3351.政策と国家戦略について考える



政策と国家戦略について考える


                           日比野 

1.小さな政府と格差是正を求める民主党

日経ビジネスが昨年6月に「第1回 日経ビジネス 経済政策アン
ケート〜日本再浮上への挑戦〜」と題した緊急アンケートを実施し
て、自民党、民主党の全衆院議員に対し、どのような政策を実現す
べきと考えているのかを調査した。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20080627/163910/

その結果のひとつに、政府のあり方と市場経済のあり方をグラフ化
したものがある。これは、政府のあり方として「大きな政府」と「
小さな政府」のどちらかを目指すべきか、と市場経済に対して「規
制緩和」と「格差是正」のどちらを目指すべきかを数値化してプロ
ットしたもの。

このグラフでは、横軸に「政府のあり方」の軸を、縦軸に「市場経
済のあり方」の軸を取っているのだけれど、自民党と民主党の各議
員の回答を見ていると、ある種の傾向がみられる。それは次の2点。

1.自民党は、小さな政府で規制緩和派から、大きな政府で格差是
  正派まで広く分布していて、経済政策レベルでは、諸派の連立
  状態であること。
2.民主党は、比較的政治信条が似通っていて、小さな政府かつ格
  差是正を目指していること。

経済政策では自民党は必ずしも一枚岩ではない。これは、昨今の郵
政民営化問題をみてもわかるように、新自由主義派と経済保守派と
に分裂しているけれど、これは、自民党自身が元々の経済思想にお
いて、個々の議員のスタンスがバラバラであったことに起因してい
ると思われる。

それに対して、民主党は、経済政策では意外と纏まっているように
見えるけれど、その内容を良く見てみれば、小さな政府と格差是正
を求めるスタンスになっている。これは、はっきり言って、やや共
産主義的考えに寄っているのではないかと思える。

なぜかというと、小さな政府を行なうためには、政治・行政機能の
かなりの部分を、民間に委託する、民営化を進めていくということ
を意味するけれど、同時に格差是正を追求するということは、給与
の差を認めないか、補助金や税金などの富の再分配による格差是正
、即ち、バラマキ型の政策を行なうことを意味するから。

小さな政府を目指して、政治・行政機能をどんどん民営化する一方
で、給与に差を認めない、もしくは差をつけるなというのは、突き
詰めてしまえば、働いても働かなくても同じ給料が貰えるというこ
とになるから、結果的に社会主義・共産主義に近づくことになって
しまう。

また、格差是正だといって、富の再分配を強力に推し進めようとす
れば、儲かっている企業や、金持ちから税金を沢山とって、そうで
ない人に補助金を広く与えることになる。つまり、行政機能の拡大
や、増税路線に向かうことになる。

これでは、小さな政府どころか、大きな政府に向かうことになる。

したがって、民主党の経済政策は、国民に対して口当たりの良いこ
とは言うのだけれど、実に矛盾した政策を目指していることになり
、それを実現しようとすれば、企業に負担を強いて、誰にでも同じ
額の給与を与えさせるか、補助金のばら撒きをするかという選択に
なるということ。

もしも、企業が、全従業員に同一給与を与えなさい、と国から強要
されたとしたら、何が起こるかというと、好況のときにはまだしも
、今のように、不況の状況下では、経営的に体力のない会社は、給
与水準を一律に「下げる」ことによって、賃金格差を無くすことに
なる。

誰にでも高い給与を与えれば、会社自身が潰れてしまうのだから、
是非もない。つまり結果として、「貧乏の再分配」が行なわれると
いうこと。

それならばと、国になんとかしてくれと要求して、国がそれに応え
ようとすれば、どんどんばら撒きをするしかない。だけど、政府が
富の再分配をする時には、必然的に財源の問題に突き当たる。その
ために民主党は、無駄を省くと主張しているけれど、やはり限度は
ある。

