3350.臓器移植法



臓器移植法     國井
日時:  2009年07月17日
   
 改正臓器移植法案が衆参両院に於いて可決しました。
  本当に身震いを覚えます。
  国会議員の良識には、日頃、疑問に覚えていますが、
  この移植法も将にその一つである。
   
  医師の不祥事は、金銭に関わる問題が大半です。
  最近では、事件となっている奈良県大和郡山市の事
  件等、診療報酬の不正請求等々、金銭問題だけであ
  れば、未だ、何とか気持ちは、収められます。
   
  しかし、所沢の富士見産婦人科病院の事件がありまし
  た。命に関ることに関しては、収まりがつきません。
   
  側聞ですが、ある病院では、高額の腎臓透析機を購入
  し、未だ、透析を必要としない人を腎臓透析の治療に回
  してしまうという話があります。
   
  私ごとにですが、舅の介護に身も心も疲れ果て、舅の介
  護で自身の命は終わってしまう運命と諦めていました。
   
  舅が亡くなった時、私は、生きられるんだと思いました。
  この話をすると、殆どの人は、顔をしかめます。
   
  暫くの間、息を吐く時に、何とも言えない疲労感があり
  ました。 
  2,3か月、そのような状態が続いたでしょうか、それも
  すっかり無くなって、安堵感も出てきました。
   
  丁度その頃、役場に用があって、行ったところ、日赤の
  献血車が停まり、数人の方が献血に訪れているのを見
  ました。私も気分的にも平常に戻り、非常に喜んでいま
  した。献血気分になったのです。
   
  献血可能か否かの検査をして、可能と医師は、判定。
  献血車の中は、3人ほどが献血できるベッドがあり、献
  血者は、次々と採血を終えて出ていきます。
  私は、相当な時間を要して、やっと終わりました。
  立ち上がろうとするともう少し休んでから立ち上がって
  下さいと、看護師。暫く休み、車外に出たとたん、倒れ
  て、気を失っていました。血圧も低下、脈拍も感じられなく
  なってきていたそうです。
   
  医師は、採血されるべきでない人を採血可能と判定して
  いるのです。
  日赤は、私のような人から、採血してきているのです。
   
  この背景には、血液不足が続いている医療事情がある
  と考えられます。
   
  レシピエントの数とドナー不足は、上記血液不足と同様
  の結果を招くことを危惧します。脳死者の家族の同意を
  得て、提供することになっていますが、脳死の子供の親
  を誘導したり、圧力をかけることがあってはならないと新
  聞の社説にありましたが、果たして、それだけの問題で
  済むような気がしません。
   
  アメリカでは、死に瀕している患者の病室の外では、提
  供される臓器を収納する容器を携えて、待機している状
  況があると伝えられている。
   
    20年程前、毎日新聞の海外欄の下の方に4人の元気な
  赤ちゃんが各自ナースに抱かれている写真がありました。
  臓器移植目的に誘拐された乳児とありました。当時この
  ニュースを信じられませんでしたが、今は、信じられます。
   
  中国では、貧しさのあまり、臓器移植のために妊娠する
  夫婦がいると聞きます。

   
  提供を受ける人(レシピエント)は、何故、他者の臓器を
  必要とする結果に至ったのでしょう。それを明らかにせ
  ず、瀕死状態の幼子が映し出されるテレビの画面は、
  この子を一刻も早く助けなくては、命がなくなると。誰し
  も、そう思うのが当然です。
   
  確かに、助けてあげたい。しかし、提供者も死に瀕して
  いるのです。
   
  TV画面に提供を待ち望んでいる幼子に、インタビュー。
  「元気になったら、何をしたいですか。」と
  「ポテトチップを食べたいです。」
  親の食生活の貧困さを感じます。
   
  奇形児の出生率が高くなっていると聞いて久しいです。
  ここには、食品添加物の問題があると考えます。
  商業主義、資本主義があります。
  家庭の味がなくなってきています。
   
  医療も商業、資本主義に毒されていると思います。
  耐性菌が次々と現れ、治療困難に陥っています。
  そのうち科学が解決されると思うなかれ、
  湯川秀樹博士は、
  本当の科学者は、科学の限界を知っている。
  と言っています。
   
  かって、海外に移植手術を受けに行き、余った義援金
  でブランド物を買いあさった母親が週刊誌のニュースに
  なっていました。
   
  他者の死を待つ臓器移植は、予防医学を疎かにならな
  いでしょうか。先端医療が持て囃されますが、地道な予
  防医学こそを私たちは、大事にせねばならない。
   
  <マルテの手記>望月市恵訳
  僕が今まであった人や、話に聞いた人のことを思い出し
  てみると、どの人も祖父と同じ死に方をした。
  だれの死も個性のある死に方であった。
  男は死を囚人のように胸中に宿し、
  女は高齢になると小さくひからび、船のように大きな寝台
  の上に舞台の女のように寝て、全家族、召使、犬に見守
  られて、ひっそりと荘重に死んだ。
  さよう、がんぜない子供でさえも、子供らしい平凡な死に
  方をせずに、心を張りつめ、現在までに育った生活と、こ
  れから育つはずであった生活とを合わせて死んだ。
  (岩波文庫19頁)

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國井 明子 


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