3313.アンベードカル・佐々井上人



アンベードカル

得丸さん、皆様

日曜日佐々井上人の最終講演に護国寺に出かけました。
昨年インドに出かけたときはヒンズーの神ばかりの印象が強く
また、新しい政治的ヒンズー教派の台頭も感じられたのですが、
この講演では、新しいインド仏教の息吹もあるのだと知りました。

とにかく、佐々井上人は70歳以上とは思えない元気ある、話しっ
ぷりは、岩村さんも書いておられましたが、まさに全共闘のような
迫力でした。
日本の従来仏教のイメージは、葬式でお焼香のなかを「なみあみだ
ぶつ」と静かに念じることが多い宗教のようですが、この仏教は、
まさに戦う仏教です。ヒンズー語で意味はよく分かりませんが講演
前後に聴衆と一緒に、拳を振り上げてスローガンを繰り返し叫ぶス
タイルはまさに元気のでる宗教でした。

講演後に質疑応答がありましたが2、3 強く残った内容を下記し
ます。
1.日本の仏教(親鸞、日蓮など)がはじまったのは、12−13
世紀であったが、ヒンズー教とイスラム教の中で一旦滅びたインド
仏教は2001.9.11以降新しく再生した。

2.”アンベーカルの仏教でも瞑想をするのか?”との質問に対し
”瞑想”はしない。そんな時間があるなら、不可触民を救う行動に
費やする。アンベーカルがケータイTELで活動の指示を与えてい
る姿は、よく見るが瞑想をしている姿は見たことがない。瞑想など
はバラモンのような、余裕のある階級がするものだ。

3.我々の仏教はキリストのように、「右のほほを打たれたら左の
ほほも差し出せ”などという受身の宗教ではない。

アンベドーカルの本も読んでおらず、どんな思想かもまだ、理解し
てませんが、とにかく迫力アル普及むべなるかなと感じさせました。
平均的日本人とは正反対で、よくしゃべり、議論好きで自己主張の
強いインド人の国民性からすると、これぐらいの大音声で迫力ある
説教をしないと布教できないのではかと思う。釈迦もこういう迫力
で布教したのではないだろうか?

ビジネスプレゼンでよく言われます、スピーチの良し悪しは、中身
20%、話しぶり80%で相手に訴えるという。
全共闘がどこであのスタイルの話し方を学び導入したのか分かりま
せんが、説得力あるスタイルだったと思います。とにかく思想の中
身よりも話しっぷりに先ず共感した記憶があります。悪例では、ヒ
ットラーも然り。ヒトの言葉の発生もこんな衝撃的なスタイルから
始まったのではないかと考えさせられました。

小川
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小川さん、

佐々井上人の護国寺での講演のレポートありがとうございました。
読んでいてうれしい内容でした。

僕がナグプールでお目にかかったとき、佐々井上人が町を歩いてい
ると、人々が集まってきて、上人の足元で三拝するのです。
それがとても自然で温かみがあり、日本にこんな仏教者はいないな
あと思ったものでした。

南アフリカのアパルトヘイトは、アパルトヘイト政策としては
1948年以降であり、植民地政策としては17世紀からですが、
インドのカースト制度はアーリア人の侵入から、宗教の一部として
根付いていたわけで、カーストの圧迫はアパルトヘイトよりも桁違
いにすごかったのだろうと思います。
その風土で戦うには、やはり、佐々井上人のような天真爛漫な方し
か適さなかったのでしょう。

佐々井上人の伝記である山際素男著「破天」はお勧めです。

得丸公明
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小川様、得丸様

佐々井上人の最終講演、ありがとうございます。
行けなかったので助かりました。
ご報告くださった第二項と第三項で4日の講演が
補われているのだと思いました。4日にはトラックに
鈴なり状態でヒンズー教の地に殴り込みデモに
向かうところのテレビ録画が上映されましたが、
その姿だけ見ているとゲバ棒をかざした全共闘の
ようでもありました。覆面もつけず、ヘルメットもかぶらず、
という違いはありましたが。
考えることの煩わしさから逃走してしまった我が日常の中で、
強烈なパンチです。
さて、演説の名手というと思い出す一節があります。
「我々はパンの価格の引き上げを望むものではない」
「我々はまた、パンの価格の引き下げを求めるもので
もない」
「我々が求めるのは、実に、国家社会主義的パンの
価格の実現である」
字にして読んではだめですね。熱気渦巻く興奮の広場で、
大歓声に包まれてこれを聞くのです。いかさま政治が救世主
になったのも分かるような気がします。

岩村
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岩村様、小川様、

群盲象を撫づというのか、そういえば、私は佐々井上人が咆哮する
場面はまだ見たことがありません。
(以前テレビでちょっとだけ見た程度)

それで全共闘とか、戦う仏教という言葉を見ても、自分の中でピン
とこなかったようです。

でも、岩村さんや、小川さんの心に焼きついた戦う佐々井上人のイ
メージが、僕の中に戦う佐々井像を作り出しました。
ありがとうございました。

得丸公明


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