それに、完全に無駄を省いた後は何も残らない。なぜかといえば、
市場のパイを増やしているわけではないから。

そうして無駄を省いてもまだ格差が残り、それを是正しないといけ
ないとなると、税収を増やして財源を確保しなければならなくなる
。

税収を増やすには、景気を良くして赤字企業を減らして黒字企業を
増やすか、増税するかのどちらかになるけれど、いずれにせよ、税
金の再分配機能を強化しなければ、格差を是正できないから、行政
機能が拡大してゆく。とどのつまり、行きつくところは、大きな政
府だということ。

民間に共産主義を押し付けるのであれば別だけれど、資本主義社会
においては、小さな政府と格差是正は、基本的に両立しない。
 


2.相反する2つの立場を抱え込む自民党

それに対して、自民党はと言えば、その経済政策を見ると、大きく
は、「小さな政府かつ規制緩和派」と、「大きな政府かつ格差是正
派」の二つのグループに分かれている。

だけど「小さな政府+規制緩和」と「大きな政府+格差是正」とい
うものは、政策としては一貫性があり、それぞれに納得できるもの
を持っている。小さな政府と格差是正は、基本的に両立しないから
、このどちらかの組み合わせになるのが普通といえば普通。

つまり、小さな政府を目指すのであれば、政府行政機能をどんどん
民間に委ねるが故に、ある程度の格差は許容せねばならず、また民
間の企業活動を妨げないように、どんどん規制緩和する、というこ
とになる。

また、格差是正を目指すのであれば、富の再配分を行なう機能強化
が求められ、必然的に大きな政府になる。

だけど、ある意味において、自民党は、経済政策で相反する二つの
立場を抱え込むことによって、好況にも不況にも対応できる柔軟性
を確保してきたともいえる。

好況時には、規制緩和を進めることで民間活力を惹起し、不況時に
は、財政支出を増やして、景気の下支えをする、という具合に。

自民党は戦後、殆どその政権を譲ることはなかったけれど、政策レ
ベルでみると、かなりの部分が交代可能だった。政権交代しないま
でも、政策交代は可能だった。

その一方、相反する経済政策の考えを持つ議員を同じ党内で抱えて
いるために、ひとつの政策を打ち出す時にも党内調整に非常にエネ
ルギーを費やすことになり、結果として政策決定スピードが遅れて
しまうという欠点を抱えている。

ましてや、麻生派のように、総理を出している派閥が少数派であっ
たり、今の国会のように、参議院で野党が多数派を占めているよう
な現状では、法案ひとつ通すのに、どれだけのエネルギーが必要か
想像に難くない。

そんな、バラバラの思想を抱え込む自民党が、なぜひとつの党でい
られたのか。

やはり、それは「政権与党であったから」という理由が一番大きい
ように思われる。

どんなに理想とし、自分の政策が一番だと思っていたとしても、政
権与党にならない限り、それが実施されることはない。

尤も、連立を組んで、政策の一部を実施させることはあるけれど、
それも連立を組んだ時点で、政権与党内での話になる。野党の立場
では、国会質問で追求することはできても、それ以上のことまでは
できない。

だけど、自民党であれば、政治信条が多数派と違っていても、内に
取り込んでいてくれるから、内部から意見をいくらでも言うことが
できる。国会質問のほんの僅かな時間で頑張るより、よほど影響を
与えることができる。

だから、政治家はその理想を実現するために、政権与党に入ること
を望み、与党は政権維持に努め、野党は政権をとることに終始する
ことになる。議会制民主主義である限り、これはどうしようもない
こと。

すると、野党が政権を取ろうとすると、どうするか。

その為には、やはり、数をそろえなければならない。当選議員が過
半数を超えれば、それで政権が獲れる。その為には、支持基盤を固
め、増やしていかなけばならない。

そんなときに、献金をしてくれて、民主主義のコストを支払ってく
れるような支持母体があれば、喜んで受け取り、その要求を呑むこ
とになる。当たり前の話。

ここで、民主党の支持母体を見てみると「日教組」であるとか「自
治労」であるとか、リベラル左翼系が主な母体となっている。さら
には、「民団」や「部落開放同盟」もある。傍からみると、民主党
が政権を取れば、そうした支持母体に配慮した政権になるだろう、
と考えるのは自然なこと。

