詩人とは何か? 英国の詩人ウィスタン・オーデンが1956年に行なった講演の中 で、詩人とは何かを論じています。 誤解を恐れずに、それをひとことでまとめてみると、詩人には、世 俗を超えた聖なるものを感じる感受性と、それを美しい儀式にして 表現する能力が必要であるといっているようです。 詩人に詩を書こうという衝動が起こるのは、想像力と聖なるものと の出会いからです。 したがって詩のテーマとしては古今、以下の3つが多かったといい ます。(以下小沢書店「オーデン詩集」より) 1 これは聖であったがいまは俗だ。残念だ。あるいは、有難いこ とだ! 2 これは聖だ、しかし聖でなければならぬか? 3 これは聖だ、しかしそれはそんなに重要なことなのか? 「あらゆる詩は、その実際の内容がなんであり、みた目の関心事が なんであろうと、想像的畏怖に根ざしているものです。詩には、多 くのことができます −− 喜ばせ、悲しませ、心をかき乱し、ひ まをまぎらせ、教えることができます。詩は、情緒の考えられるあ らゆる度合いを表現できるでしょう、考えられるあらゆる種類ので きごとを描けるでしょう。しかし、あらゆる詩がなさねばならぬこ とが、ただひとつあります。その存在と生起をほめたたえることの できるすべてのものを、詩はほめたたえねばならないのです。」 詩人は本当は世界を褒めたたえたいのでしょうが、上の3つのテー マが多かったということは、むしろ逆に詩人はこの俗世界の中で、 理想とする聖なる世界と、現実世界の、あるいは現実の「聖なる」 世界の落差に、心を痛め、苦しんで生きてきた種族、それでも高ら かに理想とする世界をイメイジしながら詩を書かずにはおられなか った絶滅危惧種であったというべきかもしれません。 得丸公明 ============================== > 世俗を超えた聖なるものを感じる感受性と、それを美しい儀式に > して表現する能力が必要であるといっているようです。 > 至言と承りましたが、これは仏性を磨くの作法同様に個人の磨き方 、そして先祖から引き継いだもの、しかし、あらゆる条件、環境の 微分しきれないほどの要素で個性は出るのでしょう。 しかし、雁は未だこの世に汚染される前の子どもに開花させるロマ ンを夢みていたのでしょう、チャワシェスクの子どもの発想とは天 と地の違いです。 昔の、薩人は直感で偉い人と畏敬するや、一途により近くに居よう とする習いが有りました。 その県民性を知っていた雁は工作者として、ラボで多いときは7名 ほど鹿児島県人が在職していました。雁研はこれからですが、あの 頃の同郷の連中と邂逅し、再度旗揚げの意志も。 今宵、一人鑑賞者として楽しみに一次 会のみ、ワンコインで参加させて頂きます。一日で走り読みですが 「『アジア』の渚で」日韓詩人の対話、吉増剛造・高銀(藤原書店刊。 キムジハ、へのアプローチ、今夏の韓国行きには参加できませんが 、皆様のお話を楽しみにしております。 こんな夏の日は小生は好きですね、東山動物園の植物園に座り、湿 気と温度で頭が冴えるのを待った20代後半の名古屋時代が今は懐 かしいです。 詩にはなりませんが。草々 浅山