3339.空しさの中で、朽ちることなかれ



空しさの中で、朽ちることなかれ。        まとり
   
 空しさの中の、熱い尻尾達

青年達は、熱い尻尾を持てなくなってしまっている。
それは、状況の中で冷えていくしかなくなっている。

だれも「大きな物語」に繋がることができなくなって、空白の中を
蠢くような感じをいだいている。
変に熱い奴は、うっとうしいだけだし、勘違いしているようにしか
みえない。
自分の欲望で、ギラギラしている奴は、方向が間違っているように
感じるし、そうすると、極私的空間で、プチ盛り上りや、仮想空間
でのバァーチャルな願望満たしくらいしか思い付けない。

本当は、ひりひりするような興奮や、熱情へ突っ走りたいのに、そ
こにある世界は、空白か、キチキチに管理されたワーク社会しかみ
あたらない。丁々発止のビジネスシーンに参加できるのならまだし
も、その能力も機会もない。高度成長期にならあるであろう、立身
出世物語も、爆発的な経済成功をおさめる場所もみつけられない。

もてあました人達は、無理やりの「熱い場所」を探していく。
その内容の当否ではなく、ただ誰かがお膳立てした「熱そう」な場
所へ。あるいは、そういう状況の国へ自分探しといって旅をする。

かくて、彼等は、無意味と疎外を抱え込み、「大きな物語」の不在
をしらけた眼で眺め、尻尾を冷たくしていく。

だが、それは、ほんとうに「本当」だろうか?

「意味」というのは、自分の外側にあるわけではない。それは自分
の内側にあるのだ。
「疎外」も、なあなあの付き合いをつづけたりで解消することはで
きず、どこかにただで解答も転がってはいない。

自ら参加していくことにある。そしてそこにあるものを見、それに
動かされる自身を見る。そして、それらの事象の背景へ思いを馳せ
ていく。

世界は常に繋がっている。一枚の葉っぱも路傍の石も、宇宙の摂理
から生まれてきた。何一つ世界から取り除くことも消し去ることも
できない。(現前の形を変えたとしても)
人間の社会も、単独のモノなどない。
すべてが、複雑に絡み合い、相互に影響を与え、相互に依存している。

眼前にある事象は結び目なのだ。そしてそれらは、解かれ、また別
の結び目を創り出す。そして、自分自身という現在もまた結び目の
一つなのである。

その先の連なりを見、その世界の変動の流れを読み、構造をしる。

それは、自己を探求することであり、自己を探求するとは世界を探
求することなのだ。何かに参加するというのは、きっかけに過ぎな
い。そこは入り口なのだ。そして、その入り口から極めていけば、
常に世界全体に繋がっているものなのである。

お膳立てされた、学校の勉強などは、まだ本当の勉強ではない。
(確かに後々振り返れば、たくさんの人達が、これが必要になるだ
ろうと用意してくれたプログラムではある)
本当は自分が突き進む「道」を解くために勉強が必要になるのだ。

その時はじめて、学問の意味がわかるし、面白さを感じることがで
きる。実生活、実社会で、自分が必要だ、これが分からないと思っ
たところから、もう一度勉強を始めればいい。

人は何かを創り出しているときに、本当に熱くなれる。
それは、仕事でも人と人との関係でもそうだ。
競技をして勝利を創り出している時もそうだ。
あるいは、人々の喜びを創り出したり、問題を解決するための技法
を開発しているときでもそうだ。

あなたは、何を創り出しているだろう?

道はすべての人の前に開けている。
「熱い」かどうかは、それを一歩でも前へ進むかどうかである。

                    真鳥
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<いのち>の輝き     まとり   
   
 
<いのち>の本源の輝きに、どっかと座り込むこと以上の喜びはな
い。
その<いのち>は宇宙いっぱいの輝きと一であり、
その根底で、尽きることなくはたらいている力を<道>と呼ぶ。

それは、不動でありすべての創造の源である。

その<いのち>の輝きにやすらう者に憂いはなく、
欲望は制御され、その影に引きずり回されることはなく、迷いがない。

その<いのち>の輝き故に、精一杯生きる。
その輝きは、自己を開き、すべてを愛す。
万物はそれぞれに異なったまま斉同である。そしてすべての<いの
ち>が繋がっている。

それは回帰性の運動の中心にあり、螺旋の不可視の中心軸であり、
すべてを支える力である。
その輝きは滅することなく、遍満している。
<いのち>を求める者は、ただ覆いを取り去るがいい。

それは、子供達がみせる無邪気な笑顔の中にかがやく。
母親が子供を見詰める喜びの笑顔の中にこぼれる。

<いのち>は輝く。
あらゆる場所で、あらゆる時に、、、。

命は、活発に働き、<いのち>の本源ではただやすらぐ。

              真鳥
 


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