そんな民主党になぜ、これほどまでに支持が集まっているのか。



3.民主党政権を望む声の深層
 
先の都議会選挙で見られたように、今や、民主党への政権交代を望
む声が非常に高まっているように見える。

だけど、日本国民の大多数が、民主党の支持母体のようなリベラル
左翼の考えに染まっているのか、といえば、必ずしもそうではない
と思う。

日本海総合研究所(仮)というブログに、その謎を説くヒントとな
ると思われる記事がある。以下一部を引用する。


『民主党が外国勢力やアングラ勢力と繋がっているやに見えるのは
 、そうしないと運営資金が得られなかったからだ。

 小沢さんは出来る事なら民主党の運営を「きれいな金」でやりた
 かったに違いない。

 しかし「きれいな金」は、全部自民党に押えられている。国民が
 普通に政治献金する国ならともかく我が国で政治に金を出す者は
 少ない。あまつさえ与党でもない、利権分配に預かれるわけでも
 無い野党に金を出す者など限られる。

 だから小沢さんは泣く泣く、やむを得ず、「汚い金」にも手を出
 して、やる気も無いのに「外国人参政権をやる」とか適当な事を
 言って金づるにすがっていたんだ。

 しかし、政権を取ったら話は別だ。

 政権に就いたら、それまで自民党が押えていた利権を奪い、「汚
 い金」になどに頼らなくても政党運営が出来るようになる。そう
 なったら汚い連中とはおさらばだ。「外国人参政権」の推進など
 は政権奪取のための方便であって、その実やる気など無い。自民
 党が公明党のそれを放置しているのと同様に。

 民主党は政権に就いたとたんに「きれいな政党」に変わり、小沢
 さんはその当初の目的であった、保守的な「日本改造計画」に基
 づいた国づくりをしてくれるに違いない・・・


 なぜか今だに小沢支持者が多いという”保守”親父の脳内はこん
 な所でしょう。(あるいは事実かもしれないが)

 こういう考えが出来る内は、どんなに「民主党は連合とズブズブ
 」と指弾しても無駄無駄…。

 しかし、自民党は下野した瞬間に、民主党は政権についた瞬間に
 、その存在理由を失うわけですな。』

日本海総合研究所(仮):「汚れたバット」より
http://kurikara1183.iza.ne.jp/blog/entry/1129632/


この記事に従えば、民主党の中身なぞ関係ないということになる。
民主等にどんなにスキャンダルがあったところで関係なし。民主党
自身が綺麗でも、汚れていても、与党をぶっ叩けさえすればいい。

そして、中身に目を向けているはずの「”保守”親父」殿はといえ
ば、小沢代表代行の「本来は保守本流のはずだ」という幻想に期待
している。

兎に角、政権交代してしまえば、うまくいくんじゃないか、と淡い
期待を抱いている、おそらく無党派を中心とする層と、政権を取っ
てしまえば、黒幕の小沢氏の力によって、本来の保守政党として生
まれ変わって、現実的な政策を実施してくれるはずだ、と期待する
従来の保守層の二つの層がいて、共に「してくれるはずだ」という
期待感によって支持をしているということ。

しかし、民主党のマニフェストには、そんなことは、何処にも書か
れていない。

尤も、最近の鳩山党首の外交政策の右旋回発言なんかを聞いて、や
はりそうだよな、と頷いている「”保守”親父」殿は多いと思われ
る。

 

4.国家戦略の選択 

では、上手くいく、という期待どおりにいく保証もないのに、なぜ
期待してしまうのか。

ひとつには、先に引用した記事にあるように、「飽きた」からとい
うのもあるだろう。だけど、もうひとつ重要な点があるように思わ
れる。それは、やはり、今だに日本人は自国の政治家達に「徳」を
期待しているところがあるのではないかということ。

