3346.風の学校



井戸掘り、水の汲み出し風車を発展途上国に援助した故中田正一を
紹介する。   Fより

故中田正一さんはアフリカでの旅行後、次のように語っている。
「モノやカネは外から調達できますが、水は現地になければ意味が
ありません。飢えと渇きに苦しむ人々に最も必要な命の糧は、水な
んです」

伝承される古式の井戸掘り技術である「上総掘り」を中心に、風車
や揚水技術などの生活基盤の整備技術と農業技術を持って、1963
年、アフガニスタンで1年半に渡る農業教育指導従事以来、飢えと
渇きにあえぐ世界各地を飛び回り、『風の学校』の教え子たちと共
に数多くの井戸を掘り続けたのが、故中田正一氏である。

モノやカネに頼らず、現地の人と共に汗を流して危機を乗り越えよ
うと適正技術といって発展途上国の物資のない状況でもすぐに活用
できる技術に重きを置く彼の姿勢は、そのまま現代社会に対する挑
戦でもあった。

 『わたしは「愛」の反対は「憎しみ」ではなく「無関心」だと思
うんです。自分さえ豊かに生活できれば、他はどうであろうと一切
無関心で、飽食を重ねてマネーゲームに興じている時代 ―― 。
これは一番悪い社会だと思う』と

そして、「風の学校」卒業生は100名を超え、その卒業生は、培った
技術を発展途上国の現地の人々だけでなく、日本の国際協力を志す
後輩にも伝え、その育成に努めた。その風の学校も既になくなって
いる。

この理念を誰かが継承しないといけないと見る。

参考:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://www.unity-design.jp/unity_link/volunteer-group/volu_kaze.html
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風の学校
http://www.unity-design.jp/unity_link/volunteer-group/volu_kaze.html

昭和42年に茨城県の内原で農学博士、中田正一さんを中心に発足し
た。昭和59年「風の学校」と改名。現在までに風の学校で学んだ生
徒は100名以上を数える。金や物資ではなく、適正技術(現地調達、
あるいは現地で作れる道具を使って、その国、土地に合った、農業
や畜産を育成する技術)を学び、そしてその技術を開発途上国の人
々に伝えることを目的としている。

風の学校ではすべて“自活実習”という形でトレーニングが行なわ
れている。以下は、風の学校が発行している「風のたより」という
風の学校協力会の会報よりの自活実習についての抜粋です。
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 自活実習という考え方の自己訓練法は、昭和42年、風の学校の前
身である国際協力会の発足と同時に生みだされた自主トレーニング
法である。その後約20年、参加者80名余、20年の歳月の間にだんだ
ん固まってきた考え方は次のようなものである。

【1】世界のどこの国の農民も講義や理論だけではなかなか動かな
いが、実物を見せると心が動く。農民というのは長年の試行錯誤の
繰り返しを重ねた経験的人間である。だから頑固なのだ。実際を見
せないと承知しない人種である。

【2】世界の農民の友となるためには農民と同じように自ら試行錯
誤を積み重ねてみる必要がある。管理されたトレーニングでは試行
錯誤は許されないが、全く自由な自主トレーニングにおいてはそれ
は可能である。しかし自由ではあるが、そのかわり独立心、創造力
、冒険心、行動力、自制心、包容力といった心の骨組みががっちり
できてないと、とうていものにはならない。

【3】農業の技術とは人間が生きるための諸々の技術である。その
技術は百ほどあるから百姓というのかも知れない。また、その技術
を活かすための手農具もたくさんある。クワ、カマをはじめ台所道
具まで種々雑多。私達の自主トレーニングは自ら生きるための百の
技術を身につけるところから始まる。

【4】ソロバンを無視した技術は農民の益にならない。ソロバンは
生産面だけではなく、生活面のソロバンも必要なのだ。自活実習は
生産と生活のソロバンを大切にする修業である。とにかく、自ら農
業で食った経験のないものには農民の考え方や気持ちなどわかりっ
こないはず。

【5】人間関係は極めて重要である。私達は、他との関係において
初めて成り立つ「関係人間」である。人間関係は技術よりもはるか
にむづかしい。他との関わりが円満にいって、初めて会得した技術
も活かされるわけで、おかれた場で他の人々と居心地よく生活する
ための心配りができる人でありたい。他人を思いやる心のもてない
人間は風の学校にも、海外活動にも基本的に失格である。

【6】風の学校には定まった先生がなく、ほったらかしである。や
る気のないもの、自分の実習や学習の計画を自分で作れないものは
だめである。風の学校の先生というのは近所の農家の方々、稲や大
根、牛や豚、何でも先生、先生には事欠かない。問題はこちらの問
題意識、学ぶ姿勢、吸収能力、実戦に移す熱意いかんにかかる。

【7】途上国の事情に見合う適正技術を身につけるには、明治、大
正、昭和初期の農業や有機、有畜農業がしっくりする。その技術に
は村にすむ高齢者が身につけている。だから風の学校の先生には近
所のおじいさんやおばあさんが一番の適格者である。

【8】「何でも見てやろう」でなく「何でもやってみよう」。学び
方には「聞いて学ぶ」「見て学ぶ」「読んで学ぶ」など色々の方法
がある。自活実習は「自ら試すことによって学ぶ」方法である。

【9】農業の実習にはいくつかの方法がある。★学校農場や研修施
設での農場実習、★農家に住み込んでの農家実習、★自分の責任で
行なうプロジェクト学習、★自らの生活をかける自活実習。それぞ
れ長短はあるが、自活実習は誰の束縛も受けず、自分の計画で、自
分の労働で、背水の陣を敷いて自活しながら学ぶ方法である。

【10】知識は学校で頭につめこまれるが、知恵は体を通した経験に
よって身につく。「知識」は体を通して鍛えられると、実践に役立
ち、かつ応用力のある「知恵」に変質する。自活実習は知恵の質を
変え、知恵を育てる営みである。

【11】人類の文明は手の働きによって作られたと言ってよい。手の
働きが人間の能細胞を発達させたが、今や逆に能細胞が手を支配し
、頭でっかちの人間とその社会ができあがった。近頃人間ロボット
なるものができて人間を無用にし、手なんか要らないと手をボイコ
ットをしはじめた。しかし風の学校では手を動かすことによって頭
を訓練し続け、人間の復興を成し遂げたいと願っている。

【12】自らの能力をほんとに知っているか。鍬で少しばかりつつい
てみて、鉱脈は見当たらないと失望はしていないか。鉱脈はもっと
深いところにある。掘り方が足りない。とにかく自分の能力(可能
性)の鉱脈につき当たるまで掘り下げれば、金も出ればダイヤも出
る。人そのものもがらりと変わる。自活実習は自らの能力掘り起こ
しの荒作業である。
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 以上、風の学校をよく知ってもらうため、中田正一さん自ら発行
していた(現在は中田章子さん)機関誌「風のたより」から抜粋し
た。
しかし、機関紙もなくなっている。


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