知こそ力なり 虚風老 人は、<現時点>において、すべてのことが解かって、物事を判断 できるわけではない。 万の事象は変化しながら、現時点に殺到してくる。 それをどのようにするかの選択は待った無しである場合が多い。 検討に検討を重ねたとしても、すべてを見通す眼を持つことなど、 不可能だし、もし誰かがそこに起こる副作用を口を酸っぱくして注 意したとしても、それを軽視してしまう場合も実に多いもんじゃ。 その後事態が発展して、問題が拡大し、それ見たことかとか、何故 あんな間違いをしたのかと言っても、後知恵だから解かるというこ ともある。 だから<現時点>での判断は常に完全ではないと思っておくべきな のじゃ。 必要なのは、これは、思ったより副作用が大きいと判った段階で、 その現時点で副作用を含めた上での「新たになった状況」を織り込 みながら、もっとも良いと思われる方へ修正し続けることなのじゃ ろう。 もっとも悪いのは、間違いが明らかなのに初期の計画に「固執」す ることじゃし、ドグマによって、(現実)状況が見えないというの も困りモノじゃ。 ドグマを優先して、どんどん現実と乖離していきながら、「現実が 間違っている」と言っても、問題を解決する方法はみつからない。 状況を正しく判断することこそが、常にリーダーには求められるこ となんじゃ。 その為にサポートするスタッフは、正しい情報を手に入れなければ ならないし、それを包み隠さずリーダーに提出しなければならない。 自分の利害の為に、情報を歪めるなどもっとも恥ずべきことじゃろう。 リ−ダーが判断を間違えれば、隊列は、沼地に入り込むかもしれな いし、砂漠を水無しで渡ろうとするかもしれない。 判断には常に不可知の「賭け」の部分が存在しているから、常に修 正すべき場所を探っておかなければならない。場合によっては退却 (損切り)も戦略の一つであるし、新たな活路へ転進もありうる。 そういう意味があるから、「君子は豹変す」といわれるんじゃの。 だから、情報が死生を決定づけるわけじゃ。 この、とりあえず判断して進むことと、そこに起こることの情報を フィードバックしていく機能こそが、動物が動物であるゆえんじゃ といってもええ。(獲物が逃げるのを追うからの、状況目的地が変 わる。それに対応する) 情報を取り扱う部門の肥大と劣化は(まあ、巨大官僚組織などでは おうおうにして起こるが)この機能の不全をなす。 中間までにいろんな思惑が絡んでくるからの。 ITなどで、情報の流量や、今まではアクセスしにくかった情報にも 触れることができるようになった。これからは、分野ごとの情報の 取り扱い(リテラシー)・分析−総合の機能をより充実していかね ばならないじゃろう。どちらも情報にたしして、分野の体系的な知 識を有していないと難しいじゃろう。単に情報を読む人ではなく学 問的にその意味が理解できるくらいの知すら必要じゃろう。 そして尚且つ、それらの分野を横断的にみて統合する人々が必要に なる。 世の中には、博士号を持っていてもまともな職にありつけない人も いる(非常勤講師ぐらいじゃ知性の宝の持ち腐れじゃろう) 情報部門(解析部門−統合部門)は、企業にしろ国にしろ強化すべ きじゃろうな。 <知こそ力>なり。そういう時代じゃ。 虚風老