すなわち、日本の政治家なのだから、日本の国益を第一にして当た
り前だ、とか、なんだかんだいってもやはり日本人なのだから、愛
国であるはずだ、という前提で考えているのではないか。

日本国民の多くが、政治家の「徳」を期待している。けれども、そ
の徳を確認できるくらいその政治家を知っているかといえば、そう
でもない。殆どがテレビなどから流れてくる、マスコミ報道だけで
しかその政治家を知らないのが実情。

だけど、北朝鮮が核実験をし、ミサイルを発射して、現実の脅威が
目の前に迫っているこの国難のときに、確証のない「淡い期待」に
従って、一度やらせてみたはいいけれど、二度と取り返しがつかな
かった、ということは十分あり得る話。

戦術レベルで何度敗退したところで、戦略レベルで負けなければ、
最終的に破れることはない。だけど、戦略レベルで間違えてしまっ
たら、取り返すのは大変。

たとえば、一例を上げると、毛沢東政権下の中国なんかはそう。太
平洋戦争終結後、日本は民主国家として、アメリカのような国にな
ることを国家ビジョンとして持ったけれど、中国はマルクスの共産
国家を理想として、それを国家ビジョンとした。その結果50年、
60年たって、現れた世界は何であったか。

日本は繁栄し、中国は燻っている。中国は今でこそ経済大国として
台頭しているが、それはケ小平時代に改革開放路線に戦略を転換し
て、経済レベルで資本主義を導入したから。

それまでの20年、30年はどうだったかといえば、大躍進できず
に数千万ともいわれる餓死者を出している。経済繁栄など夢の世界。

それほど国家戦略の間違いは大きい。下手をすると亡国に近いとこ
ろまで行ってしまう。

幸か不幸か、民主党は国家戦略を示していない。示していないのか
、示せないのかは分からないけれど、国家戦略なき政策である以上
、その場その場で、ころころと路線変更される確率は高いと見てい
い。

民主党の経済政策については、与党から、財源の裏付けがないと指
摘されているけれど、未だ、民主党から明解な回答はない。

あまつさえ、民主党の最高顧問は「財源にはそこまで触れなくてい
いんだ。どうにかなるし、どうにもならなかったら、ごめんなさい
と言えばいいじゃないか」と発言している。

財源の裏づけがない政策をやってみた結果、失業者だらけになって
、それで「ごめんなさい」で済むと思っているのだとしたら、随分
と国民を馬鹿にした話。

ただ、政策の中には一度施行してしまったら、後からは中々変えら
れないものもあるだろうから、いくら民主党の政策に国家戦略がな
いと言っても、何が取り返しがついて、何が取り返しがつかないか
の見極めは必要になると思う。


 
5.長期ビジョンこそが国家戦略であるべき
 
では、政治における戦略とは何であるか。

それは、やはり、国家としてのビジョン、国のあり方、日本として
のあるべき姿。その時々の政権にどの党がついているかなんていう
のは、国家ビジョンさえ明確であれば、戦術レベルでの選択にしか
過ぎない。

そのビジョンが、民主党にないのは明白なのだけれど、ある意味こ
れは、自民党にも言えること。

確かに、麻生総理は「未来開拓戦略」を打ち出している。その戦略
は、2020年に向けて、環境など3分野への集中投資して、国内
総生産(GDP)を、現在より120兆円押し上げ、400万人の
雇用を創出する、というもので、それはそれで素晴らしいものだと
は思う。

だけど、まだそれでも、その射程が少し短すぎるように思える。

2020年といえば、10年立てばやって来る。昨今は、1年で総
理がころころ代わる短命政権が続いているから、10年は長いよう
に見えるかもしれないけれど、国の舵を切って、その方向に進むま
ではやはり5年や10年は必要。

小泉政権は5年半あったけれど、その是非は兎も角として、小泉改
革という方向に、日本が実際に向かって、それが、国民の誰もが自
覚するようになったのは、ここ1〜2年の話。

