骨頂である。
また、文法や統語法を駆使して文章をつなげれば、いくらでも長い物語を紡ぎ、
語ることができる。

(2) 思考の意義と限界

 反射的な行動を取らないとき、我々は思考によって行動あるいは符号出力を決
める。たとえ誰かに脅迫・強制されたとしても、最終的に自分の行動を決めるの
は自分であり、責任逃れはできない。

 思考の有効性は、たとえ自分が経験していなくても、別の人の経験や知識に学
べることである。地球環境問題のように、人類にとって未曾有の事態と対峙する
ためには、過去に先例を求めるのみならず、既成概念のフィルターを外して先入
観を排し、ひたすら現実を直視することも意義深いと思う。

 我々の思考は、認知フィルターを通過した情報を、自分の経験や知識記憶の蓄
積にもとづいて整理して判断するものである。ヒトの経験や知識獲得は偶然の産
物として自己中心的に構築されるので、思考するだけでは誤った結論に達するこ
とがあるので注意を要する。

6 おわりに:言語と思考のデジタル性を乗り越える

 ヒト言語のデジタル性についての考察から、思考や認識のデジタル処理に発展
した。実験は行わず、学際的な文献検討とデジタル通信モデルの考察を踏まえ
て、脳におけるデジタル信号の入出力と処理の流れの概観を試みた。

 意味とは、デジタル符号語(言葉)に対応するアナログ知覚であり、言葉と意味
のセットは認知科学における「概念」、心理学における「記憶」と同じである。
また、語彙は意味の集積、意識は概念の集積であり、ともに脳内でデジタル符号
によってインデックス化された記憶であるので、ひとつひとつの記憶は意味や概
念と同じものであり、集成化された記憶は、語彙や意識と三位一体をなす。

 ヒトの思考や意識のメカニズムを理解することで、21世紀を生き抜くヒントが
得られれば幸いである。



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