そして、地方の疲弊や、昨今のかんぽの宿問題などのように、小泉
改革路線の是非が、今になって問われている。

たとえば、昔の小泉改革のおかげで、皆が苦しむことになった、だ
から小泉路線を転換して、元のように多少は国が保護するのだ、と
いう具合に舵を戻そうとして、5年、10年かけて元に戻したとす
る。

だけど、そこには、その10年後の世界にマッチしているものなの
か、その環境に対応できるものかどうかの見極めがなければならな
い。折角、10年かけて元に戻したのに、その時の世界が、また経
済成長路線に乗っていたとしたら、日本は取り残されることになる
。周回遅れのランナーのように。

だから、確固たる戦略があった上での戦術レベル、いわゆる小さな
ところでの路線変更であれば、別にどうということはないけれど、
戦略なき政策は、海図もなしに航海にでるようなもの。何処に向か
えばいいかも分からず、時間だけを食いつぶすことになる。

だから、国家戦略を考える上では、10年単位ではなくて、50年
、100年、いやそれ以上の、長期に渡るビジョンがあった上での
舵取りであるのか、そうでないのか。つまり国としての構想力が問
われることになる。

もし、そうしたビジョンも無しに、今が苦しいから、といって舵を
右へ左へと、その場その場で切っていたとしたら、結局は同じとこ
ろをぐるぐると回り続けることにもなりかねない。それほど国家運
営というものは難しいものなのだと言える。見えない未来を見通さ
ねばならないのだから。

これまでの自民党が、いろんな政治信条をもつ議員を抱えつつ、そ
の時々の状況に合わせて舵を切ってきたように見えながら、日本が
国家としてここまで繁栄したのは、おそらくは、アメリカを手本と
して、あのような国になろう、というビジョンがあったからなのだ
と思える。けれども、これからもそれでいいのか、という問題がこ
れから表れてくるだろう。

たとえば、未来開拓戦略の一つの柱に「低炭素革命」というものが
ある。オバマ大統領の「グリーン・ニューディール政策」ともリン
クしている戦略。

この「低炭素革命」はCO2の排出を抑えた産業構造に転換しよう
というもの。だけど、100年という単位でみた場合、100年後
も温暖化が進んでいるか、と問われれば、やはり分からないという
のが正直なところではないだろうか。学者によっては、温暖化では
なくて、寒冷化に向かうという人もいる。

本当は、「低炭素革命」も、そうしたことを踏まえたうえでの革命
でなくてはならず、結局のところ、未来をどう設計してゆくのかに
かかっているように思えてならない。

麻生総理の未来開拓戦略ですら、射程が短いとなったら、民主党の
未来戦略はどうなるのか。まさか友愛社会が未来戦略になるとは思
えない。

今回の選挙をマスコミは、麻生太郎vs鳩山由紀夫の対決だと囃し立
てるけれど、そうではなくて、争点は、小泉改革の是非であるべき
だ、との論調も一部には見受けられる。

だけど、更に長距離な視点から眺めるならば、60年前に、日本が
国家戦略、国家ビジョンとして、アメリカのような国を目指して、
それを着々と実現していった事実があり、そして小泉改革を通じて
、ようやく、その最後の仕上げをしたのだ、という見方だってでき
る。

だから、小泉改革の是非を問うということは、アメリカのような国
を国家ビジョンとしていって、漸くそれが完成に近づいたのだけれ
ども、すこし日本に馴染まないようだから修正しようか、という程
度のものにしかすぎず、本当の争点はそこではないように思える。

もっとはっきり言えば、これから先、100年に渡っての、新しい
国家ビジョンを構築すべき時を迎えているのではないかということ。

即ち、日本が手本としてきたアメリカに、社会主義的な統制が強ま
ってきているけれど、その状況で、日本が今後100年を見据えて
も、アメリカを手本とするのかどうか、という選択を問われている
のではないか。

もし、アメリカがこのまま、中道路線に転換し、悪く言えば、社会
主義国化してゆくようなことがあれば、それを手本にした先にある
ものは、容易に想像がつく。

今、日本は未来に向けての重要な岐路にいる。

(了)

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